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婚約者は転生ヒロインに夢中ですが、私は彼を信じてます

作者: 鳥井小鈴

 レギオン王太子殿下が我がモルガン公爵家へいらしたのは、学園の卒業パーティーの十日前のことでした。

 「マデリーン、体調はもう落ち着いたようだな。見舞いが遅れてすまない」

 開口一番、殿下はお詫びなさいました。

 私室で殿下を出迎えたわたくしは、コルセット無しの部屋着姿とはいえ、薄化粧までしています。病人らしくはありませんでした。

 わたくしの発熱は、もう三週間も前のことです。けれど、長い間お見舞いをお断りしていたのは、わたくしの方でした。

 「良い頃合いにおいでですわ。寝間着姿で脂汗を流しているところなど、結婚前にお目に掛けるわけにはまいりませんもの」

 私は完璧な微笑で、殿下に応えました。

 「ずいぶん重い病だったのだな」

 「……気が抜けただけですわ」

 病状より前に、話さなければならないことがありました。わたくしは殿下を促して、テーブルにつきます。すぐに執事が砂糖漬けの果物たっぷりの焼き菓子を供してくれました。わたくし好みの美味しい紅茶に、お気に入りのジャムも添えて。

 「わたくし、あの方とお話しました」

 あの方、で分かるでしょう。

 殿下の愛しい人、フロリナ・ヴェール嬢。眩い黄金色の髪と菫色の瞳を持ち、希少な癒しの魔法を使う、平民出身の特待生。その可憐さで、ひたむきさで、無邪気さで、快活さで、多くの男子生徒が魅了されたけれど、あの方自身が節度を失ったり、相手に気を持たせたりすることはありませんでした。それは殿下に対しても同じでした。

 「退寮の前の夜のことですわ」

 卒業に十分な講義を受け終えると、私は二年間弱を過ごした寮を出ました。

 これから半年ほどで、私は殿下に嫁ぐことになっています。退寮は、式の準備に専念するためでした。

 「わたくし、あの方を泣かせてしまいましたの」

 「貴女との別れが辛かったと、聞いている」

 殿下がおっしゃいます。

 「素直な方ですものね」

 けれど、本当にあの方を泣かせたのは、別れの辛さではありませんでした。

 泣きじゃくっていたフロリナ嬢の姿が目に浮かびます。取り乱すまいと、抑えようとすればするほど、涙は溢れたことでしょう。

 可哀そうな方です。

 せめて、先王陛下の御代の、あの事件さえ無ければ、平民であってもどうにかしようもあったはず。

 当時の王太子殿下、現陛下の兄君のことです。学園で知り合った男爵令状に夢中になって、父君が決められた令嬢との婚約を強引に破棄。そこから、第二王子であった現在の陛下が立太子なさるまで、王族や貴族はおろか、無関係のはずの平民たちまで入り乱れての争いとなりました。

 当時まだ三歳であった兄さえ、あの当時の重苦しい空気を覚えていると言います。国家の実権を握っている方々にとっては、生々しい記憶であったでしょう。

 あれからたった二十年。王太子殿下が身分違いの結婚をなさるのは、許されることとは思われません。

 「わたくし、ようやくあの方の本音を聞けたのですわ」

 わたくしは殿下を見つめます。

 殿下の髪も瞳も、又従兄妹であるわたくしと同じ、白銀色に淡い青。寒々しい二人が、賢しげで熱の無い視線を、互いに注ぎあいます。

 わたくしはゆっくりと、言葉を紡ぎました。

 「殿下を、お慕いしていると。抑えようもなく、お慕いしているのだと」

 「フロリナが?」

 思わず、といった様子で、殿下は立ち上がりました。

 「信じられない」

 殿下の白い頬が、ほのかに上気しています。冷たい色の瞳さえ、晴れやかに見えました。

 「新入生の頃はともかく、今のあの方は立派な淑女ですもの。そうそう想いをあらわにはできませんわ。まして、殿下は婚約しておられます」

 わたくしは釘を刺します。殿下は再び腰を下ろされました。

 「ところで殿下。あの方と二人で、何か特別なゲームをされていたのですか?」

 取り乱し、泣くあの方は、何度かゲームとかシナリオとか口走っていました。あの方にとっては、とても重要なことのようでした。

 「いや。彼女と二人きりになることさえ、ほとんど無かった。ゲームなど……だが、私も、彼女が急にゲームと口にするのを聞いたことがあるな。女生徒の間で、何かしているのかと思ったのが、貴女も知らないのか」

 殿下も本当にご存じないようです。

 「……ゲームのことと、関係あるかどうかは存じませんの。順番はこちらが先ですわね。あの方、子供の頃に占い師に言われたそうです。貴女は高貴な男性と愛し合う、その代わり、貴女と家族との縁は薄く、男性の婚約者は破滅する。処刑か、国外追放か、身分の剥奪か」

 紅茶のお代わりを入れてくれた執事が、珍しく音をたてました。

 「気をつけるのだな、イザーク」

 殿下が執事をたしなめました。執事は目礼を返します。

 「占いは、今まで全部当たっていたそうですわ。父君のお顔もご存じなく、病身の母君も亡くされましたわね。そうして、学園で、殿下と出会ってしまわれた。次は、わたくしが破滅する番」

 だから、あの方は必死に想いを抑え込んだというのです。

 『だってっ。庶民は、失恋くらいじゃへこたれないんですっ、経験値積んでレベルアップなんですっ。殿下のことは、す、好き、大好きですけど、でもっ、わたし、マデリーン様を不幸にするような幸せ要りませんっ』

 途中によく分からない箇所がありましたが、わたくしも平民になればきっと分かるのでしょう。

 『でも、好きでいることは、やめられないんです……好きでいることだけは、許してください……』

 大きな瞳から涙を溢れさせたあの方に、「ならば愛妾はいかが」などと、軽々しく口にすることはできませんでした。一番当たり障りの無い解決法ですが、あの方の矜持を踏みにじるような気がしたのです。

 「……殿下」

 わたくしの目の前の殿下は、もう先ほどまでの寒々しい方ではありません。恋の幸福は、人を一瞬で変えるものなのですね。

 「わたくしに隠し事ができるなんて、思っておられませんわね?」

 「ああ、お互いに」

 殿下は頷きます。

 「殿下も、あの方を想っていらっしゃる。そして、わたくしは、殿下をお慕いしておりませんの」

 そう告げると、殿下は苦笑なさいました。傍に控えるわたくしの執事に、一瞬目をやるのを忘れずに。

 「よく分かっている。貴女と私は、いわば戦友だ」

 「もったいないお言葉ですわ。……けれど、その称号、返上しようかと存じますの」

 わたくしは息をつきます。

 わたくしの忠誠心は、王国と民にあります。そうして、わたくしが王太子妃を務めるのが、最も国家の安寧を守ることでしょう。わたくし以上にこの役をこなせる方はいないとも自負しております。けれど。

 「占いによれば、私とフロリナが結ばれたら、貴女は破滅するのでは?」

 殿下は眉を顰めます。今度はわたくしが苦笑する番です。

 「たかが占いではありませんか。それに、あの方は全て当たっているとおっしゃってましたが、とんでもない。教会の孤児院にいたあの方は、裕福な農園主の養女になりましたわね。今、殿下が召し上がっているケーキの果物も、ジャムも、あの方から分けていただいたものですの。ご実家から沢山届いたとおっしゃって。お母さまの作るジャムは特別なのだと、得意げでしたわ。生みのご両親こそ縁が薄かったかもしれませんが、それだけでご家族との縁が薄いとは申せますまい」

 「なるほど、そう、なのか……?」

 突然の、恋の成就と幸福な結婚の可能性に、殿下は飛びついてよいのか戸惑っておられるようです。

 「公爵家としては、次の王の外戚の座は譲れないようですわ。分家の当主の隠し子を、養女に迎えることも、考慮しております」

 あの方が父君をご存じないのは、幸運でした。

 「……貴女がいるではないか」

 殿下は首を横に振りました。わたくしも首を振り返します。

 「わたくしが、疱瘡にでもかかれば、いかがでしょう?」

 痘瘡となれば、顔にも痕が残ることでしょう。将来王妃として外交の最前線に立つには、致命的です。

 都合の良いことに、退寮の日、わたくしは熱を出しました。学園生活と王妃教育との多忙に区切りがついて、またフロリナ嬢の気持ちを確かめられて、気が抜けたのだと思っております。

 フロリナ嬢は癒しの魔法を使おうとしましたが、わたくしは断りました。二、三日休息をとる良い機会でしたから。このやり取りは、学友の皆さんがご存知です。

 以来今日まで、わたくしは家の者以外には会っておりません。不調を口実に部屋に籠って、わたくし付きの使用人と、溜まりに溜まっていた雑用をこなしていただけなのですが、疱瘡で床に就いていたふりをするには、ちょうど良い期間だったと思います。疱瘡に侵された顔を、確かめに来る人も無いでしょう。そうしてわたくしは表舞台を去り、密やかに暮らすのです。

 「……ですが、ご生母に続き、わたくしまで救えなかったと知ったら、あの方が心配ですわね」

 「ご生母の時は、癒しの力に目覚めていなかったのだ。貴女の時は、貴女自身が断ったと聞いている。彼女も皆も、ただの風邪だと思っていたのだろう?」

 殿下がわたくしの案に乗ってこられました。もう一押し、でしょうか。

 「でも、お優しい方なのですもの。ご自分を責めてしまいますわ。支える方は責任重大でしてよ。……もちろん、国を乱さないのは当然のこと。その上で、他にあの方を傷つけない方策があれば、その方が宜しいですわね」

 そう言いましたら、殿下は短く唸り声をあげました。

 「卒業パーティーの時が、仕掛けどころですわね。それまでに、あの方も、民も、殿下とわたくしも幸福にする方策、殿下ならきっと生み出せます」

 わたくしは淑女の微笑みで、殿下を追い込むのです。

 「わたくし、殿下を信じておりますわ」


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