海地蔵様の歌声
ねえ、聞いた?え?何を?……いやぁ、この前ちょっと恐いの聞いちゃって…… 聞きたい?じゃあ、その子彼氏君と、二人でね夜の海に出掛けたんだって、
そうそう!あそこよ、あの海地蔵様の漁港にさぁ、行ったんだってよ……
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ソレや、ヨイセ、ドッコラセ、ヤレツケ、ホシツケ!銛をツケ!魚をトレヤ、小魚トレヤ、コが口開けマッテイル……
海地蔵様の歌が残っているひなびた漁師町、その昔子供の健やかなる成長を願い、建立したといわれる海地蔵。
一説によると、この地蔵の前で、銛付き漁をすると、小魚が大漁になると言われている。その他諸説いわれのある、地蔵様だが、
かつて飢饉の折りに、生け贄として海に捧げられた、数多なる子供達を、海底に沈められた時に供に沈められてしまい、それ以降探しても引き上げられる事はなかった。
子供の健やかなる成長を願い、建立された海地蔵、今は闇の中で子供達と供に過ごしている
恨みの中で……生きたかった子供達の悲しみで作られた、海底の泥の中で……ドロドロと暗闇の中、永久の時を過ごしている……。
――男女が寄り添い、夜の防波堤に立っている。ベッタリとした厚い雲に覆われた空は墨を塗りたくった様。
テトラポットにぶつかる波も、果てなく広がる沖合いも暗黒の色を成している。
真っ暗闇でなぁーんも見えんね、と腕をくみながら退屈そうに、女は男に甘えた声で話している。
そやな、イカ釣りでも出とったら、綺麗なんやけどなと沖合いを眺めながら答えた。
潮の匂いが鼻につく、海辺育ちなので気にもならないはずなのに、今宵に限ってはどういう訳か気になる男。
ざ、ん……ざ……ん、規則正しい音だけが、辺りに広がっている。夜釣りをしている者の姿もない。
「誰もいないね。魚釣りも、雨が降りそう、だからかな?」
静かよねー、こういうのもいいね。二人きりなのが実感できて、と他愛のない話をしながら、防波堤の上を歩いている。
真っ直ぐな防波堤、黒の世界に道が一本、それを歩く二人。
どうせなら、突き当たりまで歩こう、と何とはない話になり、歩いていたのだが、それも何だか馬鹿馬鹿しくなり、そろそろ帰ろうかと話した時、
一際大きな黒い波が、テトラポットにぶつかり飛沫を上げた。
ズァサァッ、と海から塩辛い風が二人を打ち付ける。重いソレに女がきゃっ、と声を上げた。
男の腕にしがみつく女。すえた魚の膓の様な匂いが辺り一杯に広がる。手で口元をふさぐ二人。
ねぇ、気味が悪い、早く帰りましょう、と顔色を青くした女の声に、男はそうだなと闇の中で答えた。
防波堤に沿って街灯が、設置されている、先ほど迄は、何時もの様に、白い明かりの中にいたのだがどういうわけか、今は闇の中。
ぼ、う、ボ、ウ、ボウ、ボウ、
薄い墨色の光を帯びた、丸いモノが海面に浮かぶ。
………ソレや、ヨイセ、ドッコラセ、ヤレツケ、ホシツケ!銛をツケ!魚をトレヤ、小魚トレヤ、コが口開けマッテイル……
ざ、ん、ザ、ン、波の音に合わせて海からも聞こえてくるコエ、
不安気に沖合いに目をやる二人……何かが近づいて来てる?
ここにいてはいけない、本能がそう叫んでる、それに気がついたその時、
「ネエ、遊ぼう」
不意に……『コエ』がかかった。シタシタと海水をコンクリートに滴らせた、着物姿の子供が目の前に笑顔で立っている。
闇の中で、ボウ……と青白い燐光をゆらゆらとまとい、笑って立っている。
ひっ!だ、誰だ?お前は、男にしがみつく女、それを引き寄せる男。
ゴウ、と風が吹く、海面から空に向けて、吹き上がる。
ダ!ボタ!パタパタ、ザァァァァ、暗黒の空から滴が落ちてくる。雨が降る。
………ソレや、ヨイセ、ドッコラセ、ヤレツケ、ホシツケ!銛をツケ!魚をトレヤ、小魚トレヤ、コが口開けマッテイル……キィィィ!
歌声と奇声が波に乗り近づいてくる。
ボウ、ボウ、と光るモノが子供の姿となり、スルリスルリと音なく、次々にテトラポットを登ってくる。
遊ぼう、アソボウ、オナカスイタ、アソボウ
に、逃げようよ、ああ!と声を合わせた二人だが、目の前の子供に、服の裾を握られ、身動きが出来ない。
「アソボウ!オナカスイタ、アソボウ」
色の光がない黒い穴のような目を向けて、全身ずぶ濡れの幼子が、青白い手で服を握りしめ、アソボウと、笑顔を向ける。
ガチガチと震える女、男も全身総立ちの、恐怖に包まれている。
ソレや、ヨイセ、ドッコラセ、ヤレツケ、ホシツケ!銛をツケ!魚をトレヤ、小魚トレヤ、コが口開けマッテイル……キィィィ!
アソボウ、オナカスイタ、アソボウ、アソボウ、
スルリスルリと、海側から防波堤の壁をよじ登り、先に来た子供に合流する、数多の子供達。
ネエ、アソボウヨ、と二人を取り囲みおしくらまんじゅうの様に迫る、ぽっかりと空いた黒い穴の様な目を向けてくる。
……ゴゴ!ゴトリ、ゴトリ、ゴゴ、ゴゴ、ゴトリ
奇声の主がたどり着いたのか、子供達とは違い、コンクリートを擦るような音を立てて、テトラポットを移動している。
一層色濃くなる生臭い匂い、ゴゴ、ゴゴ!ゴトリ!ゴ……壁をよじ登る『何か』圧倒的な異質が近づいてくる、それを気配を肌で感じる距離。
ソレや、ヨイセ、ドッコラセ、ヤレツケ、ホシツケ!銛をツケ!魚をトレヤ、小魚トレヤ、コが口開けマッテイル……キィィィ!
アソボウ、アソボウ!オナカスイタ、アソボウ
二人を取り囲む子供達、ザァァァァと降る夜半の雨、異界のソレが近づいていている……
――どうしよう、どうする、逃げられない……
二人はどうにも出来なくなり、恐怖のあまり、最後の対抗手段として、目を閉じる事しか出来なかった。
アソボウ!アソボウ!ゴ!ゴトゴド、ゴトン、
アレが、何か分からないモノが、たどり着いたのか?ゴトゴド、ゴトゴド、子供達の声に割って入る様に近づいてくる。
アレに来られたらどうなるのか、子供達は、どうするのか、二人の脳裏には恐怖のシナリオしか浮かばない。
ソレや、ヨイセ、ドッコラセ、ヤレツケ、ホシツケ!銛をツケ!魚をトレヤ、小魚トレヤ、コが口開けマッテイル……キィィィ!
アソボウ!アソボウ……オナカスイタ、アソボウ……
二人を取り囲む、子供達とナニか……恐ろしさのあまり二人は目を見開く勇気は出ない。
アソボウ、ゴトゴド、アソボウ、ゴトゴド……
近づいてくる、近づいてくる、近づいてくる!直ぐ側に、アレが!来ている!
最早これまで!二人は再び、しっかりと目を閉じた、その時。
……ブロロロロー、と1台の軽トラックが傍らの道を走り去っていった。
ガクン、と何かが抜けた二人。全身の緊張が抜け、その場に座り込む。
パァーンと、ヘッドライトの白い光が、辺りを明るく照らす。
――匂いが消えた……澄んだ空気が戻った。静寂が戻った……
……ザ、ン、ザ、ン、テトラポットにぶつかる規則正しい波の音、
ふと、気がつけば雨も上がっている。
さらりとした、澄んだ海の色の風が吹く。
穏やかな夜の海が戻っていた……
と聞いたの、ヤバいよ!あそこ……出るんだ……海地蔵様に、子供達に捕まったら……どうなるのかな?
海に引きずり込まれるンじゃないって?アハハ!あるある、絶対にそうよ……そうでなきゃ、
面白くないよね。フフフフ………
*****
夜の海に、規則正しい波の音………
聞こえる歌声 海地蔵
ボウ ボウ ボウと、プカプカプカリ、浮かび上がりし幼子の、透明な薄墨色の光の魂、岸にスルリスルリと音なくのぼる
ゴトゴド、ゴトリと、音たてのぼる海地蔵。
アソボウ、アソボウ、オナカスイタ、アソボウと、幼子近づく生きとし者に……
ソレや、ヨイセ、ドッコラセ、ヤレツケ、ホシツケ!銛をツケ!魚をトレヤ、小魚トレヤ、コが口開けマッテイル……キィィィ!
『完』