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「――っていうのが、これを初めて食べたときのこと」
聞き終えたシュクルは小首を傾げて尾を振っていた。
そういった状況に身を置いたことがないため、よくわからないのだろう。
いつもなら「わからない」とすぐ口に出すのに、今は言わない。ティアリーゼの様子からなにかを感じ取ったのかもしれなかった。
ティアリーゼは焼き菓子を見つめる。
そして、ひとくちで食べてはいけないと言われていたのを頭に置きながら、ぱくりと食べた。
「ふふふ、おいしい」
「……そう言うと叱られるのでは」
「あなたしかいないのに、誰が私を叱るのかしら?」
「私は叱らない」
シュクルもティアリーゼと同じように焼き菓子を食べる。
初めの頃に比べてずいぶん柔らかくなった顔が、ふと笑みを浮かべた。
「おいしい。うまい。美味だ」
「でしょう? 私も好きなの」
「……お前はこれを甘いと言う。そういったものを好むのは覚えた」
(そういう言い方をするってことは……)
「甘いのは苦手?」
はっきりと眉間に皺を寄せているのを見て、そう尋ねる。
甘いものが苦手ならば、こういったものをおいしいと感じるのは違うような気もした。
だが、ティアリーゼはシュクルが嘘をつかないと知っている。甘さはともかく、おいしいと思ったのは確かなのだろう。
そんなシュクルがなんだかいとおしく思えた。
「シュクル、あーん」
「……知っている。口を開けろという意味だ」
「そうよ」
シュクルが少しだけ口を開ける。
その口の中にためらいなく菓子を放り込んだ。
シュクルという生き物の持つ獣性がなんであるか知っていながら。
「んむ」
「いつか、あなたの好きなものも食べさせてね」
「むむ」
むぐむぐ食べるところがまた微笑ましい。
あの顎は人間を骨ごと砕く。少し力を入れるだけで、ティアリーゼの指は簡単に持って行かれてしまうことだろう。
それだけの強さを持った相手を、ティアリーゼは恐れなかった。
「私は」
シュクルがこくりと菓子を飲み込む。
「私は、ティアリーゼが好きだ」
「ありがとう。でも、それは食べられないわね」
「痛がるだろうからな」
「うーん……そうね」
そういうわけではない、と喉まで出かかる。
シュクルのこういうところは以前からそうだった。
人間と獣と、違いはいくつでも思いつく。特にシュクルは、育ちのせいもあって獣に近い。なかなかに過激な発言や、一瞬ぎくりとさせられるような不穏な発言も平気でする。
以前、シュクルはティアリーゼをおいしそうだと言った。
もしかしたらいつかは本当に食べられてしまうときが来るのかもしれない。
「……ねえ、シュクル」
「なんだろうか」
「もし私を食べたら、そのときはちゃんとおいしいって言ってね」
「覚えておこう」
ぱたり、とシュクルが尾を振る。
「だが、よほどのことがなければ食べない。尾の手入れをしてもらわなければならないから」
「ふふ、あなたにとっては重要なことだものね」
「お前にとっては違うのか」
「ううん、私にとっても大切なことよ。好きな人に好きなだけ触れるんだもの」
好きな人、と聞いてシュクルは目元を和ませた。
喜んでいるのがわかる。
「ティアリーゼ」
「なあに?」
「私も、共においしいと言える相手がいる方がいい」
シュクルにとっては、大したことのない一言だっただろう。思ったことをただ言っただけで、深い意味などないに違いない。
だが、その言葉はティアリーゼの胸に優しく響いた。
「そうね。私も……その方がいいわ」
もう、誰もティアリーゼの食べ方を咎めたりはしない。
好きなときに好きな人と喋りながら、自分の気持ちをいくらでも伝えていいのだ。
それがどれだけ幸せなことなのか、教えてくれたのもまたシュクルだった。
「私、あなたが大好きよ」
「喜ばしい」
ふるふると尻尾を振るシュクルに、またひとつ菓子を食べさせる。
こんな時間がずっと欲しかったのかもしれない――。
そんなことを思いながら、ティアリーゼは小さな幸せを噛み締めたのだった。




