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小さい頃、私は世界で一番幸せだと本気で思っていた。
「お姉様、お姉様!」
杖を片手に屋敷の廊下を跳ねるように駆けて、大好きなお姉様がいる部屋に飛び込む。
中で刺繍をしていたお姉様は、私の声に顔を上げて、嬉しそうに笑ってくれた。
「まあ、ジュリア。どうしたの?」
「あのね! 魔法、魔法書に載ってた一番難しい魔法やってみたら成功したの!」
「本当!? すごいわね、どんな魔法なの?」
「あのね、隠匿魔法って言って、他の人に気付かれずに行動出来るの! 闇魔法と光魔法と風魔法の応用であるってちょっとだけ載ってたから、試してみててね。この一ヶ月、ずーっと色々な組み合わせを考えて、今日、成功したの!」
「まあ! 本当にすごいわ! 流石、ジュリアね。…あら、じゃあ、お付きの使用人がいないのは、ひょっとして?」
「はい! 魔法使って撒いたの!」
「まあ、ジュリアったら。使用人は意地悪で色々言っているのでは無くて、お仕事で言っているのよ。貴女が彼らのいない所で、怪我でもしたら、彼らは路頭に迷うのよ。あまり、振り回しては可哀想だわ」
お姉様に静かに諭され、盛り上がっていた気分がしぼむ。
確かに使用人達は私のこと、必死に探してた。
「でも、はしゃいでしまう気持ちも分かるわ。わたくしは魔法が得意では無いけれど、ジュリアのように出来たらとても楽しいと思うもの。でも、あまりはしゃぎすぎては駄目。だから、わたくしが今から連絡するわね。いい? 彼らが来たら、振り回してごめんなさいって、ちゃんと謝るのよ」
「…はい。お姉様もごめんなさい」
「分かってくれれば、良いのよ。次からは気を付けなければ駄目よ。その魔法はとってもすごい魔法だから、悪いことに使おうとすれば簡単にできるの。だから、今度からはちゃんと考えて使うのよ。そして、他の方には使えることは絶対に秘密になさい」
そう言って諭すように頭を撫でてくれるお姉様の手は今日も優しい。
もう一度、はい、と応え、ふと姉が刺繍していたハンカチを見つけた。
「わあ、綺麗!」
色数はそこまで多くないのに、品が良く細かい刺繍が丁寧に施されていた。
片隅にはルーカスの文字が美しいイニシャルで入っている。
「ふふ、ありがとう。ジュリアに褒めて貰えるなら、ルーカス様に差し上げるのにも相応しいかしら」
「お姉様の刺繍はいつも、とっても上手よ! それにお姉様からならルーカス様だって、何を貰っても嬉しいわ」
「まあ、可愛い事を言ってくれるわね。貴女付きの使用人を呼んでくるついでにお茶をいれてくれるように頼むから、一緒に休憩に付き合ってちょうだいね。ここで待っていて」
「はい!」
そう言って出て行ったお姉様を見守って、ほうっと息を吐いた。
お姉様は私よりも四歳上の十四歳だ。
なのに、大人っぽくて、優しくて、お淑やかで、私の憧れの存在なのだ。
それにいつも私の話を聞いて、褒めてくれて、叱ってくれる人だ。
お母様とお父様はいつも忙しくて、あまり屋敷にいない。
たまに会ったら、何でも買ってくれるし、可愛いと言ってくれるけど、私がとても楽しい魔法のお話は聞いてくれない。
私がお行儀が悪いことをしたら、私の使用人を叱って、首にしてしまうけれど、私に強く怒ったりしない。
私はきっとお父様にもお母様にも、大事なお話や悩みを話したりなんて出来ないし、二人はきっとそんな事に興味もないと思う。
二人は私を可愛がってくれてはいるけど、「私」には興味が無い。いつもそれを感じている。
だから、王太子様の婚約者で、そのためにいつも勉強していて忙しいお姉様が側に居ようとしてくれるのが。
大事な物の話や悩みを聞いてくれて、一緒に考えてくれるのがとても嬉しい。
二人は何故か、私よりも優秀なお姉様なのに、私よりも興味がないみたいで不思議だ。
だけど、ルーカス様にはお姉様はとても大事にされていて、よく屋敷に迎えにきてくれたり、贈り物をされていたりする。
その度に、すごく嬉しそうな顔をするお姉様はとても可愛くて、見てるだけで嬉しくなってしまう。
それにルーカス様はたまに会うと同い年の弟がいるのだと私にもとても優しい。
お姉様とルーカス様はとてもお似合いだ。
私はお姉様が大好きで、ルーカス様が大好きで、魔法を操るのが楽しくて。
だから、お二人が幸せそうで、魔法の勉強が好きに出来て、お姉様が優しくしてくれるこの日々は本当に心から幸せだったのだ。
そんな日々が変わってしまったのは、ある日突然だった。
お父様とお母様が帰ってきて、お姉様に何か言った日から、お姉様は王宮に行かなくなった。
王太子様が来る事も無くなって、お姉様は寂しそうに笑うようになった。
どうしたの? と聞いても答えてくれなくて、何でも無いのよと頭を撫でてくれるけど、目の縁はいつも赤かった。
だから、あの日、お父様とお母様が私を王宮に連れていってくれると言った日。
よく考えて使うのよと言われていた隠匿魔法を使って、ルーカス様を連れてきてお姉様に会わせてあげようとそう決意したのだ。
王宮に着いた時、何故か王宮の使用人が慌てていた。
誰かがいないと漏れ聞こえてくるが、よく分からない。
私はここで待っていてくださいと、綺麗なお花が咲いている温室に通され。
魔法を使って、そこを抜け出したのだ。
抜け出したは良いけれど、私は王宮に来たのは初めてでルーカス様の部屋の場所が分からない。
それにまだ十歳の私に王宮は広すぎるし、魔法を使っているとはいえ、人がいる所は緊張する。
気付くと王宮の端。使用人達が下拵えなどをしている場所に来てしまっていた。
屋敷でも使用人達が働いている場所はあまり入っては迷惑よとお姉様に言われている。
慌てて戻ろうとすると、下拵えしながらお喋りしていた使用人の一人の声が耳に入った。
「ねえ、噂の公爵様いらしてるって!」
王宮に来ている公爵とは私達一家の事だろう。噂ってなんだろう。
思わず興味が出て、そっと話を聞く事にする。
「ああ、そうか。顔合わせなんだってね」
「そうだね。可哀想にね。これでもうルーカス殿下とエリーゼ様の婚約が戻るのは絶望的かい」
その言葉に凍り付きそうになった。
話題はそれでも続いていく。
「なんでルーカス殿下が王太子じゃなくなっちゃったんだろうね。真面目で優秀な優しい方だったのに」
「先妻の子だからだろ。陛下ったら、新しい若い奥さんに夢中だもんねえ。だから、自分の子供を王太子にっていうお願い聞いちゃったんだろう」
「先の王妃様がご病気で亡くならなければ、ルーカス様もこんな不遇の目には遭わなかっただろうにね」
「気の毒にね。それで、雲行きが怪しいとみた公爵様はあっさりと王妃様側についたんだろう。ルーカス様と婚約させるために引き取った養女を見捨てて、自分の本当の娘を”王太子の婚約者”にって訳か」
「本当に気の毒だよね。大人の都合に振り回されぱなっしじゃないか」
「まあ、公爵様的には自分の家から王妃様が出せれば、それで良いんだろうよ。それが自分の娘だったら、尚良しって事じゃないかい」
「だろうねえ」
頭が真っ白で、喉が渇いて、足が震えて。
だけど、その場にいることなんて出来なくて、必死にその場を逃げ出した。
人気のいない方に走って、走って。
魔力がとうとう切れて、その場にへたり込む。
指一本動かせないくらい疲れているのに、涙だけが次から次へと流れてくる。
「なんで…なんでぇ。知らない、私…そんなの知らない」
とってもお似合いの二人で、思い合ってて、とても素敵で。
なのに、二人は婚約解消で、私が次の王太子様の婚約者で。
お姉様は私の本当のお姉様じゃなくて。
お姉様が泣いていたのは、私がいたからかもしれなくて。
頭がごちゃごちゃで全然思考が纏まらない。
だけど、悲しくて、辛くて。自分が大好きな人達の不幸に関わっていることが、嫌われてるかもしれないことが、苦しくて、痛くて堪らなかった。
涙で周りは見えなくて、嗚咽で喉が枯れてきて、それでも泣き止めない私の側にいつの間にかその人は立っていた。
「おい、何やってるんだ。ブサイク」
突然の言葉、それも今まで言われたこともないような酷い言葉に顔を上げる。
そこに立っていたのは綺麗な男の子だった。
ルーカス様と同じ髪と目の色。だけど、歳は私と近くて、ルーカス様よりも綺麗なお人形みたいな顔をしていた。
着ているものも、とても綺麗で、こんな場所でへたり込んで泥だらけな私は急に恥ずかしくなった。
「あなたこそ、何なんですか。人のことブサイクなんて礼儀を知りませんの? しかも、平民みたいに汚い言葉遣い」
必死にお姉様が喋るみたいに言葉使いを取り繕い、相手を睨む。
なのに、相手は全然気にした様子も見せずにため息をついた。
「泣きまくって目を腫らしているヤツはブサイクで充分。言葉遣いは平民と混じって遊んでたら移ったんだよ」
「…何でそんなことしてるの?」
そう言うと悔しそうに唇を噛む。
「…周りが勉強しなくていいとか言って、全然させてくれないんだ。俺も兄上みたいに立派になりたいし、兄上と勉強の事で話したいのに。だから、俺なりに平民のこと学んでやろうと思ったのと、アイツらが平民を見下すから俺が一緒に遊んで意趣返し。兄上の側近だった人は俺が下町に行ったりするの協力してくれるし。と言うか、お前、誰?」
「…ロイズ家の次女、ジュリアーヌです」
「え、お前が!? 嘘だろ、顔合わせしたくないから逃げてたのに。つーか、尚更、なんでこんな所で泣いてんの?」
なんで。
その言葉に再び涙がこぼれ落ちた。
「お姉様が悲しそうなの、私のせいだったの。なんで? ルーカス様とお姉様、お似合いだったんだよ。なんで、婚約解消なの? 私、王太子の婚約者なんて、なりたくないのに。お姉様、私のせいって知ってるのかな。でも、なんでまだ優しいの? …本当は私のこと、ずっと嫌いだったのかな。本当のお姉様じゃなかったし」
怖くて、辛くて、悲しくて、どうしたら良いのか分からない。
「…泣くな!」
突然、怒鳴られて、ギョッとして顔を上げる。
その男の子は真剣な顔して、私に尋ねた。
「お前、王太子の婚約者になりたくないの?」
「嫌よ、なりたくない」
「エリーゼ様とルーカス殿下の婚約が戻って、あの人に王太子になって欲しい?」
「当たり前よ!」
「なら、俺と一緒だ!」
彼は晴れやかに笑って、手を差し出した。
「俺はフリード。この国の第二王子で、最近王太子になったお前の婚約者な。だけど、俺もこんな肩書きいらない。俺にちゃんと優しくしてくれた兄上が王様になって、ちゃんと幸せになってほしい」
ぽかんと見上げる私に彼はまた笑う。
「だから、協力しよう。一緒に婚約破棄するために、大事な人のために動こう」
「…どうやって?」
「ひとまず契約しよう! 兄上の側近だった人の一人が最近俺の側近になったんだけど、俺が王太子止めるの協力してくれてるんだ。そいつに習ったんだけど、契約って、大事なんだぞ。だから、ちゃんと契約して、絶対裏切らずに協力しよう。そうして、最高のハッピーエンドにしよう!」
その言葉に差し出された手をおずおずと取った。
その手は私よりもちょっと硬くて、温かかった。