2
「いかにも」
シュクルの長い指がそれをつまんだ。
そして、なぜかティアリーゼの頬に押し付ける。
「これは私だ」
「……ごめんなさい、もう少しわかりやすく言ってもらえるかしら」
「今朝方、脱いだ」
「なにを?」
「古い皮を」
「……あ」
そこまで言われてようやく理解する。
「竜にも脱皮ってあるのね……?」
「いかにも」
よくよく見てみれば、確かに爬虫類の皮だった。
ティアリーゼも昔、蛇の皮を見たことがある。シュクルの皮――と呼ぶのはなんとなく抵抗があるが――はそれとほぼ同じ手触りをしていた。
「……ああ、そっか。だから心なしか昨日よりつやつやしているのね」
古い皮を脱ぎ捨てたシュクルの頬は、悔しいことに素晴らしい肌つやをしていた。触れればもちろん、赤子かそれ以上の滑らかさと弾力がある。
(これで四百歳……)
「私の調子がいいのは、昨夜お前を――」
「次は一週間お手入れなしだからね」
「…………まだ言っていない」
ぺたりとシュクルの尻尾が床にへたってしまう。
見れば、その尾の先にティアリーゼが拾い集めた皮と同じものが張り付いていた。
しゃがんでそれを取ってみる。気持ちよくぺりぺり剥がれていい気分だった。
「いいな。私もあなたみたいに綺麗になれたらいいのに」
「ティアリーゼは綺麗だ。特に服を着ていないときがいい」
「今夜のお手入れはしないわ」
「なぜ」
さすがにむっとしたのか、シュクルが眉を寄せる。
そんな表情ですら最近見られるようになった。
「褒めても叱られる。お前はいつからそう怒りっぽくなった?」
「思ったことを全部話しちゃだめって言ったでしょう」
「たくさん話せるのが楽しい」
「……その気持ちはわかるけどね」
しゃがんだままのティアリーゼを見て、シュクルも同じようにしゃがむ。
部屋なのだから椅子に座ればいいのに、そうしない辺りが『変わり者の夫婦』だった。
「私が綺麗なのかわからない。個人的には不完全で醜いとすら思っている」
「私は好きよ。白い鱗が雪みたいで素敵だわ」
「……それはよい褒め方なのか」
「あなたたちの感覚ではどうなのかわからないけれど。……あなたのはちょっといやらしいのよね」
「なにが?」
「全部が」
「わからない」
ふん、とシュクルが鼻を鳴らす。
やはり納得がいかないようだった。これを理解させるのは骨が折れるだろう。
しかし、シュクルはすぐにまた表情を変えた。
きゅるんと青い瞳がきらめく。
「お前は綺麗になりたいのか。今よりも」
「え? それは……まぁ」
「皮を剥ぐか?」
「人間は脱皮しないから、そうすると死んじゃうわね」
「では、人間はどのように美しさを手に入れる?」
シュクルの学びの時間だ――と悟る。
下手なことを言えば、心の幼いこの魔王はそういうものだと信じてしまう。そうならならいよう、正しいことを学ばせるのが妻であるティアリーゼの仕事だった。
「そうね……。ドレスやアクセサリーを身につけるわ」
「あれはいい。集めたい」
(そういうところはちゃんと竜っぽいのね)
物語で言う竜という生き物は、金銀財宝を集めてその上で眠る。宝の守り神とも言われるのはそういう性質からなのだろう。
お気に入りに対する執着心と独占欲。見知らぬものに対しての好奇心。そうした性質のあるシュクルが唯一竜らしくない部分と言えば、他人を騙す狡猾さを持たないことだろう。賢くない、とまで言うのは語弊があるが。
「あれはお前が持つもの以外にも存在するのか?」
「ええ。結婚式のときだって、用意されたものを使っていたのよ」
「……忘れていた。指輪は私が贈ったのだった」
ティアリーゼとシュクルの指には、人間らしく指輪が嵌まっている。本来石を嵌め込むべき場所にあるのは、透き通った紫色の塊。シュクルが己の角をティアリーゼのために砕いて、かけらにしたものだった。
ティアリーゼからすれば装飾品はこれで充分である。
しかし、シュクルはなにか考えたようだった。
「わかった。私は夫としてお前の望みを叶えなければならない。綺麗になりたいと言うなら、両腕に抱えきれないだけの装飾品を贈ろう」
「えっ、そんなにはいらないんだけど……」
「行ってくる」
「しゅ、シュクル?」
ティアリーゼの困惑もよそに、シュクルは行ってしまう。カゴいっぱいの皮を手に持って。
引き留めるのもおかしい気がして、それを見送った。
足音さえ聞こえなくなった後、ティアリーゼはぽつりと呟く。
「妻にアクセサリーを贈るなんて、どこで覚えたのかしら……?」