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「――ま、待って!」
思わず、その肩を押しのけてしまう。
「なんだよ」
「ご、ごごごご飯……まだ……」
「あー、そっか」
食べかけのパンがまだ手元に残っている。
キッカは気まずそうに頬を掻いた。
「俺、あんまり相手のこと考えるの得意じゃねぇからなー」
「ううん、そんなことない」
ぶんぶん首を振る。
喉に詰まるのでは、という勢いでパンを飲み込み、水で流し込んだ。
ごくりと腹の中に落としてから、ぐい、と口を拭う。
そうしてから改めて、キッカの肩を掴んだ。
「い、今なら大丈夫!」
「張り切りすぎ」
夜にしか見せてくれない素顔が笑顔に変わる。
きゅう、と胸が疼くのを感じた。
「これを好きっていうのはわからねぇんだけどな。……お前がしたがるなら、俺も好きになってみようと思うよ」
「――んむ」
心の準備ができていると思ったのに、まだだった。
唇が触れ合った瞬間、うっかり妙な声を出してしまったセランは真っ赤になってしまう。
「セラン」
「な……なに?」
「お前、俺のことどんぐらい好き?」
「えっ」
至近距離で尋ねられ、一瞬考えに詰まる。
しかし、セランはすぐに勢いよく答えた。
「今まで好きだと思ってきたものの中で一番好き」
「ふーん」
言わせておきながら、返事は軽かった。
ただ、少し照れているのがわかる。
「キッカは?」
「えー、俺も言わなきゃだめか?」
「人に言わせて自分は言わないなんてずるいよ」
「んー」
キッカがセランの頬に口付ける。
いつものくせでくちばしをこすり付けようとしたのだろう。
「雨の翌日の朝に飛ぶ空よりも好きだな」
「それってどのくらい好きなの? 飛んだことないからわからないよ」
「じゃあ、今度体験させてやる。空気が澄んでて気持ちいいんだ。なんの音もしねぇ中で、いつもより眩しい太陽に向かって飛ぶのが好きでさ。……でも、あれよりお前といる方が気持ちいいな」
セランの手をキッカの手が包み込む。
自然と、指を絡め合っていた。
「ちゃんと向き合えてるかな、俺」
「……私に?」
「うん。……俺のつがいに」
こくこくとセランは頷いた。
それを見てキッカが笑う。
「お前からすれば普通じゃねぇことをしたがるかもしれねぇ。でも、受け入れてくれるか」
「うん。だって私、わかっててあなたのつがいになったんだもの」
「ふーん」
「その、ふーん、ってなに」
「いんや? そこまで考えてたんだなーって。俺よりお前のがよっぽどしっかりしてる。さすが、魔王になろうと思った女だな」
「見直した?」
「おー」
ふ、とキッカの笑みが深まる。
「惚れ直した」
セランの胸がさっきよりも強くきゅうっと締め付けられる。
もう一度されたキスの甘さにうっかり酔いそうになった。
いつもくちばしをこするように何度もされて、さすがに動揺してしまう。
「あ、あのね、お昼にはあんまりしないことなんだよ。夜だったら誰も見てないからいいけど」
「今だって誰も見てねぇじゃん」
「私の気持ちの問題なの!」
「…………あー、シュシュがこれ好きな理由わかったわ」
止めようとするセランに、またキスが落ちる。
「反応見るのが楽しいんだ」
「そういう意地悪な楽しみ方をしないの!」
「えー、別に意地悪のつもりじゃねぇもん。本能だよ、本能」
「ほ、本能?」
「なんか狩りのときに似てる」
そう言ったキッカの瞳を見て、ぎょっとしてしまった。
仮面を付けているときは金色の、素顔の今は琥珀色の瞳に熱が見え隠れしている。
もともと目つきが鋭いのもあって、少し恐ろしささえ感じた。狩られる側の気持ちというものをなんとなく理解しそうになる。
「俺、ちゃんと雄だったっぽい」
「そんなの言われてもわからないよ!?」
「いいからいいから」
はむ、とついばまれて逃げそうになる。
くちばしでついばまれるのとはまたわけが違っていた。
「もう一個聞いとくけど」
「今度はなに……?」
「お前、俺の卵欲しい?」
「…………う、産めないと思う!」
「試してみなきゃわかんねぇだろー」
(なにを!?)
もう、セランの頭の中は限界だった。
鳥と人間がつがいになったときにどうなるのか、そしてどうするのか、さすがに曾祖母には聞いていない。
ここから先はセラン自身が実体験で学ぶしかなかった。
「どうする、もう少しここにいるか? それとも、帰るか?」
「……もうちょっとだけここにいる」
先ほど、キッカにはもう襲うなと言われてしまった。
しかしそんなことを言う必要などなかったのである。
思いがけず遠慮のない愛情を見せられたせいで、自分からの行動など考える余裕もないのだから――。




