第七話
書くためのまとまった時間が欲しい……
手首を掴み上げたまま、斬鬼は辺りを睨め付ける。
「見世物ではないぞ。散れ」
眼光鋭い彼女の視線に、周囲で遠巻きに見ていた魔人達は一斉に引き上げる。彼我の力量差を感じ取った彼らは、強者の命令に対して敏感なのだ。
鬱陶しい衆目を一斉に蹴散らした斬鬼。続いて捻り上げた少女の手にある小袋を、ぐいと強引に奪い取る。
「あっ! わ、私のお金!」
「ほう? その大切な金とやらを我が主に仕込もうとするなど、正気の沙汰ではない様に見えるが?」
斬鬼はせせら笑いながら、袋の中身を覗き込む。少女の言った通り、中には黄金色の金貨が入っていた。
だが、結果的に凶器ではなかったからといって、少女に害意がなかったとは言い切れない。事実彼女は、いざとなったらヴィルヘルムへと責任を押し付けるつもりでいたのだから。
腰に提げられた刀に、彼女の雰囲気。これはどうあっても逃げられない、手を出してはいけない相手に手を出してしまったと後悔する少女。
「まあいい。だが我が主に渡そうとしていたのなら、これはヴィルヘルム様の物だな?」
「ちょ、待ちなさいよ!」
だが、そこで黙っていないのが先程の女性だった。斬鬼の雰囲気に当てられる事なく、物怖じしない態度で彼女のことを引き止める。
「なんだ、まだいたのか貴様。目障りだ、とっとと失せろ」
「だからその財布は私のなんだって! きっちり中には三十八ギルガ! 疑うんだったら数えてみなさい!」
ギルガとはこの世界における金貨の単位だ。下からドラド、シルバ、ギルガと三段階あり、いずれも百溜まった時点で一つ上の段階と交換できる。
因みにヴィルヘルムの受け取った袋に入っていたのは八十ギルガである。個人が気軽に持つ様な金額ではない。
とはいえ三十八ギルガも中々の大金である。ここまで彼女が必死になる理由も分かるというものだろう。
だが、普段の従順な態度から勘違いしそうになるが、斬鬼はそもそも冷酷な吸血鬼である。殆どの者を見下し、どこまでも傲岸不遜な種族。それ故に、初対面の相手と接する場合は大抵上から話しかけるのである。
「何故わざわざ私が数えてやらねばならない。貴様のという証拠もないであろうに、これ以上ヴィルヘルム様の時間を取らせるな」
「ああもう、あんたら全員話が分からないわねぇ!」
悪化していく状況。気付けば近くにあった屋台すらも避難しており、周囲にいるのはヴィルヘルム達だけとなった。
さて、一触即発の状況を見てこれはまずいと思ったのがヴィルヘルムだ。折角の旅行(あくまでヴィルヘルム観点だが)をこんな訳の分からない事態で潰されては叶わない。
ひとまず彼女の主張する財布を返してやれば、事態は丸く収まるだろうというのが、無い知恵を絞った結果出した結論だった。様々な面倒事に巻き込まれてこそいるが、基本的にヴィルヘルムは善人である。
一歩前に出ると、斬鬼の手に乗っていた包みを取る。彼女は疑問に思いつつも、そこは敬愛するヴィルヘルムのやる事、一切の抵抗なくそれを受け入れる。
だがーーそこで問題が発生してしまった。
(あ)
つるり、とヴィルヘルムの手が滑る。
慌てて掴み直そうとする余裕すらなく、包みは口を下に向けながら地面へと落下。重力に引かれた物体がどうなるかは、言わずともわかる事だろう。
鈍い音を立てて、総勢三十八枚の金貨が、石畳に乱反射してあちらこちらへと散らばる。とてもでは無いが、収拾がつかない状況。
さて、繰り返しになるがヴィルヘルムは基本的に善人である。故にこの行為は、彼にとってはどこまでも単純なミスだ。
だが人間関係とは難しいもので、当人がどう思っていようと第三者は全く異なった解釈をすることもある。ましてや、誤解されやすい彼の性分からすれば何を言わんや。
無表情のまま渡すそぶりを見せたと思えば、直後にそれを落としてみせる。女性からすれば、それは挑発以外の何物でもなかった。
「あ、貴方ねぇ!!」
「口を慎め小娘が!! 私への無礼ならまだしも、この方への暴言は問答無用で斬り捨てるぞ!!」
斬鬼は素早く刀の柄に手を掛け、抜刀の準備。女性も素人では無いのか、相手の行動に合わせて木製の杖を引き抜く。
直後、両者の硬直。お互いにお互いの殺気をぶつけ合い、ピリピリとした張り詰めた空気が辺りを包む。
「貴女正気? 剣士が魔法使いに勝てる訳ないじゃ無い」
「それはこちらの台詞だ。この距離なら確実に私の刀が先に届く」
開戦間近の状況に、誰一人として口が出せない。両者とも緊張が最高潮に達しているのか、構えた状態からピクリとも動かないのだ。
止めるべき立場のヴィルヘルムも固唾を呑んで見守る。斬鬼の上司という立場上、こんな所で黙りこくっているのは如何なものではあるが。
「あ……」
と、その時。ヴィルヘルムの背後に隠れていた少女が、僅かに声を上げる。
その場にいる全員が彼女へと視線を向ける。少女はビクリと肩を震わせると、恐る恐るといった様子で話し始めた。
「えっと、その……言いにくいんですけど……」
「静かにしろ童。要点だけ、必要な所だけ簡潔に伝えろ」
「うう……えっと、この金貨なんですけど……」
斬鬼の脅しに泣きそうになりながらも、少女は落ちていた金貨を一枚拾い上げる。
すると何を思ったのか、表面を爪でガリガリと擦り出したでは無いか。間近で見ているヴィルヘルムも意味が分からず、瞳の奥には疑問の色が写っていた。
一部斬鬼のような気の短い者は若干苛ついていたが、それでも静かに少女の作業を待つ。
やがて、擦る音が止まる。少女は顔を上げると、納得した表情を浮かべた。
「やっぱりーーこれ、偽金貨です」
「何?」
「何ですって!?」
慌てて女性が駆け寄り、少女の手にした金貨をひったくる。確かに彼女の言った通り、爪で削った部位は鈍い茶色の輝きが見えていた。
貨幣はその性質上、ギルガなら金、シルバなら銀、ドラドなら銅と一つの材質で出来ている。その為、削った結果違う色の金属が出てくるということは本来ありえないのだ。
「銅色……これドラド!? 嘘、どこでこんな!?」
「多分、どこかで騙されたんだと思います。変なところで買い物すると、八割くらいメッキを張ったギルガやシルバだったりしますし……」
「ほう……童、これにいつ気付いた?」
「えっと、この方が金貨を落とされた時に、です……」
この方、でヴィルヘルムに手を向ける少女。この短い間で、彼をぞんざいに扱うと斬鬼が怒りだすという事がしっかりと分かったため、対応が若干慎重になるのも仕方のない事である。
続いて視線を向けられたヴィルヘルム。しかし先ほどまでの剣呑さとは打って変わって、その目線に含まれたものは感心だった。
「という事はこれすらも予期されて……流石ヴィルヘルム様。私如きでは考えもつかない事でした。ただひたすらに感服いたします」
(え? 話が見えないんだけど)
斬鬼の前に掛かれば、偶然すらも必然と化す。妄信とはかくも恐ろしいもので、場合によっては真実すらも容易く歪めてしまうのだ。
そして、その弊害は周囲にまで。
「え? そうなんですか? 少し見ただけで気付けるなんて……」
「あれ、馬鹿にした訳じゃ無かったんだ……」
こうして彼の勘違いはどんどん加速を続けていく。彼の態度にも問題があるが、それを周りの環境が助長させているのもあるだろう。
ただ言えるとしたら、『これは酷い』の一言である。
「偽金貨の処理は小娘に任せるとしましょう。それよりもヴィルヘルム様、お部屋の準備が整いましたのでご案内いたします」
「ちょ、小娘って……くっ、もう聞いてないし」
状況は良く把握できないが、とりあえず斬鬼に従っておけば問題無いだろうとの判断するヴィルヘルム。実際間違っていないというのがまた始末に負えない。
「おや、これは串焼きですか……え、私に? あ、ありがたき幸せ! 一つ一つ噛みしめながら頂きます!!」
そう言ってヴィルヘルムから貰った串焼きを幸せそうに頬張る斬鬼。先ほどとは打って変わって幸せそうな表情を浮かべる彼女を、少女達は茫然と見送るのだった。