第一章 「善意と欲望」 5-1
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「――んで? 手前勝手な判断で行動してくれたおかげで西園寺は見事に負傷。お前もお前で無理して危険を冒したばかりか、無傷のまま生け捕りにする予定だった敵の魔術師はぱっと見で診断しても全治六ヶ月は下らないほどの重傷を負わせてしまった、と?」
「いや、えっと……その……。説明した通り、あのまま桂子さんとの合流を待って敵を捕獲する選択を取っていたら、今以上に困難な戦闘に持ち込まれていた可能性が濃厚でした……、それに生け捕りにさえ出来ればどうしようと構わないという指示ではありましたから。なので――」
「だからと言ってお前なぁ! 誰が半殺しになるまで痛めつけて捕まえろなんて口にしたんだ、この馬鹿たれッ!」
鬼の形相で叱り飛ばしてくる桂子さんの気迫に押され、俺は二の句を告げなくなり閉口してしまう。傍らでは自身の傷の治療を済ませた西園寺が――親指を結束バンドで縛った状態で――うずくまったまま気を失っている今回の標的、アルベール・バルトの応急処置を行っていた。
周囲の地べたにはアルベールの吐いた血が至る所に残っており、乾いた箇所から順に赤黒い血痕へと姿を変えていっている。魔力の反動を利用した戦術というのはその過程において掛かる手間と縛られる制約の大きさでかなり苦心させられるが、どのようなであっても帰結した暁にもたらされる結果は非常に強力であり、かつ極めて凄惨なものとなる。
敵との戦いに無我夢中であったことを考慮に含めても、今回自分が敵に与えたこの仕打ちはさすがにやり過ぎたと言わざるを得なかった。
「ったく、いざという時に限って後先考えず行動してしまうその癖。ホントにどうにかならないのか? 後始末する時の手続きやら根回しやらで色々と苦労しなきゃならんのは、このあたしなんだぞ」
「あー……、その……、本当にすいません。別に今回の目的を履き違えてしまってたり、敵をいたぶって楽しもうとか思っていたわけじゃなく、あの場において自分にできる方法を考え抜いた末での行動だったので――」
「そんな事情は百も承知だっ。お前がっから目的を定めずに行動するな馬鹿でないことや、人を痛めつけて快楽を得るサディスティックな変態の持ち主でないことは、お前の部屋の本棚にさり気なく仕舞ってあるエロ漫画のジャンルを知ってれば、誰にでも分かるわ!」
「――はい? いやいや、ちょっと待てッ! どうしてそこで人の部屋の状況の話が急に浮上してくるんだよ! っていうかっ、なんで俺の隠し本の保管場所をあんたが把握しているんだ!? あれ割とかなり上手い具合に隠蔽できてたはずなのにっ!」
「はん! 目の付け所としては合格点には違いないが、本棚の部分にだけやたらと自然さを纏わせ過ぎなんだよ。もっと周辺への偽装をきちんと施しておくように配慮すべきだったってことだな」
見下すような素振りを見せて鼻で笑う桂子さんの顔を見ていると、先ほどまで感じていた反省の気持ちがすっかり消え失せてしまう。というか、女の子が近くにいるこの場所で男の知られたくない恥ずかしい話題を持ち出すのはホント勘弁してほしい。明らかに顔を赤らめて気まずそうにしている西園寺の様子も見ると尚のこと恥ずかしくなってしまう。
「って、そんなどうでもいいお前の趣味嗜好の話はさておいてだ。
あたしが言いたいのは、お前の思いつく発想とやり方が毎度毎度、見ても聞いても無茶をし過ぎてて問題だってことだよ。別にこの魔術師を逃がさないっていう目的を果たすなら、正面突破以外の方法なんていくらでもあっただろ。……決断して行動することと浅慮な考えで行動することは、意味合いのベクトルとして大きくズレた別物だぞ」
「――――」
……言い返せる言葉を見つけられないのが、申し訳ないと再び感じる以上に悔しくて仕方なかった。加えてその悔しさも、桂子さんに対して意地を張ってのことや不甲斐ない自分自身に対してのことでなく、どうしようもない現実から生まれた理不尽に対しての半ば八つ当たりとも言える悔しさであるため自分の内側で完全に消化することができない。
「……まあ、お前の抱える事情を考えればベストかどうかはともかく、まだベターな選択で行動したことは間違いないだろう。この分なら隠蔽工作も最低限の規模で済みそうだし、あの状況からこの結果に至ることができたのはお手柄だ。今回も良くやったよ」
そんな俺の心中を察したためか、桂子さんは俺の肩を二回軽く叩いて労いの言葉をかけてくれる。一筋縄ではいかない悩みを抱える人間にとって、歩み寄って理解を示してくれる者の存在というのはやはり大きく、そして安心させてくれる。
普段の日常ではずぼらな部分しか見せない分、こういう時に相手の心情を汲んだ的確な言葉を投げかけてくれるのを見ると、やはりこの人は自分よりも”大人“なのだと再認識できた。
「西園寺、応急処置はもうその辺で終わらせていいぞ。あとの面倒はあたしがやるから、お前はまだ全部終わらせてない治療の続きと、それが終わったら洋介と一緒に倉庫に散乱した瓦礫の始末をやっておいてくれ」
「――え? あ、はい。でも、自分の怪我ならもう大丈夫です。止血は戦闘中に終わらせてましたし、筋に関しても歩く動きをするくらいにはもう治ってます。しばらく経過を見ることは必要になるでしょうけど……」
「ははぁ……優秀だなぁ……。うちの馬鹿弟子と違って魔術の基礎を堅実に修めてるし、自身の力量を見極めた上できちんと判断ができている。
そして何より、受け答えが丁寧で無駄に口答えはしない。いやぁ、ほんと。この馬鹿に見習わせてやりたいよ。あのじじい、よくもまあこんな出来た孫を手にすることができたもんだ。素直に羨ましいって思えるわ。ああ、これ確定」
「……西園寺のことを見習いたいって部分については同意ですけど、無駄に口答えをする原因を作ったのはどこの誰なのか把握して欲しいって思うのは俺の気のせいですかね?」
「はあ? 気のせいに決まってるだろ。強いて言うならお前がやたら細かいことまで気にする質だからってのが原因だよ」
「……。……もう、それでいいです。
とにかく、言われた通り瓦礫の始末はやっておきますから、桂子さんは俺のスマホで玄次郎の親父さんに引き渡しを頼むよう電話してください。準備はこっちでしておくので」
ポケットからスマホを取り出し、電話帳に登録している目当てのアドレスを探しながらそう口にすると、桂子さんは「ああ、悪いけど頼む」と返事をしながら、既に敵魔術師の状態確認に目を移していた。
「……一応循環が落ち着いたら、軽く話をする程度で起こしても大丈夫そうだな。あの髭親父が寄越してくれる連中であるとは言え、一旦引き渡せば尋問することはもう叶わないだろうし」
「…………」
ぶつぶつと独り言を呟く桂子さんの姿を見ていると、今回敵の魔術師を無力化したこととは別の意味で他人事ではないと思わざるを得ない。
いつか自分も魔術の世界において定まった秩序とはまた違ったしがらみや争いに揉まれて生きることになるのか。それとも魔術の世界から抜け出た現実の世界で暮らすことを敢えて選び、自分の人生を歩むことになるのか。
どちらにしても、それを決断できるのは自分自身であり、その決断をしなければならない時期が次第に近づいてきている。
……しかし、今の自分にはその決断をする資格としての知識や経験が足りていないことも、また明らかだった。今までも桂子さんの仕事を弟子として手伝い、自分なりに意志と覚悟を持って臨んできたことは間違いない。
だが、今後の自分の歩む人生を決めていく上で持つことになるであろう自分の意志と覚悟とは一体どんなものなのか? あるいは持つことなく自分は決めることになるのか?
そうした思いを、今回の仕事ではとりわけ強く感じずにいられなかった。
* *
「おい。いい加減目を覚ませ、腐れ外道。お前の身体がとっくに意識を取り戻すくらいに回復していることはお見通しなんだよ。……ま、回復していなくても叩き起こしてやろうとそろそろ思い始めてはいたが」
「――ふん。ならず者風情の魔術師から外道扱いされるのは、一層気分悪く感じるものだな」
小さくも憎悪のこもった声で話す外道魔術師を見て、桂子はまた厄介な曲者の話し相手をしなきゃならないもんだ、と内心嫌気が差してしまう。
倉庫内の後始末はすべて終わっており、洋介と結美、そして彼女が連れていた黒猫には先に帰っておくよう命じて既に立ち去ってもらっていた。そのため、今この場に残っているのは相変わらず拘束されたまま地面にうずくまっているアルベールと、間もなくやってくる協会の執行部隊に彼を引き渡すため留まっていた桂子だけであった。
『今更ながら思うが、西園寺が連れていたあの黒猫。やっぱりただの使い魔にしてはやたらめったら賢いやつだったな。元々結界を敷設するために用意していた魔石をただ張り巡らせただけじゃなく、いざとなれば網にかかるのは敵だけになるよう上手く範囲を調整した上で、発動するタイミングをいつにするのかだけはあたしに一任してきやがった。
初めて彼女と顔を合わせた時に、この猫と自分は”契約“で繋がっていると聞いてはいるが……一体どんな経緯を経て、あのと西園寺は対等な関係を築き上げるような仲になれたんだ?』
考えるほどに疑問は次から次へと増えていき、増えた疑問は純粋な好奇心として桂子の関心をますます大きなものにさせていく。自身の範疇で起きたことでも面白みがなければまるで関心を示さないが、自分から興味を抱いたものであればたとえ他人事であっても探ろうとしてしまう――自覚していても直すことのできない――、昔からの彼女の癖だった。
『――って、今は仕事に移らないとダメだな。したくもないことをするための前金として考え始めたことなのに、肝心の本業を忘れちまったら元手を失くして損するじゃないか』
さっさと聞きたいことだけ聞いたら、また気を失わせて引き渡しまでいい夢を見ててもらおう。そう彼女は最後に決めると、再びアルベールに向けて話を切り出した。
「――まあとにかく、こっちも色々と忙しいからさ。洋介と話した時みたいにお前の耳障りな声を長々とご清聴するわけにはいかない。いくつか質問だけさせてもらうが……構わないな?」
桂子からの問いに、アルベールは返事をすることなく黙ったままだ。無論、彼女としても最初から返事など期待してないため、一方的に言葉を重ね続けるだけだったが。
「今回の騒動、あたしとしてはどうも引っ掛かることがあってな。協会内のいざこざに敗れたお前が、自らの研究を続けるために高位の霊地を探し求めること。その候補として今回の挙がったのが、先代管理者が後継として指名していた西園寺結美と代理人として土地を預かっていたあたしとの引き継ぎで監視に隙が生まれていたこの瀬戸口に目をつけ、今に至るまでの一連の事件を引き起こして強奪しようと目論んだこと。
……まあ、結果としてお前はあたしの弟子によって撃破され、協会に要請した執行部隊に引き渡されるまでの僅かな時間を、あたしの話し相手になって過ごしてるってところだな」
「…………………」
「けどな、そんな事実はあたしにとって毛ほどの興味もないんだよ。
――あたしが気になるのは、情報収集の時点で把握できていたこれらの要素にまったくと言っていいほど繋がりを見つけることができないってところなんだ」
桂子がそう口にした瞬間、アルベールは背筋が凍るほどの悪寒を感じた。つい先ほどまで合わせるつもりもなかった桂子の顔を不意に横目で確認してしまい、彼はすぐにそれを後悔することとなってしまった。
「そもそもな、ロクに対人交渉ができそうもないお前みたいな奴が、長年協会を離れてるのに相続問題が起こってたり監視が甘かったりする土地の情報を仕入れることができた時点で本来は怪しいんだ。それを野に下ったために困窮し、追い詰められた魔術師が八方漁って情報を手に入れて土地の強奪を図ろうとしている、なんて馬鹿げた先入観を植え付けられたせいで不審と思わなくさせているんだ。違うか?」
「――――」
アルベールの顔を見つめる桂子の顔は、喜怒哀楽いずれの感情も表れていない。
ただ冷淡に、しかし明確な殺意を込めて、魔術協会日本支部”従三位・冠位魔術師、林桂子“は拘束されたまま地面に横たわる、今や馬の骨とも知れぬ素性と成り下がった魔術師を見下ろしていた。
見つめられるのが長引けば長引くほどに寒気が強くなっていることをアルベールは感じずにはいられない。肉体的にも物理的にも既に動けなくなっているはずなのに、まるで金縛りに遭ったかのように彼の身体はピクリとも動かすことができなかった。
「誰なんだ? お前にここの地域の情報を教えて、狙いを図るようけしかけた魔術師は」
「……それを教えて、私にはどんなメリットがあると? 貴様に教えるような義理なんて一つも――」
「聞こえなかったか? あたしは『誰なんだ?』と聞いているだけだ。余計な文言をいちいち挟むな、うざいんだよ」
苛立ちを抑えきれないからか、それとも警告を一段階上げたためなのか、桂子は炉心の隔壁を僅かに開放して魔力を周囲に漂わせる。
彼女からすれば慣らし程度の規模ではあったのだろう。しかし、漂わせた微量の魔力はアルベールの覚え始めていた恐怖を――引き渡しの執行部隊が来るまでただ黙っておけばいい、という少し考えれば誰にでも及ぶ考えを失わせてしまうほど――確かなものにして彼の冷静さを奪った。
「と、とある魔術師から提案されたものだ! 相手はこの土地に用があると言っていて、自分の代わりに管理者を始末してくれるなら、その対価にこの土地で研究を進めることを許そうと言ってきたっ! こちらとしては実験に必要となる素体が手に入れられれば何でも良かったから喜んで誘いに乗ったよっ」
「……ほう? それで、誰なんだ。お前をたきつけて利用したその、とある魔術師ってのは」
「し、知らないっ! い、いやっ、分からないんだ! 顔は合わせたが暗がりでよく見えなかった。特徴と言えば体格が良くて、背の高い男としか――」
そうアルベールが語り始めた次の瞬間だった。
「――ぐがぁっ! ふが、ああああぁぁーーーーーーーッ!!」
「!? おいっ、どうした急に!」
「あ、熱いッ! い、イダイッ! ぐ、ああああああああああぁぁぁーーーーーーー!!」
結束バンドで拘束されていた親指を引きちぎってしまうほどの勢いと力で、アルベールは自らの喉を右手で掻き毟り、左手でお腹を抱え出したのだ。
『こいつは、呪印かっ!?』
さしもの桂子も突如苦しみ始めた目の前の男の姿に初めは動揺してしまう。だが、すぐに冷静になると、持ち前の観察眼ですぐに分析を始める。そして、彼の身体に一体何が起こっているのかまでは流石にまだ分からなかったが、はっきりとした事実を彼女は知った。
――この男は、もう助からないと。
「タス、ケ、テ。シニ、タクない……。こんな、コン、な、フウニ、ハ――」
苦しみもがいた果てに、アルベールはついに事切れてしまう。彼の身体を襲ったのは――横たわった遺体の顔がみるみるうちに溶けていくところを確認する限り――青酸カリのような毒物だろう。それも致死量を大きく上回るほど大量に盛られたようで、人によっては感じないとされる、シアン化水素独特のアーモンドに似た匂いが桂子の鼻に強く伝わってくるほどであった。
「おいおい勘弁してくれよ、マジで。聞きたいことを聞けなくなったどころか、引き渡しの連中に対する新しい説明を、まーた一から考え直さなくちゃいけなくなったじゃないか。……ホント傍迷惑この上ないな、お前」
自分が背負わねばならなくなった新たな問題に頭を抱え始めながらも、桂子は観察を続けてさらなる分析を行う。
彼に異変が起こったのは自分との会話の最中、ちょうど黒幕の素性に関して話し始めた時。だが、もし敵と会話すること自体が毒を盛られるきっかけであるとするなら、一戦交える前に洋介と話をした時点でこの男は死んでいる。おそらくは特定の意味合いを含んだ言葉を口にしたら作動するように仕組まれていた”呪印“がとして起動したのだと、桂子はそう判断した。
『それに、この男が悲鳴を上げて苦しんでいたところを見ると、おそらく自分でも気づかないうちに仕組まれていたものであることは間違いない。……まぁいずれにしても、一場面を盛り上げるための道化として送り込まれて、人生を終えることになるとは哀れなもんだ』
シアン化水素の腐食により顔はひどく歪んだものに変わり果て、投与過多となった毒ではらわたの中身も外側も完全に溶かされてしまった無残な肉塊。それが、かつて魔術師としての道を歩み出してからその道を外し、最後には別の人物の思惑を果たすための噛ませ役という自らに与えられた役目を、最後まで計り知ることなく命を落とした哀れな男の末路だった。
割と長く生きてきた桂子から見ても、慣れているとは言えこうした人間の最期を間近で目撃するのは精神衛生上良いものではない。黒幕の詳細が分からずいになってしまったことも相まって、彼女の機嫌は悪くなる一方だった。
気晴らしに一服しようとコートのポケットから煙草とライターを取り出して火を付ける。――が、そうしようとした寸前のところで、揮発性のあるであろう毒物で死んだばかりの遺体のすぐ近くで火を扱うのはさすがに危険と判断し、舌打ちしながらも元の場所に直す。
「……。……いや、むしろ良かったのかもしれないな。最初から最後まで自分で気づくことができなかったから、こいつのプライド的に”知らぬが仏“ってことで」
実際仏さんになっちまったわけだし、などと気まぐれに遺体の様子を再度確認すると、最後に皮肉交じりにそう呟く。
それからは協会に派遣された引き渡しの執行部隊が到着するまでの間、桂子はその連中に対して上手く通じそうな言い訳をあれやこれやとひねり出すことに没頭するのだった。