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あの日から三年、私は十三歳の誕生日の次の日、王宮を訪れていた。
王宮の図書室、数多くの魔術書があるそこへ向かっていると、後ろから声を掛けられた。
その声で誰か分かったため、すっと腰を落とし礼を取る。
「ご機嫌よう、王妃殿下」
「まあ、そんなにかしこまらなくていいわ。いずれわたくしの娘になるのですもの」
朗らかに笑うのは美しい人だ。もう十三歳にもなる息子がいるなんて信じられない程に若々しく、そして色香に溢れている。
まるで咲き誇るバラのような美しさはフリードにも受けつがれている。
彼曰く、バラにある棘が大きすぎるし、毒もあるといった所か。
この国の諸悪の根源の一人であるこの人と会う際にはいつも緊張する。
「恐れ多いことです」
「ジュリアーヌは控えめねえ。そうそう、お誕生日おめでとう。もう十三歳になったのね。贈り物は趣味にあって?」
昨日届いた贈り物一覧を頭の中でめくる。王妃様からはとても派手な大きな宝石のついた髪飾りがきていた。正直、趣味とは正反対すぎて何に合わせればいいのか分からなかったが、欠片も出さないように微笑む。
「ええ、ありがとうございます。青い宝石が大変に綺麗で見とれてしまいましたわ。大事に使わせていただきます」
「ふふ、嬉しいわ。それとフリードからの贈り物はどうだったかしら。あの子ったら、照れて何を贈るのか教えてくれなくて」
「…贈り物ですか?」
怪訝な顔をした私に妖艶な微笑みが強ばる。
それに気づきつつ、口を開く。
「申し訳ございません。フリード殿下からの物は届いていなくて」
「ま、まあ、おかしいわね。手違いがあったのかしら。少々確認をするわね。これからフリードとお茶会なのかしら」
「フリード殿下はわたくしが来ると聞いて、どこかにお隠れになったようです。見つかるまで、図書室で自由にしていて良いと伺いましたので向かっております」
「…そう。たまにはそんなこともあるわよ」
「この所、図書室で過ごす日々が続いております。フリード殿下はわたくしと顔を合わせるのも厭うほどにわたくしのことがお嫌いなのでしょう」
そう言った私に引きつった顔をして、王妃は去っていった。
予定通り図書室に向かい、広い書庫の奥へと向かう。
滅多に人の来ない分野の本棚まで行き、そこで曲がった後、一つ息を吸ってヒールを鳴らした。
壁のように見えていた場所が開く。
人気がないのを利用し、仕掛けさせてもらったこの場所はとても便利だ。
元々ただの物置だったらしいのだが、使われていなくて忘れ去られていたので、魔法で隠し、様々な物を持ち込んで快適に過ごさせてもらっている。
中に入ると長いすに横たわりくつろいでいたフリードが顔を上げた。
私も反対側の長いすに腰掛けると、フリードは体を起こして私の方に向き直る。
「よっ、お疲れ。やっぱりここ便利だな。お前が来てる時以外も入り浸ってるぞ」
「えー、後付けられてここの存在バラしたりしないでよ。他に二人で会話出来そうな所探すの難しいんだから」
「分かってるって。それにしても本当に腕が良いよな。クルスがこの前、ここ見て遠い目してたぞ」
「やった。公爵令嬢じゃなきゃ、研究者か魔術師になったのになあ。残念」
「国の損失だよなあ。まあ、その内、良い具合に公爵家没落させるから、その時に頑張れ」
「うん。期待してる」
世間話のように物騒な会話。染まったなあと時々我に返り、内心でため息をつく。
口調もフリードのものがどんどん移り、二人きりではかなりくだけているが存外気楽で良い。
あの日から始まった婚約者同士は、人前では最悪だが、実際はとても上手くやれていた。
「そうそう。ここに来る前に王妃に会ったわよ。フリードから贈り物が来てないって言ったら、顔引きつらせてたわよ。それと最近、会ってないってことも」
「あー、それ見たかったな。散々はぐらし続けて、贈らなかったかいがある。それにしてもお前にはそれなりに優しそうに接するとか、流石は俺の後ろ盾。次期王妃出せるくらいのごり押し公爵家」
「あっはっは、ねー、本当にごり押し。お姉様が王妃としての地位しっかりしたら、没落していってほしい。ちなみに贈り物用の資金は何に?」
「派手なグリフィン像がそのうち庭に届くから、見てみるといいぞ。一応、この前の長雨で被害があった所から買ったものだけど、そうとう趣味が悪くて、馬鹿っぽい」
「わー、楽しみ。馬鹿伝説が増えるわね」
そう言ってケラケラと笑う。
あの日、初めて見た時は驚いたが、フリードは本当に演技が上手い。
外では癇癪持ちで、傲慢な、我が儘王子で通っている。
この実際の理性的で賢く、気さくで親しみやすい人柄を知っているのはごく一部だ。
それは少々もったいないなあと思う。
「ま、いいや。それじゃ、誕生日おめでとう」
「わ、ありがと」
投げられた小箱を受け取り、リボンを解く。
中に入っていたのは、地味と言われてしまいそうな小さく、そして繊細な青い小花のついた髪留めだった。
「わあー、可愛い! ありがとう、魔術書読む時に使わせてもらうわ。髪が落ちてくるの時々邪魔なの」
「知ってる。よく邪魔そうに掻き上げてたからな」
「わあ、流石気が利く。それに趣味も良いわね」
「いや、それ、普通の貴族令嬢に贈ったら、キレられそうな安物だけどな。本当に公爵令嬢とは思えないほど安上がりで」
「良いじゃない。宝石やビロードだけがお洒落じゃないもの。私はこういうのが好きなの。でも本当に嬉しいわ。お返しにあなたの誕生日奮発するわね。何が良い?」
「んー、じゃあ、この前もらった隠匿系と似たような感じで剣に魔法かけられそうなの出来たら欲しい」
「了解。頑張ってみる。あ、公式には刺繍入りのハンカチ贈って、それに時間掛けてたことにするわよ」
「あー、俺、それを投げ捨てるのか。今から罪悪感」
「大丈夫、器用な侍女にお願いしちゃうから。材料費勿体ないし、彼女にも悪いけど、まあお給料弾むということで」
「堂々とした手抜き宣言」
「えー、贈ってもこない人に言われたくない」
「だな」
くだらない冗談みたいな会話で一頻り笑う。笑いが収まった頃に、フリードがポツリと言った。
「しかし、それってエリーゼ様にはどう思われてんの?」
思わず俯きつつ、答える。
「すごーく心配されてるよ。お姉様優しいから。このまま婚約してたら、私が不幸になるんじゃないかって。この前、お父様にそう直談判して、すごく嫌がられてた。益々疎まれて、社交界から遠ざかってる。…私のせいでって思ってもおかしくないのに、ずっと優しいの」
「そうか」
フリードはそれだけ返すと暫く無言になった。
やがてポツリと呟いた。
「兄上も、俺のこと心配してる。ちゃんとしてたら、賢いの知ってるからなあ。俺が兄上に気を遣ってると思ってるみたいで、俺の事ちゃんと支えるって。母上のこととか気にしてるなら、兄上が頑張って他の人脈作って、押さえ込めるように尽力するからって。わざわざ泥被る必要なんてないって。…そう言ってくれてる。他の奴らに日陰王子とか馬鹿にされてるのに、俺のこと心配してくれる優しい兄のままでいてくれてる」
その声に滲む感情は私にもよく分かって、慰めることなんて出来ない。
フリードと同じように、「そう」と返す。
暫く続いた無言の後、口を開いた。
「ねえ、頑張りましょうね」
主語の無い会話。だけど、私達が頑張ることなんて一つだ。
フリードはかすかに笑って、応える。
「ああ。頑張ろうな」
それに笑って頷いて、席を立った。
「もう行くわ。最近、侍女さん達が気を遣って、図書室にお茶を持ってきてくれるの。本を探してるにしても、あまりに見つからないと不自然だから」
「それは大変。気付かれないようにな」
「ええ、それじゃあ、また」
「ああ、またな」
秘密の小部屋から出て、息を吸って、背筋を伸ばす。
前はお姉様が大好きで秘密なんてなくて、何でも言えた。
負い目なんてなくて、心から甘えられた。
だけど、今は、お姉様が反対するようなことをしていて、そしてそれが叶うまでは負い目は決して無くならない。
似たもの同士のフリードといる時だけが、”仲が悪い婚約者”といる時だけが、心から安らげるなんて誰にも言えない秘密を抱えてこんで、令嬢の仮面を被り歩いていった。