第一章 「善意と欲望」 2-3
2.
それから三日が過ぎた日の月曜。西園寺結美は転校生としてこの学園に転入してきた。
運がいいことに彼女と自分は同じクラスになったので、クラスが別々じゃないので話しかける機会さえあれば接触は容易いだろうと最初は思った。
朝のHRで担任から転校生として紹介され、クラスメイトたちに挨拶をした彼女の印象は悪くなく、明るく清楚で礼儀正しい女の子とクラス全員からすぐに認知された。加えて容姿も悪くないどころかかなりの美人であったため、結果としてうちのクラスのみならず同じ学年の生徒全員から注目を集めることになった。
『参ったな……。これじゃ西園寺さんに近づこうにも近づけない上に、運良く接触できてもロクな会話も許されないぞ……』
こっちに邪な気がまったく無くても、前触れもなく彼女に気安く話しかければクラスの男子から嫉妬の目線を大量に買うことになる。嫉妬に関しては亮太をに仕立てて誤魔化せばいいにしても、魔術師として西園寺と今後関わっていくのであれば、多数の視線を浴びるのは可能な限り避けておきたい。
しかし、そうなると西園寺に俺が魔術師であると伝えるための機会が大幅に制限されることになる。桂子さんも彼女に対して、自分の弟子が彼女と同じ学園に通っている事しか伝えておらず、俺の名前も特徴も彼女は何一つ知らない。なので彼女の方から俺に接触を図るようなことは万が一にも起こり得ない。
そもそもこうした連絡役のような役回りの経験が皆無である自分にとって、接触できたところでそれを伝えるための上手い手段が思いつかない。まさか自分は魔術師であると口頭で説明するなんて馬鹿げている上に油断も極まれりの愚行だ。
西園寺との接触の機会を見つけるよりも、自分が魔術師であることを密かに伝える手段の方をを先に考えておかないとかなり厳しい状況である。
『桂子さんもせめて俺の名前を伝えるくらいのことはしてくれてもよかったんじゃないか?目隠しされたも同然の状態で相手との人間関係を構築しろなんて、ただの嫌がらせとしか思えないぞ』
慣れてしまったとは言え、用意した仕事をなんでもかんでもぶっつけ本番調子で与えてくるのは勘弁して欲しい。
『――やっぱり、この方法でやるしかないか。少し強引かもしれないけど、ろくに魔術を使えない俺に他に確実で安全なやり方なんて無いだろうしな』
しばらく悩んだ末に俺は頃合いを見計らって自分の魔力炉心を稼働させ、僅かに放出させた魔力を信号代わりに西園寺へ伝える手段を取ることに決めた。
西園寺がこちらのことについて知っているのが管理代行者の魔術師の弟子が同じ学園に通っているという情報だけである以上、彼女と直接接触を図るよりも近くで魔術を行使し、こちらの存在に気付いてもらう方が、まだ確実で安全だ。
問題があるとすれば、西園寺だけでなく他の魔術師にも俺の存在を知らせることになってしまう可能性だろう。だが一年以上もこの学園で過ごして、今までに念入りな調査をしてきた限りでは他に魔術師がいるような気配や行使された魔術の痕跡等は見つかっていない。
魔術の痕跡とは気配とは異なり、一度行使したら時間経過以外でその痕跡を隠滅することは完全にはできない。可能にする方法もあるにはあるが手間と時間が掛かりすぎるため、協会の手から逃れて自身の目的を果たしたい外野の魔術師たちにとっては自分の身元と目的が明かされない程度に隠滅できればそれで充分なのだ。その形跡が見つかってない以上、俺以外の魔術師はこの学園にいないと考えていい。
とは言えこの方法、その場しのぎの下策であることには違いないので、帰ってこの事を桂子さんが聞いたらため息と冷ややかなお説教を貰うのは確定だろう。が、そこはもう腹を括って今は西園寺と接触することだけを優先しよう。
西園寺に接触するための大筋の算段を立て、決行する機会を窺いながら過ごしているうちに、いつの間にか昼休みの時間を迎えていた。
どうやら西園寺は教室に残って昼食を済ませるらしい。机の上の教科書を片付け、鞄の中からコンビニで買ったであろうサンドイッチを取り出して封を開けて食べている。
西園寺の席は教室の窓際一番後ろ――俺の座っている席から二席分挟んだ左斜め後ろの位置にある。教室の隅の狭い空間だというのに彼女の周囲には転校生である彼女に興味津々な同じクラスの女子生徒が何人も集まって話しかけていた。
ちなみに俺の席は教室の真ん中あたりのところに位置している。亮太の席は俺の場所から席を二つ挟んだ右の真横に、そして白藤の席は一つ席を挟んだ真後ろだ。……もし白藤の席と直接真後ろだったらと思うと、別の意味で息が詰まりそうである。
西園寺の周囲にいる人間は数える程度で、見た感じでも感の良い類の人種であるようには思えない。タイミング的にも仕掛けるならば今だろう。
『――。、』
心中で静かに詠唱を唱え、俺は自身の魔力炉心をゆっくりと稼働させる。
『――出力安定。――閉鎖隔壁、第一開放ッ』
炉心の稼働と魔力の循環を安定させ、今度は放出させる魔力の調整を済ませると、俺は意を決して魔力を放出させた。
「ひゃッ!?」
「あれ?西園寺さんどうしたの、急に悲鳴なんて上げて」
「顔の前に虫でも横切った?それとも舌でも軽く噛んだ?」
「ううん、なんでもない。ちょっと、軽く寒気を感じただけだから……」
周りのクラスメイトにそう返事をすると、「風邪?」とか「それなら保健室に行った方がよくない?」といった周囲の気遣う声には一切見向きせず、西園寺は感知した魔力がどこの出所か探るように教室の中を見渡し始める。
放出させた俺の魔力に同調して彼女の魔力炉心が突如励起し、循環した魔力が身体の中を這いずり回る感覚に突如襲われたのだ。驚いて警戒するのも無理はない。
『威力をさらに弱めてもう一度やるか。それで俺に気づいて、こちらに敵意が無いこともついでに伝わってくれれば嬉しいんだけど……』
意図が伝わって上手くいくのか、誤解を招いて失敗してしまうのか。どちらに転ぶかの予想もつかぬまま、俺は出力の調整を施して再度魔力を放出する。
すると正体不明の魔力の出所を探るために教室を見渡していた西園寺が、俺の席がある方向に目を向ける。おそらく目星はほとんど付いていたのだろうが、今の放出で魔力の出所が俺であることを確信したらしい。
俺はなるべく失礼の無いように会釈をするが、訝しむように見つめてくる彼女の視線に収まる気配は感じられない。彼女に対してこちらに敵意がないとまで伝わってくれるのは流石に虫が良すぎる考えだったようである。
『だけど、参ったな……。声をかけて気軽に挨拶できるような状況じゃないし、そもそもなんて声掛けたらいいのかすら思いつかねぇ』
できれば今すぐにでも事情を説明して今後についての話し合いをしたいが、人目につかず西園寺と会話をするには教室では視線が多い。今近づけば何のためにこんな回りくどいやり方で彼女に呼びかけたのか分からなくなってしまう。
『とりあえず、簡単な自己紹介を放課後までになんとかするとして。問題は彼女との話し合いを放課後にどこでやるべきなのか、だな』
入念に下準備を整えて挑んだつもりだったが、その実穴だらけで甘い部分が多く、自分が未熟であることを改めて思い知らされる。結局、人目に付かないことと移動に手間を掛けないことを考慮した場所にすることにし、自己紹介する時に場所の提案をしようと決めた。
帰りのHRが終わり、帰り支度を済ませたクラスメイトたちは部活か下校で次々と教室から出ていく。亮太も今日は予約していたゲームの発売日であるとのことで早々に教室から去っており(明日は遅刻確定だろう)、白藤も珍しく俺に剣道部への招集を命じることなく部活に向かったようだ。
かく言う俺は帰る準備を済ませていながら教室を出ず、また何をするでもなく時間が過ぎていくのを待つだけ。決して無意味にというわけではないが、誰もいない教室で長時間手持ち無沙汰に待つというのは思いの外きついものである。
「……よし、そろそろいい時間かな」
そうしてその後もしばらく待ち続け、時計が五時を指した辺りで俺は鞄を手に取り教室を出る。だが教室を出たのは下校するためではなく、西園寺と約束した待ち合わせ場所へ向かうためだった。
午後の授業中、俺は周囲の人間に気づかれないよう密かに手紙を回すなどしてなんとか西園寺と文面でなんとか挨拶を交わし、そして事情の説明をした上で放課後に直接会って話し合いたい旨を彼女に伝えた。昼休みの件でかなり強引に西園寺へ接触を図ったことと、それについて彼女が理解してくれるかどうかの不安がどうしても残っていたが、やり取りの最後に彼女から話し合いについての了承を貰えたことでひとまず安堵できた。
ただ、その際に話し合いをする場所として――色々考えた結果、普段立ち入り禁止で誰かが来る心配もないだろうと思い――学園の屋上を提案し、それについては西園寺も了承してくれたが、その際に彼女から自分が先に屋上に行って待つのでこちらが指定した時刻になってから来て欲しい、という要望を受けたのだ。人目を避けるためというのももちろんあるのだろうが、やはりこちらに対する警戒心がまだ残っていることからの念を入れた彼女なりの予防策なのだろう。
「まあ、仮に強引な呼びかけをせず彼女と接触できていたとしても、この要望自体は当然の配慮だろうけどな。俺だって顔を合わせたこともない相手のペースに何でもかんでも合わせる人間なんて、嫌とか以前に危機管理能力が無いとしか思えないし」
向こうの意思とか都合が何であれ、そんな信用の置けない人間とこれからの方針について話し合うことになるなんて、少なくとも俺は御免である。そういう意味では西園寺が示したこの対応に、どこか安心みたいなものを感じたのが正直なところでもある。
階段を上がりながらそんな呟きを漏らしているうちに、俺は西園寺結美が待つであろう校舎の最上階、屋上の扉前へと辿り着く。今さらながらに高ぶってきた緊張をほぐすために、大きく息を吸って深呼吸をすると俺は意を決して屋上への扉を開けた。
「うっ、眩し……ッ!そういやここ、方角が西向きだから夕陽がダイレクトに当たるんだったよな」
視覚強化の魔術を素早く施したので視界はすぐに戻ってきたが、扉を開ける前にそれをしておくべきだったかもしれない、と一瞬後悔した。また、照りつけてくる夕陽の強さは相変わらずなので眩しくはないが顔が熱い。向こうからの要望であったとは言え、こんな環境で長時間待たせてしまったことも考えると、少し申し訳なく思ってしまう。
「…………あ、あの。もしかして、相原君、よね?」
「え?――って、あっ」
夕陽の眩しさが落ち着いたところで、誰かが俺を呼びかけてきたのに気づき、声の聞こえた方に顔を向ける。すると、すぐ隣のフェンス近くに佇んでこちらを見つめている、今日一日教室で見た時から寸分変わらない西園寺結美の姿が目に入った。
「あぁ……えーと、はじめまして。一応手紙で自己紹介はしたと思うけど、君が以前会った魔術師、林桂子の弟子でこれから君との連絡役を任されることになった相原洋介、です。よろしく……」
「え、ええ。その、この度故郷のこの町に帰ってきました、瀬戸口の土地管理者である西園寺家の当主、西園寺結美、です。よろしくお願いします……」
「…………」
「…………」
き、気まずい……っ!
初めの挨拶はなんとか交わすことができたものの、ぎこちない上にその後にかけるべき言葉がお互い見つからない。いや、彼女と何を話せばいいかについては最初からもう分かっている。ただ、分かっていても初対面の相手に対するよく分からない遠慮や、失敗が許されないという厳しい状況が話しにくい雰囲気をさらに重くしてしまっている。
「……えっと、その。……ここにはいつくらいに戻ってきたの?」
「……え、えっ?」
「ああっ、いや!その……、街の変わった部分とか、もう把握できてるのかなって思って。ほら、ここに戻ってきたの確か一○年振りとかそれくらいだったでしょ?小さい頃に覚えていた道だったり、記録にあった地脈の基点とかが分からなくなったりしてるのかなって思ったから、それで……」
「――あ。え、ええっ。まだ全部は……。街のつくりや雰囲気も随分変わっているみたいだし、地脈の方も、この間森の方へ見回りと忍び込んだ敵の始末も兼ねて確認を済ませた分以外では、細かい基点や流れの向きまで把握出来てないところも多い、ですね……」
「あぁ、そうなんだ……。なら、早めに済ませておかないと、色々まずい、よね……」
「う、うん。そう、ですね……」
「…………」
「…………」
やばい、初っ端からやらかした……。
とにかく会話を切り出そうとこちらから色々と会話のソースを選んで口にしたのだが、緊張と遠慮が邪魔をして会話が続かず、また気まずい沈黙が戻ってきてしまった。というか、むしろ逆効果な上に彼女に対してものすごく失礼な事を口にしてしまったのではないか、という後悔が新たに残っただけだった。
女性と話すのが恥ずかしくてテンパるのか、と桂子さんに昨夜言われたからかいに、理由は違えど何も言い返せない今の自分が甚だ癪で仕方がない。
「…………ふふ」
「は?西園寺さん?」
だが、そんな気まずい沈黙が夕陽の照り付ける屋上に流れる中、不意にそれを破るように小さく笑い出した西園寺に、俺はさっきまでやらかしたと思って感じていた焦りも消え失せ、一体どうしたのかと彼女に聞いた。
「ううん、なんでもない。ただ、林さんが言ってた通りの人なんだなって思ったから。少し安心して、それで」
「……桂子さんが言った通りの人?」
言ってる意味がまったく理解できなかったのと桂子さんの名前が西園寺の口から出てきたのもあって、俺は繰り返しどういう意味なのか、と彼女に尋ねる。しかし彼女はなんでもない、と微笑みながら返してくるだけだったので、単に会話に余裕ができた試しに俺をからかっただけなんじゃないかと一瞬ではあるが思わざるを得なかった。
というか、桂子さん……。俺には西園寺について何も教えてくれないのに、彼女には俺のことを――どの程度伝えたのか、詳しいことは知らないが――きっちり伝えているのは不公平とは思いませんかね?
「……。……まあ、いいか。ともかく、これからよろしく西園寺さん」
「うん。こちらこそよろしくね、相原君」
気になることが残ったままではあったが、これ以上しつこく詮索しても西園寺に対して不躾な上に時間を無駄にするだけであると思い直すと俺は改めて彼女と挨拶を交わし、本来の目的であった互いの今後についての話し合いと、この町に侵入している魔術師について持っている情報の確認と交換を始める。
さっきまでのやりとりのおかげなのか、それとも一度しくじって色々と吹っ切れたからなのか、緊張でテンパり気味だった彼女との会話も落ち着いてできるようになり、話し合いはおおよその部分でまとまりにこぎ着けられた。細かい部分に関してはまた後日、桂子さんも交えて続きをすることに決まり、陽が沈んで暗くなる前に俺たちは怪しまれることのないように下校した。