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第一章 「善意と欲望」 4-3


 INTERLUDE.(Ⅲ)


「だあああッ! ったく、ホントにあの馬鹿はッ! 敵の足取りを掴む手掛かりを見つけたって報告をついさっき聞いたかと思えば、信号弾をいきなり打ち上げた挙句、急いでこっちに来てくれって、いくら何でも人使いが荒過ぎるわッ!」

 深夜の寝静まった街中で人目も憚ることなく大声で文句を喚き散らし、乗り込んだ小型バイクを――エンジンのやかましい駆動音と一緒に――アクセル全開で飛ばしながら、桂子は洋介と結美がいる南西地域へと向かっていた。

 重度の機械音痴として洋介から辟易されている彼女だが、レジやコーヒーメーカーなどの(彼女にとって)仕組みが単純なものや、今乗っているバイクや車といった乗り物は(こちらも彼女にとって)体感的に扱えるためその限りでなく、特に乗り物は同乗した人間を目的地まで定刻より早く、かつ全員を酔わせて無事に送り届けられるほど巧みに扱えるとのことらしい。

 行きの時点で用意してなかったこの移動手段を彼女がいつどこで確保したかについてはまったく不明であるが、苛立ちと焦燥感によってまき散らされる二種類の騒音が周辺住民の迷惑となっていることは誰の目から見ても明らかだった。

「くそっ、この大通りに出たから……次の交差点を左に行けば海岸線まで真っ直ぐ行けるか。あの道はトラックが多くて進みにくいけど、合間を縫って走ればなんとか早めに到着できそうだな、多分。……あいつから送られる無茶苦茶な指示についてはもう慣れたことだけど、せめて一言報告くらい入れてからそれを出せってんだよ、まったく」

 左手でズボンのポケットをまさぐりながら――さすがに大通りへ出たため大声ではなくなったものの――相変わらずぐちぐちと文句を言っているが、洋介本人がこれを聞いたらお前が言うな、と即答で返すだろう。というか、そうした無理難題を普段から彼に対してふっかけてきたという積み重ねを考慮すれば、桂子の受けている因果応報はとてもではないが規模としてまだまだ軽いと言っていい。

『まあ、しかし。洋介の奴が報告も抜きにこんな慌てた感じで救援を求めてくるなんて珍しいな。多勢に無勢といった単純な戦況的不利を理由に焦ってテンパるほど、あいつは柔な鍛え方をしていない。――なにか余程まずいでも見つけたのか?』

 愛弟子の行動について推察を行いながら、桂子はまさぐっていたポケットから目当てのものを取り出すと、体内の魔力炉心をも兼ねて起動する。そして左手に持っていたもの――洋介が使っていたものと同様の厚紙に、念を込めながら生成した魔力を僅かに送った。

 桂子と洋介が使っていたこの厚紙は、頭の中で念じた思考を使用者の魔力を媒介に文字として反映する”伝紙“と呼ばれるものであり、魔術の世界ではマイナーな部類に属する魔道具として広く知れ渡っている。市販で売られている用紙や、使われなくなった古紙に加工した魔力を付与させるだけで作り上げることのできる圧倒的な量産性の良さに加えて、付与した魔力の波長を合わせ、紙同士を対となるように仕上げれば簡易的な連絡手段としても行使できる、一見単純そうで便利に見える魔道具だ。

 ……しかし、もし本当にそうであったならば、これがマイナーな部類に属する魔道具と見做されるはずがない。

 実際のところは単体での伝達可能な情報量の圧倒的少なさや、紙同士を対となるように仕上げる際の魔力波長の同調の技術的難易度が高く、使用時における汎用性の無さや有用な形に仕上げる意味での量産性が壊滅的に低い。そもそもこの『伝紙』という魔道具自体、魔術師の子供や初心者の気晴らしや基礎訓練のための――言うなれば”訓練道具“のようなものに過ぎず、真っ当な連絡手段として考えるのであるなら他に有用な魔道具を選ぶか、もっと乱暴な選択肢として提示するのであれば市販の無線機でも購入して使うほうがまだ確実なくらいである。

 そんな褒めるべき点がほとんど見つからないこの連絡手段を、なぜ桂子と洋介が使っているかについては、事情がややこしいことを省いて説明すると、二人にとってこの方法が一番秘匿性が高くかつ効率的であるからだ。

 魔術を行使すると如何に最大効率で運用しようと努力しても、消費される魔力の内から燃焼しきれない廃棄燃料というのが副産物として発生してしまう。この副産物が魔力炉心の運用保全のために体外放出されたものが”魔力残滓“であり、一度に行使される魔術での消費魔力が大きければ大きいほどに、その発生する量も比例して大きくなる。

 この理屈は魔術を行使する場合に限らず、魔道具を使用する場合にも同様に当てはまり、特に魔道具の場合だと消費魔力の大きいものが大抵である上に、使用する際でそれぞれの決められたプロセスを遵守しなければならない分融通が利かなかったりすることが多い。

 だが、伝紙を使用した際に消費される魔力の総量は、他の通信魔道具を使用した際に消費される総量と比較して十分の一以下で済み、使用工程もたったの一段階と手間がない。副産物として発生する魔力残滓も、伝紙単体の使用規模では微弱なエネルギー波として僅かに放出される程度なので実質的に痕跡は残らない。

 無論、伝紙同士での魔力波長を対になるように調整する難易度の高さと量産性が無い、という欠点が依然として残っているが、逆に言うと手間のかかる部分はそれだけしかないことの裏返しであり、調整に関しては個人の技術や経験等で、量産性の欠点は運用法を工夫すれば充分に補える。

 こうした要素から、桂子と洋介は定時連絡での状況報告や非常時における緊急連絡の際に使用する連絡手段として、この通信魔道具を用いている。が、基本的にこれを使用するのは前者の場合であることがほとんどなので、それ以外で使用された時には伝わった内容が何であれ後者の場合と即座に判断できる。だからこそ彼女は内心かなり焦っていた。

『まあとにかく、一刻も早く現地に着いて確認を済ませないことには何も始まらないか。西園寺と二人がかりで戦うだろうとは言え、時間稼ぎや囮の役目なんて大概が防戦一方の苦しい展開に持ち込まれるのが必定だ。加えてこっちは大成した熟練の魔術師が相手なのに、向こうはまだ未熟な子供の魔術師二人を相手にする。数の差なんてあてにできない。

 ……いや、情報が正しければ数の差は向こうの方がむしろ有利か』

 悪い方ばかりに浮かんでくる展開の予想に、桂子は舌打ちをしながらバイクのアクセルをさらに回して先を急ぐ。エンジンが熱に悲鳴を上げそうなほどの騒音がまた一段と響き渡るが、使い切りの道具に対してかけられるような気遣いを今の桂子に持てるはずがなかった。


 ――ましてや夜間の迷惑運転と見做して煙たがる通りすがりの人々以外に、追跡の目星として彼女の後をつけようとしている者の存在に察知する事など。



        *                      *        



「――どわっ! くそっ、今度はそっちかっ!

 出力上昇、指定範囲変更っ。展開領域、凝縮!」

「左からも来る!

 . ,!」

 言葉に紡いだ異なる詠唱を展開したそれぞれの術式に働きかけ、俺と西園寺は魔力から変換した光線と光弾を敵に向けて発射する。倉庫に乗り込んでから敵と遭遇し、交戦を開始して既に四〇分ほど時間は過ぎているが、状況が好転しそうな兆しは一向に見えない。次々と迫ってくる敵の脅威に一切の無駄なく、そして迅速に対応できてはいるものの、それを上回る数の暴力に押されている有様だ。

『予想通りというか何というか、演算回路として一つ組み込むだけでここまで変わるかよ。通常の低・中級霊と比べて速さと出力が段違いな上に、機動にまったく予測がつかないっ。人間クラスのをこんな使い方で利用するなんて冴えているのは確かだろうけど、正直反吐が出そうだな』

 狙いをつけられないよう物陰から物陰への移動に気を配りつつ、状況を変える次の一手が無いか頭を巡らせる。西園寺も先ほどから応戦を続ける一方で、時間稼ぎのための布石を何らかの手段で講じようと動いているようである。

 今この建物の中央で陣を構え、対峙しているあの魔術師こそ今回街を騒がせていた猟奇殺人事件の元凶――アルベール・バルトだ。街全体に張り巡らせた大規模な魔術結界による魔力の計測と、桂子さんのツテによって協会から伝わった身元資料との照らし合わせで素性と顔は既に把握していたが、……みすぼらしい身なりはそれほど不快に感じなかったものの、写真で見た以上の陰気臭く沈んだ面持ちをした彼の第一印象はかなり悪かった。

 おまけに対人接触についても桂子さんの偏見もとい推測した通りで、時間稼ぎのためにこちらから会話を持ちかけたが、まったくと言っていいほどに会話は嚙み合わなかった。

 ――いや、言葉の応酬そのものはそれなりに続くのだが、しばらく話すと会話の内容が明後日の方角へ向かい始めたり必要以上に婉曲な言い回しの台詞を饒舌に語り始めて無駄に長いのだ。……忌憚なく言わせてもらうと、会話を続ければ続けるほどにその舌を引っこ抜いて黙らせたい、と思い始めるほどである。

 しかし、雄弁家もどき相手に苦労して付き合っただけの収穫はあった。アルベールが犯した殺人の動機と目的、そしてここで逃せば魔術のみならず、現実の世界にとっても大きな脅威となる事が明らかになった以上取り逃がすわけにはいかない。

「相原君っ、右!」

「え? ――やばッ!」

 考えに集中し過ぎていたせいか周囲警戒を疎かにしてしまった。廃墟同然の大型倉庫に残されている物は既に少なく、遮蔽物と呼べるものも見当たらないくらいに視界は開けていた。だと言うのに、こうも容易く敵の接近を許してしまうのは完全に油断していたとしか言いようがなかった。

 無論、むざむざやられるつもりなど毛頭ない。

 反撃のために素早く詠唱を唱え始める一方で、離脱のために突き出した腕へ魔力を送り込んで蓄積させる。そして詠唱を言い終えて術式から光線を発射したと同時に、腕に溜め込んだ魔力を一気に放出させて別の物陰へと移動して、どうにかこの危機を乗り越える。こうして即座に対応することができたのも、西園寺からの警告が早いおかげだった。

「ッ!? 相原君、無事っ?」

「ああ、なんとか……っ。悪い西園寺、助かった!」

「気にしなくていいわ。それよりも――きゃっ!」

 建物の柱の陰に隠れていた西園寺の足元に、敵の魔術師から放たれた光線が着弾する。幸い間一髪のところで命中はしなかったが、あと数センチずれていたら彼女の足が抉れて移動不可能になっていただろう。――そんな認識を、一瞬抱いた直後だった。

「あぐッ!! え、なん、で?」

 何が起きたのかまったく理解が及ばなかった。俺が傍目から見ていて呆気に取られたのだから、本人からすれば狐につつまれたも同然の現象だったに違いない。放たれた光線の射線上に西園寺は確かに重なっておらず、また光線自体も物理的に大きな損壊を着弾点にもたらすほどの威力もなかったので、衝撃の余波をまともに喰らったというわけでもない。

 ……にもかかわらず、彼女のふくらはぎはサバイバルナイフで裂かれたかのように深い切り傷を負っており、生々しく抉られた傷口を見せながら、履いている黒いタイツがさらに濃くそして赤みを含んで滲んでいた。

「ッ!? 西園寺! って、くそっ! また次から次へと……一体どんだけの数を揃えてんだ!」

 傷の状態を確認しようと彼女の傍へ向かおうとするが、感知魔術に引っかかった次の標的の出現に頭を痛めることになる。多勢に無勢の状況に持ち込まれることは重々承知の上であったが、改造した低・中級死霊をまさかこれだけ作り上げていたことに関しては想定以上だったと認めざるを得なかった。

「やれやれ、と口にせざるを得ないね、まったく。あれだけ息巻いておきながら、蓋を開けてみればその場でできることを延々と繰り返し、防戦一方の戦況を保つだけの体たらく。……何か余程の自信か根拠でもあって真っ正面からこちらに挑むのかと一瞬でも思った、私が馬鹿だったよ!」

 距離が割と離れているこちらの耳にまで聞こえるほどのため息を吐いたかと思えば、溜まりに溜まった鬱屈と失望の交ざった怒りをぶちまけるように、アルベールは声を荒げて言い放つ。

 悠然と構え、俺たちの出方を窺いながら慎重に対峙していたこの外道魔術師は、ここに来てようやく自分が大言に誑かされたことに気づいたらしい。実際こちらが打てる確実な手段は、先ほどまでのように手の内を見せないように心がけ、敵との距離をギリギリまで保って応戦し、接近戦を仕掛けるように装って敵がこちらに近づいてくるのを抑止する立ち回りで時間を稼ぐこと。だが、今となってはもう長く通用することはあり得なかった。

 殺害した人間の心臓に魔術的な加工を施し、疑似的なとして自らの使役する使い魔へ組み込んで、より多くの、そして高度な命令式を使用可能にして書き入れる。降霊魔術の応用と、おそらく使い魔を使役する理屈の応用を組み合わせて考案した魔術なのだろう。

 一見すると使い魔の性能を向上させることしか用途のない魔術だが、現在の情勢を加味して判断すると、これは均衡という名の冷却剤によって爆発が抑制されている魔術世界という火薬庫に、数滴のニトログリセリンが垂れると言っていいほどの危険を有している。使い勝手が良く、相応の技術と手法を凝らせば適正に左右されない純粋なの一つとして完成する可能性が高い。

 生み出す部類に属する魔術ではないため、あくまでも一時的な括り付けにはなるだろうが、協会に認知されれば禁止魔術に即刻指定されるだろう。本人を無期限で拘束、監禁して魔術の系譜が続くことのないよう処分することは間違いない。いずれにせよ、結果のためにもたらす惨劇が大きくなろうと一向に気にしないこの魔術師は、何としてでもここで捕えなければならなかった。

『まあリスクのデカさを考えれば、敵を生かして捕えるよりも殺して遺体を回収する方が遥かに効率がいいんだろうけど。――さすがに、それはちょっと色々と後味悪い気分になるし、何よりも協会から受け取る報酬が減ってしまうだろうが、って桂子さんにお叱りを受けるからなあ……』

 悪化した戦線の打開と傷を負った西園寺の状態及び戦力の確認、そしてこうした状況に陥ってしまったことに対する桂子さんからの叱責にどう返事をすべきかについて考えながら、一段と激しくなった敵の攻勢へ対処を続ける。

 しばらくすると西園寺も先ほどと同じ位置から、より一層物陰に身体を潜ませながらではあったが、応戦を再開して戦線の維持に努め始める。傷に関しては既に処置を済ませて大事には至っていないようだが、こちらから見る限り受けた場所がかなり悪い。上ふくらはぎの裏側の筋が切れてしまっている。アキレス腱の方まで切れてないのが不幸中の幸いだが、あれでは歩くことはできても物陰から物陰へ素早く移動することはもう不可能だ。

 身動きが取れないという意味合いでは、俺も彼女と同様である。次々と接近してくる死霊への対応に追われるだけでなく、アルベールから放たれる光線を回避することにも気を使わなければならないからだ。

 彼の魔力属性は風と水。おそらくだが、放たれた光線の周囲に属性を利用して作った衝撃波が出るようにしているのだろう。水属性の作用で衝撃波周囲の物体を瞬間的に冷却し、そこに風属性の作用によって真空状態による低圧を作り上げることで直撃でなくとも傷を負わせるように調整しているのだ。

 一応衝撃波そのものの効果範囲は狭いようなので、念入りに隠れていれば攻撃の余波を受けることはまずない。が、先ほどの西園寺の負った傷を見た後となるとやはり警戒せずにはいられない。心理的に追い詰めるという意味でも、これはかなり大きいものであった。

『打開策は……、……あるにはあるけど、それにしたってリスクは高い。でも、仕掛けるとすれば今このタイミングをおいて他に無い。――ああッ、くそ! 桂子さんまだ着かないのかっ!?』

 ついさっき連絡を受けた時にはもうじき海岸線に差し掛かるところだと言っていたが、正直言ってこれ以上は戦線を維持しきれない。光線と光弾を休まず放ち続けてきた両腕はここに来てもう寸前に陥っており、既に手の感覚があまりない。加えて動員できる魔力も底を尽きそうなため、このまま同じやり方で応戦を続ければやられてしまうのは必至だった。

「――っ!? この物が焼けたような臭い……もしかしてっ!」

 上着の内側から漂ってきた焦げた臭いを嗅ぎ取り、周囲への警戒を一度解いて懐を弄る。そして仕舞っていた伝紙を取り出して中身を見ると、桂子さんからの言伝が短く、しかしはっきりと記されていた。


『こっちはもう準備完了だ。手をこまねいてないで、とっとと押し返して無力化しろ』


「…………やれやれ。ほんとにいつも無茶を言ってくれるよ、あの人は」

 受け取った命令を見て苦笑しながら一人で呟き、不要となった伝紙を破棄すると、警戒を解いたことで近くまで迫っていた死霊を返り討ちにしてから西園寺に向けて叫んだ。

「西園寺ッ! もう迎撃はしなくていいっ。こっから先は俺の援護だけに専念してくれ!」

「え? わ、分かったわ! でも、どうして急に――って、ちょっとっ!?」

 返事を聞くが早いか、俺はすぐさま行動を起こした。

 物陰として利用していた手元の建築資材を魔力放出で倒立させ、感知魔術を出力全開で発動して前方の視界を疑似的に確保する。感知魔術によって得られた空間認識情報を元に急ごしらえで仕立てた簡易バリケードをアルベールに向けて、魔力を充填させた右足で真っ直ぐに蹴り飛ばした。

「血迷ったかっ!? 私の攻撃の特性を理解して障壁を作ったことは理解に及ぶが、魔力の残りも少ないというのに放出した挙句にこちらに向けて寄越してくるなど……馬鹿もここに極まれりだな!」

 意味不明な行動に対する蔑みと勝利を確信した誇りが混じり合ったアルベールの叫び声が、廃墟となった屋内に響き渡る。それと同時に彼に従う改造死霊たちが、俺と西園寺両方に向けて一斉に迫ってきた。

『頼む。上手いこと誘いに乗ってくれよ……っ!』

 心中で最後にそう念じると、先ほど蹴り飛ばしたバリケードの後に追随する形で走り出し、敵との距離を一気に詰め始めた。

 走り出した場所からアルベールまでの相対距離は約三〇~四〇メートル。バリケードの耐久性能は並みの一回り上で、高さと横幅、共にアルベールの光線の衝撃波を受けることのない大きさを計算上では有している。もちろん、あくまでも多少頑丈である分厚い障壁に過ぎないため、光線の直撃を複数回受ければひとたまりもないし、より威力を重視して放った光弾が直撃すれば一撃で破られる可能性もある。というより、むしろ確実だろう。

 左右からはアルベールの死霊が、ぱっと見で数えただけ十数体は近づいてくる。西園寺からの援護があるとは言え、眼前まで迫った分の相手は自分で対処しなければ足止めを受けてしまう。また、西園寺の方に迫ってきている死霊もいるが、彼女には俺の援護に集中するようにしてもらわねばこの作戦は失敗に終わってしまう。彼女が俺のことを信用しきれるかどうかに全てかかっているため確実なことは何も言えないが……、……それについては俺も彼女のことを最後まで信じ抜くしかない。

「術式展開。指定出力、並列駆動っ。展開領域、拡散放射!」

 両脇に近づいた敵は相手にせず、目の前の視界に収まった敵のみに対し迎撃を行う。前方のバリケードは予想通り発射形態を切り替えたアルベールの一撃によって大きく凹み、こちらの方へ張り出してしまった。蹴り飛ばした際に付与させた魔力が推進剤として機能させているのでバリケードの勢いが衰えることはないが、次の一撃食らえば間違いなく破られてしまう。

 死霊を排除して進行の安全を確保し、そのまま敵との距離を縮めていく。両脇に迫っていた分は西園寺が始末してくれたようだ。しかし、感知魔術で探知した反応によると既に西園寺の周りにはかなりの量の死霊が迫りつつあり、残された時間がもうあまりないことは明白だった。

 とは言え、こちらとしても敵へ接近していけばしていくほどに射程内に迫ってくる死霊の対処と、射程外から遠距離攻撃を続けてくる死霊からの妨害の煩わしさが大きくなる。防御術式での薙ぎ払いや身体強化魔術で防御(特に足)を高めてどうにか切り抜けてはいるものの、一撃でも攻撃を受けた瞬間にこちらの敗北が確定してしまう事実を一瞬でも考えると、やはり冷や汗ものである。

 ――だが。そんな周りの妨害行為に気を配っていられる余裕は、もう既に無くなった。

 盛大な爆裂音が反射して屋内に響き渡ったと同時に、直進していた前方のバリケードがアルベールからの攻撃いよいよ耐え切れなくなり、直撃した箇所から爆発四散してしまう。衝撃の余波で砕けた破片が辺りにまき散らされるのと同時に、俺はすぐさま術式を前方に三つ――左右に出した二つをこちらへ飛んでくる破片を焼き払うために拡散式で、そしてアルベールに向けて出した真ん中を集中式に――並べて展開し、一斉射撃を行った。

 無論、こんな子供だましの手で手傷を負わせられるほど彼が甘いわけがない。

 攻撃の余波で破片に対する防御態勢だけでなく、俺が放った攻撃に対しても既に防ぐ用意を整えており、発射された光線はアルベールの手で軽く受け流され、鏡の反射で曲がったように別方向へと進路を変えてしまう。こちらの攻撃はアルベールのように属性纏わせたものでないため、進行途中に二次被害をもたらすような都合のいい現象が発生することはあり得なかった。

 この時点で彼との距離は約三メートルほど。危機――彼自身は今の事態を危機と認識してはいないだろうが――を乗り越え、無策な不意打ちで自分に勝とうと足掻いた若輩の魔術師を射程に収めて勝利を確信した外道魔術師の顔は冷酷に、そして酷く歪んで笑っていた。


『――――勝機ありだ』


 目前に展開された敵の術式を確認すると、俺は即座に呪文を詠唱する。

 防御術式はこの距離では用を為さない。あれは遠距離戦での直撃するエネルギー攻撃に対し、吸収と放出を駆使して無効化できるだけであり、近距離になるとアルベールが行ったような攻撃を受け流して避けるやり方で防がなければダメージを負ってしまう。……悔しい事実だが、今の自分にそこまでの芸当をこなせるだけの技量はまだ備わっていない。

 そのため俺の唱えた呪文は、攻撃を防ぐためのものではあるが、それと異なるまったく別物の魔術だった。


「――。領域精度、並。構築密度、集中!」


 その詠唱を唱え終えるや否や、俺とアルベールの間に突如として長さ二メートル四方、厚さ五センチほどのガラス板らしき物体が出現する。予想もしなかった事態の発生にアルベールの顔からは笑みが消え、この戦いで初めて見せたであろう驚愕の表情を作っていた。

「『虚像魔術』、だと……っ!?」

 隠し切れない驚きを浮かべつつも、魔術師という人種の性であるためか、アルベールはたった今目の前で起きた魔術を即座に分析し、その正体を理解したようだ。

 『虚像魔術』とは、使用者の捉えた視覚情報や浮かび上げた表象を空間に転写し具現化させる魔術で、『心理表象』という基礎魔術から発達した派生魔術の一種である。

 過程と結果だけを見れば、物質の変換を主とする錬金術の系統に属した魔術であるように思えるだろう。が、実態はそんな回りくどく深遠なものではなく、もっと単純で浅薄な理屈――例えるなら製錬したばかりの鉄をそのまま型に流し込み、純度が低いまま固めて仕上げたような粗い工程で結果を生み出しているに過ぎないのである。さらにイメージして具現させる物体の大きさと密度、そして物体を構成する物質に近づけて似せる分だけ使用する魔力も純粋に増えていくため、使う者はおろか学ぶ必要すら無いと断じてしまう者の方が少なくない魔術なのだ。

 しかし、桂子さんの教えを受けてきた俺の認識からすれば、どんな魔術も状況と使い方次第で必要性なんていくらでも様変わりする。

 実体のある物理障壁を即製で用意することのできるこの魔術は、魔術全体で使用される頻度が少ないという事実を除いても、有事における汎用性が非常に高い防衛手段である。また、具現化させる物体の精度の高さと、指定した領域の広さとの比例が使用する魔力の量と直接連動して変化するので、魔力消費の分配が他の魔術と比べて分かりやすい。

 しかもこの『虚像魔術』。どういうわけか自分が使いこなせる基礎魔術の中で、行使する手順と感触が一番しっくりとくるのだ。

 普段から行使する機会の多い『魔力循環の効率化』や、つい先ほどまで多数使用した『熱量転換効率の応用』を利用する魔術攻撃も、感覚として使い慣れていることは確かなのだが、身体を巡るの奔流や炉心を駆動させた際に感じる違和感の有無等の負担が、この『虚数魔術』においてのみ前の二つと比べ格段に少ないのである。……まあ無論、消費する魔力総量としての変化ではなく、あくまで身体に返ってくる反動が幾らか軽減されるというだけではあるのだが。

 そうして具現化させた防壁ガラスは、アルベールから放たれた第二射を受け止めて防ぐと直撃した箇所から粉々に砕け散った。

 即製バリケードの仕立てから、虚像魔術による防壁ガラスの構成。費やした魔力の総量で防げたリスクの大きさと比較して、被った分の大きさを考えるとやや割に合わない出費であることは否めない。

「やっと……捕まえたっ!」

 しかし、リスクを冒して接近できたおかげで俺はようやく敵に対して最も有効な切り札を放つことができた。

 魔術師が自らの使い魔を使役する手段として”術式“を用いる場合と”契約“を用いる場合に分けられるが、その違いは使役される対象が持つ意思の有無によって大きく見分けることができる。また”術式“と”契約“の中においても、それぞれ使い魔として選んだ対象ごとに使役する方法細かに異なっており、一番多いのが実際に生きている動物を使役する場合と実体を持たず存在する霊魂を使役する場合においてだろう。

 霊魂と一口に言っても大小様々な形態があるため一概には説明しにくいが魔術師が使役する霊魂として選ぶのは、大半が低・中級クラスの低コストな種類のもので、そのほとんどが自力で現界を保つことが難しい。自然発生と消滅を繰り返し、現界した土地の環境に基づくによって性質が変化するこの意思を持たない不安定な存在を、魔術師は”術式“を用いて使役するのだ。

 支配下に置いた術者と支配下に置かれた霊魂との間には、魔力の供給と発せられた命令を伝達するためのができ、その制御は術者本人の意思によって行われる。アルベールに使役される死霊たちがメモリーを増設したであるとすれば、術者である彼自身は電源供給器及び制御端末といった区分けになるだろう。

 ただ、”経路の制御“に関しては術者の意思によって行われるが、”経路の管理“になると話が違ってくる。人間が自らの意思で心臓や臓器を動かしているわけではないのと同様に、”経路の管理“については本人の無意識下による繊細な管理で安定を保っている。過去にこの管理でさえも自らの制御下に入れようと画策し、邁進した魔術師が多数いたようだが、そのすべてが目的を叶えることができずに自滅したらしい。

 そのため使い魔を使役する理屈における、この”経路の管理“については未だ完全なブラックボックスとして魔術の世界では扱われ、魔術協会でも地方によっては触れることを厳禁と定める場所まであるくらいである。


 ――――となれば。術者と霊魂の間に置かれた経路そのものを、正しい手順を踏むことなく強引に断ち切ってしまった場合、どんな結果がもたらされるのか? ……それは語るまでもないだろう。


 こちらの接近を許してしまったアルベールはすぐさま後ろに下がって、距離を取ろうとする。

「逃がすかよッ!」

 しかし、彼の取れた距離など接近戦に慣れている俺の認識から測れば、まだ接近可能の範疇に過ぎない。周囲にいる死霊たちも、西園寺からの支援で足止めを未だに受け続けている事に加え、術者であるアルベールが回避を始めたことで指示を直接受け取れず、に則った単純な行動しか取れなくなってしまった。

 つまり、接近を許した時点でアルベールはもう既に”詰み“の状況に陥ってしまったわけである。


「かなりデカい反動が来るかもしれないけど、そこはまあ、自業自得だと思ってきっちり受け取っておけ!」

「――おのれっ! この私がっ、こんな未熟な若輩者にーーーーッ!!」


 そうして。敵の懐へと入り込み、”接続封印“の術式を付与した右手で、相手のみぞおちを渾身の力を込めて殴った。

 普段から身体を鍛えてる人間でさえ、強く殴られると命に関わるほどの痛みに襲われる部分を、見るからに鍛えてないであろうこの外道魔術師にとってかなりの致命傷だった。

 おまけにこの痛みは、彼にとっては次なる地獄への前菜に過ぎない。

 使い魔たちと繋がる経路を”接続封印“によって無理やり断たれたことで、彼の身体の魔力炉心は急激な逆流に見舞われることとなる。使役する使い魔の性能が小さいものであれば反動も小さいが、その数が多ければ多いほど当然上乗せはされていく。

 さらに不幸なのは、今回彼の用いていた使い魔は性能を底上げされた低・中級クラスの死霊群である。数に加えて質の分も上乗せされるとなれば、どれだけの反動が彼の身体にもたらされるのか。……死に切ることのできない分、筆舌し難いものとなるのは間違いなかった。

 己の身に如何なる異変が起こったのか。おそらく頭では理解してても、身体が追い付けなかったに違いない。

 激痛に叫ぶよりも先に、アルベールは血反吐を吐いて地面に倒れる。みぞおちを思い切り殴られたことによる呼吸困難と激痛に伴って襲い来る痙攣に、肉体は完全に制御を失って無様なダンスを演じていた。

 術者の陥落によって魔力の供給が断たれた死霊たちも燃料の切れた分から次々と消滅していき、戦場と化していた大型倉庫は多くの爪痕を色濃く残しながらも以前と同じ廃れた静寂を取り戻す。

 それによって俺は、今回も無事に生き延びたのだと強く実感できた。

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