第一章 「善意と欲望」 3-2
INTERLUDE.
惨劇――
そう呼ぶに相応しい有様だった。
辺り一面に広がった血の海と、そこに残された多数の肉塊はいずれも人としての原型を留めることなく切り裂かれ、無残に打ち捨てられたものだ。温室で育ち、残虐や人の死について触れることの少ない常人には理解の及ばぬ作為的な、そして徹底的な殺戮――それが、この路地裏にもたらされた悲劇である。
「酷い……」
湧き上がってくる怒りを抑え切れないように歯ぎしりをしてそう呟くのは、日本刀を腰に携え一風変わった袴を着込むという、およそこの場に似つかわしくない姿をした一人の少女だった。
異質な惨状の真っ只中で、怪しげな服装で凶器を所持した人間がいるという状況は、真っ先に犯行の容疑者が彼女であることを思わせるが、長時間経過して腐敗した異臭を放つ被害者の肉片と彼女自身返り血を浴びていないという二つの事実が、その容疑を成立させない矛盾を生み出していた。
「――え?……ええ、聞こえてる。ごめんなさい、少し考え事してたから。……分かった。ちょっと待って」
はっ、と何かに気づいたように耳元へ手を当てる。どうやらインコムから声がしていたようだが今までずっと気づかず、ようやく返事をしたらしい。
凛とした佇まいから漂う気品のある雰囲気は年頃の少女とは一線を画しているように見えるが、艶のある黒髪をサイドテールで纏めている辺り年相応の幼さも感じさせる。感情的になって、自分の周りのことに気づかなくなるのも無理はないだろう。
通信相手から何かを頼まれたためか、彼女は懐から手のひらサイズの多少厚さのある円盤みたいな何かを取り出す。一見して懐中時計のように見えるが、肝心の時針が付いていない物だった。
「場所は中央区三丁目、、小ビル街区の路地裏よ。犠牲者は……路上生活を送っていた人間複数で、身元は不明。――ええ、結界は張っているから目撃されることはないと思う。魔術協会に知られないうちに、こっちで早くなんとかした方がいいかな」
現場の位置と被害にあった人間についての報告もしながら、少女は取り出した円盤の状態を確かめてボタンを押す。すると、円盤は仕掛けが作動したかのように蓋を開き、複数のアナログ式の目盛とカチカチと音を出す歯車が中から出てきた。
「――いいえ、だめ。魔力の反応は所々見られるけど、ムラがありすぎて何の反応なのか判別がまるで付かない。識別できない以上、足跡を辿って追跡するのはできないと思うわ。
――待って…………ええ、の方は拾えるけど。でもお姉ちゃん、それって」
円盤の目盛を見ながら報告を続ける彼女の声から、次第に焦りと怒気を帯びたような口調に変わっていく。インコムの向こうの相手――彼女の姉の提案してきた内容に少女は賛成することができないようだ。
「――確かにそれはそうよっ。でも、そのやり方だと相手の出方次第になってあたしたちが受けに回ることになるわ!そうなるとまた……っ、またこんな犠牲者が出てしまうじゃないっ!」
人影のいない、またしばらくは寄り付くことのない惨状の広がる路地裏で少女は、憚ることなく声を上げて姉に言い返す。
これまでにも彼女は今夜のような事態の調査と解決に、今は別行動で捜索を行っている姉と幾度も動いてきた。――いや、正確に言うと街全体の捜索をそれまで一人で賄っていた姉に数年ほど前、妹が自分にも手伝わせてほしいと協力を申し出たのだ。
無理を押して頼み込む妹とそれに反対する姉とで長く言い争ったが、口論の末に折れた姉から必ず指示に従って独断で行動はしない、単独行動時に敵と遭遇した際には必ず逃げる、という条件の下で協力を許すことにした。妹としてもそこが妥協点であることは分かっていたため、姉の采配を信用するということでその条件を受け入れたのである。
だが、采配が如何に正しいものであるとしても、姉へ寄せる信頼が揺るぎないものであったとしても、彼女の心がそのすべてに納得できるというわけではないのだ。
「――分かってるわよ、そんな事くらい……っ。でも……何もしないことが最善だなんて、そんなの納得できないじゃない」
そう言い終えて歯ぎしりをする彼女の姿は可憐だが苛烈で、こみ上がるその闘志と悔しさが並々ならぬことを見る者に強く感じさせる。インコムの向こうの姉もそれが分かっているのか、理屈や事実を並べて無理に言い包めるといった類の返事をしていないようだ。妹のことをよく理解しているからこその判断なのだろう。
それからしばらく両者の間には短い沈黙が流れたが、次の指示として届いてきた姉の声に「――分かった。じゃあさっき決めた場所で合流ね。――うん、気をつけるわ。じゃあ、またあとで」と返事をする。そして目的地に向かおうと足を進めかけたところで一度振り返り、亡くなった見知らぬ被害者たちに哀悼の意を込めて合掌してから、改めて惨状の広がる路地裏を後にした。