第三十二話
「フフ……我の一撃を凌ぐとは、敵ながら大したものよ。だが、その余裕もいつまで持つか……」
「先ずは謝りなさい」
「あたっ!?」
アンリに頭を叩かれる黒衣の人物。その衝撃で目深に被っていたフードが外れ、その人物が女性であるということが分かった。
腰元まで届くかという黒髪は二つに結ばれ、動きやすそうに纏められている。アメジストの瞳は強気そうに吊り上っているが、そこにはアンリに叱られた為か涙が溜まっており、そのイメージはすっかり半減している。それはヴィルヘルムやアンリよりも幾分か低い身長も関係しているのだろう。
何より特徴的なのが、片目に着けられた眼帯だ。黒字に赤といかにも禍々しそうな意匠が施されたそれは、どう見ても医療用といった風には見えない。
少女は怒られたとはいえどうにも納得がいかないのか、目に涙を溜めながらも頬を膨らませそっぽを向いた。
「ほら、自己紹介は?」
「……わ、我の名は容易く教えられる物ではないもん……」
「もんって……貴女何歳よ」
やれやれと呆れた様に首を振ると、アンリは彼女の代わりに口を開く。
「この子はイシュタム。まあ……見ての通りちょっと特殊だけど、正真正銘私の妹よ」
以前にアンリから二人ほど姉妹がいたというのは聞かされていたが、それを目にするのはヴィルヘルムにとって初の事である。
普通ならば『それがどうした、当たり前のことだろう』と思う事だろう。だが考えて欲しい。ヴィルヘルムは多少アンリと話せる様になったとはいえ、絶賛コミュ障を発症中なのである。
コミュ障にとって『友達の友達』というのは最も忌むべき天敵だ。会話の種も見つからず、さりとて他人と言えるほど無関係という訳でもなく。あからさまに避けるのもどこか角が立つと思われる為、避けるという選択肢は選べない。
なによりいけないのが、この関係は相手も喜ばないという事だ。話し辛いというのは誰しも同じ、しかし相手がヴィルヘルムというコミュ障になる事によって、折角の気遣いで振った話題も大抵は無駄になってしまうのである。
コミュ障とはいえ空気くらいは読める。故に、自身の言動が明らかに邪魔をしているとなれば、只々羞恥心と申し訳なさで痛み入るのが常だ。
ヴィルヘルムの場合そういった感情は無表情で誤魔化せるのだが、それで大抵恐れ入るのが相手側である。まさに無言の圧力とでも言うべき眼力によって、相手はしどろもどろになる為、それもヴィルヘルムが会話という行為を避ける一因になっているのだろう。
……本来ならば。
「……フ、我は実に平凡よ。闇に浸された精神はこうして俗世に浸かる事で、再び輝きを取り戻せる。元より昏き力を行使する者として、我は牙を失ったのだ。それとイシュタムはあくまで我が仮の名。真名……いや、『神名』は別の位相に隠されているのだよ」
「まーた変な事言い出して……初対面のヴィルヘルムもいるってのに私が恥かくでしょーが!!」
「恥? 恥など捨てよ。俗世を謳歌する者が感情を抑え込むなど、実に非生産的だ」
「……誰のせいか今一度分からせる必要があるみたいね……」
「む、待て、我が尊顔に許可無く触れるなど……い、いふぁい!!」
頬を引っ張られて痛い痛いと喚く少女、イシュタムの事を、ヴィルヘルムは興味深そうに見つめる。
彼の経験上、初対面で怯えられる事や恐れられる事、喧嘩を売られる事は多々あっても、こうして他者と全く同じ様な態度で接されるというのは初めての事であった。
……まあ正確にはヴィルヘルムと話している訳では無いが、生憎と初対面で緊張している彼にはそんな事些細な違いである。
「とにかく、人に向けて魔法使ったんだから早く謝りなさい!」
「わ、わへはうふふほりははっはほん……(わ、我は打つつもり無かったもん……)」
「まーだ何か口答えしてるわね? そんな悪い子には……こうよ!」
「むひぃー!!?」
さらに力を込めた事で、イシュタムの頰がぐにょんと横に伸びる。さしもの強がりもこれには堪えたのか、バタバタと両腕を振って抵抗の意思を伝える。
「わ、わふはっは! わへはわふはっは!(わ、悪かった! 我が悪かった!)」
「む、謝ってるみたいね。全く、変に意地張らなきゃ良いのに」
ペチン、とゴム毬の様に頬が戻る。側から見る分には滑稽で面白い光景だが、本人からすれば堪ったものではないだろう。
痛む頬をさすり、ぬぐぐとアンリを恨みがましそうに睨むイシュタム。このまま彼女に喧嘩を売っても勝ち目が無いと察したのか、続いて矛先を隣にいたヴィルヘルムへと向ける。
「……して、そこな男は何者だ? 我も知らぬ間に配偶者でもこさえて来たのか?」
「はっ、配偶者!?」
しかし、その言葉に一番反応したのはアンリだった。
イシュタムの言葉に何か思うところがあるのか、さあっと顔を紅潮させる。
「べ、別に配偶者じゃないし! 私はあくまで付いてきただけっていうか……いや無関係って訳でも無いけど、それでもそういう関係じゃないって訳であって」
と、そこまで捲し立てた所でハッとした表情に戻るアンリ。
「……我はこの者に問うたのだが……うむ、まあ、その、なんだーー我が同胞が彼奴に好」
「とりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ヒュゴッ!! という謎の風切り音が響く。
瞬間的に放たれた、アンリ渾身の回し蹴り。魔法使いらしからぬ身体能力に、魔法使いらしく身体強化の術を掛けられたその一撃は、イシュタムの鼻先数センチを掠め、あろうことかその爪先を側壁へとめり込ませた。
パラ……と落ちる石の破片に生唾を飲み込むヴィルヘルムとイシュタム。一歩間違えれば自身の頭が柘榴の如く吹き飛んでいたであろう事は想像に難くない。
「……ひ、久々の家族へのスキンシップとしては、随分と、過激だな」
残念ながら絞り出された震え声では、いくら偉そうな事を言っても虚勢にしか聞こえない。
「家族なら言っても良いラインとダメなライン、分かるわよね?」
「あ、アイアイマム……」
日に何度脅されれば気が済むのか、壊れた人形の様にカクカクと頷くイシュタム。それを見て満足そうに頷くと、念の為ヴィルヘルムにも振り返る。
「何か聞いた?」
「……いや、何も」
(怖ええええええ!!! 危うく腰抜かすとこだったわぁぁぁぁぁぁ!!! うひょぉぉぉぉぉぉ!!!)
鉄面皮の裏、内心が阿鼻叫喚の大騒ぎとなっているのは、最早いつも通りのことである。スキルが無ければ吹けば飛ぶような存在であるヴィルヘルムは、日常生活ですら危険が一杯なのだ。
混乱のあまり脳内でコサックダンスを行う程だったが、当然緊張でガチガチに固まった体がそれを表に出すはずもなく。
一連の行いを誤魔化しきれた(と当人は思っている)アンリはヨシ、と一つ頷くと、何事もなかったかの様に話を戻す。
「それで聞きたいんだけど、ママ達って引っ越したの? 一体何処に住んでるの?」
「む、その事か……。確かに我らは拠点を異なる場所に移した。ああ、勘違いするなよ? 別に仕送りが足りなかったとか、金関係の問題では無い」
彼女はアンリが不安に思っていた点を真っ先に否定すると、次いで周りに聞こえない様な、低い声で語り出した。
「落ち着いて聞いて欲しい……我等は追い出されたのだよ。それも、正真正銘国の手によってな」
ーーヒュウッ、とアンリが息を呑む音が響いた。
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