第五十四話
「ええい、後詰めの兵とやらはまだ来ないのか……!」
斬鬼は城の天守から、苦々しい表情で外を睥睨する。
魔王から直接の通信が来てから早五日。兵を差し向けるだけならばそう難しくもない、とうに着いていてもおかしくない日数が経過したが、未だに制圧用の兵達は姿を見せていない。
露骨に怒りを露わにしているが、まあ彼女の怒りも仕方のない事だと言えるだろう。なにせ、現状マギルス皇国の政務を統括しているのは彼女なのだから。
いくら斬鬼の政務能力が高くとも、一国の政務を一手に引き受けられる程のキャパシティは無い。現状はマギルス皇国の役人をそのまま流用する事で僅かながらも負担を解消しているが、それでも大部分は斬鬼へと流れていく。
重要な政務は斬鬼の信を置ける者にしか預ける事が出来ないが、現状この場にいるのはヴィルヘルム、ミミ、アンリの三人。
アンリはまず人間側という疑いが晴れていないので不可。ミミにはいくつか触らせているが、不慣れな部分も多い為押し付けられる量は少ない。
そしてヴィルヘルムに至っては論外。頼む事すらおこがましい……というかそもそもその考え自体斬鬼の頭の中には無かった。
そんなこんなで、最早彼女の仕事はパンク寸前。それでも増援が来るまでの辛抱と考えていたのだが、それがいつまで経っても来ないのだからフラストレーションも溜まるものである。
正に怒りが有頂天といった雰囲気の斬鬼に、ミミが恐る恐るといった形で話しかける。
「やはりヴェルゼル様のアレが関係しているのでしょうか……ここまで音沙汰が無いと、あの発言が本気のものだったとしか」
「……まあ、考えられるのはそれだろうな。あの魔王様がそう簡単にやられるとも思わんが、それでも不意を打たれれば或いは……」
ヴェルゼルによるクーデターの宣告。中々あり得ることでは無いが、仮にそれが成功していたとすれば確かに援軍を送れる状況では無い。
本国が落ちたとなると、彼らは遠く離れた異国において孤立したということになる。だとすれば、今すぐにでもこの国を放棄して自国領へと帰還しなければならないのだが……。
「……仕方がない。かくなる上は私が単独でラクレントへと行くしかなかろう」
「ざ、斬鬼様が自らですか? しかしそれでは、色々と支障があるのでは……」
「背に腹は代えられん。これで本当に魔王様が斃れてしまっていては元も子もないからな……それに、仮に奴が魔王に成り代わっているのであればヴィルヘルム様にとっても絶好の好機。これで気兼ねなく下克上を果たせるというもの。そう考えれば、むしろ現魔王には斃れて頂く方が……」
「……斬鬼様が一番魔王様の敗北を願っているかもですねぇ」
黒い笑みを浮かべる斬鬼は、勢いそのままに玉座へと跪く。
「ヴィルヘルム様、どうか暫く私めが国を、そしてお側を離れる許可を。お手間を取らせる分の、いやそれ以上の働きをご覧に入れましょう」
恐らく彼女の中では既にヴィルヘルムの最短魔王ルートへの方程式が出来上がっている事だろう。ヴィルヘルムの栄誉に目が眩み過ぎて、色々とガバガバになっている事は否めない。
「(……この椅子めっちゃ柔らけぇ。柔らか過ぎて座りにくいんだけど)」
そして、その玉座におわす当のヴィルヘルムはというと、相変わらずしょうもない事を考えていた。バカである。
しかし、彼も毎度毎度話を聞いていない訳では無い。少なくとも目の前で相手が怒っていれば、怒りの原因を探ることくらいはする。幸いにして、彼は学習のできるバカであった。
「(うーん、でもクーデターとか起こってる所に斬鬼一人で送り込むのもなぁ……ミミはまだ子供だし、俺は多分着いて行こうとしてもめっちゃ拒絶されるだろうし……)」
斬鬼が恐ろしく強いという点を除けば、彼の心配は最もである。彼女の単独行動を憂うヴィルヘルムは、しばし考えた後に一つの名案を閃いた。
「(そうだ、ならいっそアンリを着いて行かせればいいのでは?)」
アンリは随一の魔法の使い手であり、対応力や手数で言えば斬鬼をも上回ることが出来る。確かに人材だけ見ればこれほど適切な配役は無いと言えるだろう。
だが、重篤な問題として彼女達は仲が悪い。いくら能力が適切でも、いがみ合っていては話にならないのである。少し考えれば分かる事だが、一体何故ヴィルヘルムはこれを名案と思ってしまったのか。
「(前読んだ本にも『喧嘩するほど仲が良い』って書いてあったしな。うん、拳で語り合えば後は自然に仲良くなってくれるでしょ……多分)」
残念ながら、彼は学習しなければ分からないバカであった。こんな知識を植え付けてしまった本の作者には是非とも反省を促したい。
「……良いだろう、許可する。但し、一つ条件を付けよう」
「は、何なりと!」
「……此度の任、アンリと共に行動せよ」
「──っ!?」
これに一番驚いたのは他でも無い、すぐ側で壁にもたれ掛かっていたアンリだった。
「ちょっと待って! それは幾ら何でも……ムグッ!?」
「……承りました。仰せの通りに」
咄嗟にアンリの口を押さえつけ、反論を許さない斬鬼。恨みがましくアンリが見つめてくるが、渋い顔をしながらも彼女はそれに取り合わなかった。
勿論、斬鬼も異議がなかった訳では無い。だが、彼女にとってヴィルヘルムの言葉は絶対。彼の判断は常に正しく、自分よりも二歩三歩先を読んでいるのである。それに異議を唱える事自体有り得ないのだ。
彼がそう言うのであれば、一見意味が無くとも何かがあるはず。少なくとも斬鬼はそう考えている。実際には大した事も考えてはいないのだが……。
そんな事は露知らず、ヴィルヘルムは「久々に良いことしたな」などと呑気に構えている。この男、どこまでいってもマイペースなのはいっそ才能なのかもしれない。
「私がいない間の政務は……仕方ない、ミミ。貴様に任せることにしよう」
「み、ミミがそんな大役を……! でも頑張ります! ミミ一人でも、留守を預かれるのです!」
目をキラキラとさせながら勢いよく頷くミミ。戦闘面では役に立たないと自覚している分、こういった面でヴィルヘルムの役に立てるのが喜びになっているのだ。
その様をボーッと見つめていたヴィルヘルムだったが、ふと大変な事に気付いて顔を上げる。
「(……あれ? このままだと俺って子供に仕事任せてブラブラするクズヒモ人間になっちゃう?)」
現状もただのヒモである事はさておき、確かにこのままでは彼は只のニート同然である。(最も、斬鬼に関わらせて貰えなかったという節はあるが)
「(……も、もう少し仕事くらいはしよう……いくら俺でもミミの手伝いくらいなら……うん)」
心の奥でこっそりと情けない決意を固めたヴィルヘルムであった。
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