第五十六話
「これで二匹目、っと……」
無詠唱で放たれた雷の初級魔法、『ショックボルト』が兎型の魔獣を高速で貫く。直撃を食らった魔獣は、悲鳴をあげることも無く倒れ込んだ。
アンリは獲物の耳を引っ掴み持ち上げると、軽く地面を爪先で叩く。その軽い動作だけで魔法陣が展開されると、一瞬にして彼女はその場から消えた。
再び現れた先は、斬鬼とアンリの馬が繋がれている場所。つまり彼女達の野営地だ。最も、昼中の為野営地とは言いつつもテントすら張られていない休憩地点のような物だが。
座る馬にもたれ掛かりながら、一枚の羊皮紙を眺める斬鬼。アンリが彼女に声を掛けると、僅かに顔を上げてチラリと目を配った。
「お昼持ってきたわよ……って何読んでるのよ」
「ラクレントへのルート確認だ。別段特筆するものでもない」
羊皮紙を巻き取り、腰元にしまう。斬鬼はゆっくりと立ち上がると、置いてあった小枝の束を放り投げた。
「薪木は集めておいた。魔物は適当に丸焼きにしておけ」
「集めておいたって……燃やすくらいはやってくれてもいいじゃない。そんな手間でも無いでしょうに」
「私がやれば一瞬で消し炭になるだろうが、お前は煤でも食いたいのか?」
「加減しなさいよ加減。火力調節なんて普通の料理でもする事よ」
文句を言いながらも、アンリは小さな種火を指先から生み出す。枝に点火すると、炎は一気に燃え上がった。
「……貴様らニンゲンはいつも魔法を使っているな。それも、魔法を使わずに済む事まで」
「まあ確かにそうね。でも魔法を使った方が便利ってのもあるし、折角あるんだから使わなきゃ損じゃない」
そう言いつつ彼女が軽く兎魔獣を叩くと、一瞬にして皮と肉、そして骨と内臓がバラバラの状態になる。さり気なく魔法を行使しているアンリだが、その全ては常人であれば到底行えない領域の魔法操作技術が必要となるレベルの魔法だ。
例えばこの兎型魔獣をバラバラにする魔法。ただパーツをバラバラに分解するだけに見えるが、その一瞬で行われていたのは極小の転移魔法だった。
一瞬の接触によって魔力を流し、構造を把握。全ての座標を特定した後、転移魔法の連続によって分解。行なっている事は小規模だが、その技術は並大抵の物ではない。
正面からの戦闘であれば斬鬼は余裕を残して勝ち切るだろう。しかし、いかに彼女が最強の吸血女王であったとて、ここまで繊細な作業をアンリ並みの速度でこなせるかと言えば話は別だ。
「……小器用なものだな。私にはとても理解出来んが」
改めて人間を理解し難い存在と認識した斬鬼は、残った片方の兎をアンリから引ったくる。
「ちょっと、それまだ分解してな──」
彼女が制止の声を上げる暇もなく、斬鬼は大口を開けて頭から噛みちぎる。
うぇ、と思わずアンリから声が漏れてしまったのも仕方ない。いくら斬鬼が美しい外見をしているとはいえ……いや、美しい外見をしているからこそ、バキバキと骨ごと噛み砕く様はショッキングが過ぎた。
容姿があまりにも人間らしく(最も、魔人全般は『人間がこちらに似ているだけ』との事らしいが)、その上スキルを使ったところで人外の姿になる訳でもない為忘れがちだが、彼女は本来吸血鬼である。ヴィルヘルムと出会ってからは体裁を気にして行儀良く食べるようになっていたが、それ以前、斬鬼がただの斬鬼であった頃は当たり前のようにこうして食べていたのである。
アンリの兎が焼き上がる前に全てを食べ終えると、口元についた血を拭う。
「相変わらず魔獣は不味いな……肉質も魔力も粗悪だ」
「だから食料くらい持って来たかったのに、さっさと出るからこうなるのよ」
「フン、食など腹を満たせれば充分だ。貴様もさっさと食え。森を抜ける間に日没になっては都合が悪い」
「人間は生じゃ肉を食べられないのよ……」
アンリは炎魔法で肉を軽く炙り、味付けの為にとっておいた塩を取り出す──と、そこまでやろうとした所で、肉を掴もうとした手が空を切った。
「あれ?」
さっきまであった筈の肉が無い。良い感じに焼けて、良い匂いを放っていた筈の肉が。
「わ、私の肉が無い!? 嘘、何で!?」
「……言っておくが私では無いぞ」
慌てて斬鬼のことを見るも、見られた斬鬼は訝しげな顔をするばかり。そもそも、彼女が食べるなら堂々と正面から盗み取っていくだろう。では誰が?
「んむんむ……うむぁ〜い!」
それは唐突だった。誰もいない筈の背後から、何故か少女の声がする。
「……え、だ、誰?」
「んぐんぐんぐ……ふぁふぁふぃふぁふぉーひはふはほ」
「出来れば食べるか自己紹介のどちらかにしてほしいんだけど……」
「……はむはむはむ!」
「そこで本当に食べ始めるの!?」
赤髪の幼女がむしゃむしゃとアンリの昼食を食べている。その様子を見ていた斬鬼は、静かにアンリの肩へ手を置いた。
「……諦めろ。あの方はある意味魔王様以上に傍若無人だからな」
「斬鬼の知り合い……しかも若干敬語……って事はもしかしてだけど……」
「中々察しがいいじゃないか。無駄な解説が省けて助かる」
この疲れた様な顔にはアンリも見覚えがある。主にヴェルゼルを相手にしていた時と同じだ。
「彼のお方は《渇望》のノーチラス。天魔将軍の一人であり、魔王軍の技術顧問でもある方だ」
斬鬼の言葉を聞き、アンリは再び少女を二度見する。
「んむ……ぷはぁー、美味かったー!」
「……あの子が?」
「あの方が、だ」
改めて凝視してみるが、それでも天魔将軍としてのオーラは感じられなかった。寧ろヴィルヘルムとヴェルゼルのオーラが別格だったという事もあるのだが……。




