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ふくぶくろ

作者: 田中志摩貴

 高校二年の二学期が終わるその日、鋭い寒気が押し寄せる季節もなんのその、私のテンションは振り切れていた。今日は聖なるイブだぜイブ、いやっほーい!

 ざわつく教室の隅で興奮を抑えきれない私は、舞台上のボーカリストのように椅子に片足を乗せてぐっと拳を握りこみ、くううと奥歯を噛みしめる。

「ありがとうクリスマス、本当にありがとう! 八百万の神を祀る多神教の日本にありがとう。仏教徒がクリスマスを楽しむご都合主義に感謝! クリスマスは神様の誕生日じゃなくて、正しくは神の降臨を祝う日だって知ってた? けど! 神様の誕生日であろうがなかろうがそんなこと関係なくない? クリスマスといえばデートイベント! 誕生日、バレンタイン、クリスマス! その中でも最大イベントがクリスマスでしょお!」

 友人の環子がぽかんと口を開けて呆れていても気にしない。

「あんた、パンツ見えてる」

「おほほ。パンツくらい私だって履きますわよ。で? 環子は今日のイブどうするの?」

「別にふつう。部屋で漫画読んでるかな。まあケーキくらい食べるけど」

「お正月は誰かと初詣行ったり?」

「別にふつう。家族と親戚ん家に行くかな。あとは漫才見たり、おせちや雑煮食べたり」

「何それェ! 全然楽しくなさそう!」

「お年玉もらえたらデパートの初売り行くから、あたしゃそれで満足」

 環子がつまらなさそうに肩を竦めると、その背後から同じクラスの平岡がにゅっと顔を出す。どことなく卑しげににまにまと薄笑いを浮かべていた。

「何よ平岡」

「いや、パンツ見せてまで男漁りしてんのが気になってさ。そんなに男を探してんなら、まあ、今夜は俺が相手してやらなくもないぜ。仕方なくだけどよ」

「結構ですゥ。相手はちゃんといますからァ!」

 私がふふんと鼻を鳴らして腕組みすると、途端に平岡が動揺した。

「マジかよ。お前、彼氏いたっけ」

「彼氏じゃないけど、イブは約束してるんですゥ」

「そ、そ……そうなんだ。お、おう。悪かったな。前からお前、誰でもいいから一人でいたくないって言ってたから……てっきり寂しいイブなんだと思ってて。ま、まあ、俺もクリスマス要員の女の子探してただけで、まあ、それで声かけたつーか、その」

「はいはいありがとね。また始業式に~」

 私は手首をくいくい動かして平岡を追い払った。

 女同士の会話を茶化したことに気まずさを感じているのか、もしくは本当に私をデートに誘うつもりだったのにあっさり断られて落胆したのか、がくりと肩を落としてとぼとぼと教室を出てゆく。私はやれやれと溜息をついた。

「ふ、モテる女も辛いわ。というか誘うならもっと早く言えっての。なんで当日なの」

「確かにあんた、誰でもいいからデートする。イブに一人は嫌だって叫んでたよね」

「そそ。そんな私は今日はおデートよーん! あ、そろそろ行かなきゃ。んじゃあまたメールかラインで報告すんね。楽しみにしててねーん!」

「健闘を祈る。南無南無」

 環子が眼鏡の奥で瞑目しながら合掌する。そういや、環子は仏教徒だっけ。


 *


 デートに誘われたのは二週間前で、相手は学年でも目立つイケメンの野々村くん。

 正直ほぼ面識がなかった。何度か話したことはあるし、連絡先も交換してるけど、ふたりで出かけたこともないし、そんな空気になったこともない。

 ――良かったらイブに逢えないかな。

 照れくさそうに目を逸らしながらぼそりと言われて、キタコレと叫びそうになった。好きだと告白されたわけじゃないのにぐっと心を掴まれ、二秒後にはイエスと返答してた。

 今思うとがっつきすぎじゃん、私。

 待ち合わせは七時。一度帰宅して身支度を整えればちょうどいい頃合いだろう。実はこの日の為に本気服を用意した。気合を入れすぎてお金が吹き飛んだ。

 でもめげない! なぜならイブのデートだから!

 鼻息も荒く帰宅のバスに乗車する寸前、スマホが振動した。餌に飛びつく犬のように操作すると、今まさに頭に思い浮かべていた野々村くんからの着信だった。

「もっしもーし! あの今ね」

「ごめん」

 私の浮かれた声は野々村くんの悲壮な声に掻き消された。

「ごめん。今日の予定キャンセルしてもらえないかな。俺、行けなくなった」

「そんな……! どうして!」

「本当にごめん。妹が急に入院したから家族で病院に向かうことになって……ごめん」

 自分がどう返事したか覚えていない。頭が真っ白になった。どうバスに乗ったのか、どう二足歩行したのか、どう扉を開けて家に辿り着いたのかもわからない。気づくとベッドに転がっていた。夕食を食べる気力もなかった。

 煌めく装飾に囲まれてお姫様気分を味わっているはずが、現実は家でひとりぼっち。環子は漫画を読んでケーキを食べたのかな。それでも私よりは遥かにマシに思えた。

 けど仕方ないよね。家族の緊急時にデートしてる場合じゃない。何度となくそう自分に言い聞かせても虚しさが募るばかりで、私はひどく惨めな聖夜を過ごした。


 *


 元旦――環子にあけおめメールを送ったが、クリスマスの詳細については伏せておいたし、環子からも詮索されなかった。雪は降っていないのに気温が低く、外界で呼吸すると雲のような白い息が漏れる。細やかな門扉に設置された郵便受けに突っ込まれた、輪ゴムで括られた年賀状を取り出す。ほとんどが親に宛てられたものに違いない。

 お愛想程度に雑煮や正月料理をつついたあと部屋に戻る。正月は退屈だ。テレビも面白くないし出かける用事もないし、訪ねる親戚もいないからお年玉ももらえない。

「鳴海~。年賀状きてるわよ~」

 母親の一報を受けて、忍者のような俊敏さで階下へ降りる。まじですか。年賀状なんて今までまともに来たことがないんですけど?

 裏返して名前を確認するとDМだった。これは年賀状じゃないよ。どうしてくれるのお母さま。私のときめきを返してください。

 新春セールの告知みたいだがまったく見覚えのない店舗名だ。というかどれが店名かわからない。階段を登りながら文字を追ってゆくと、嬉しい単語が目に飛び込んできた。

【無料福袋はいりますか?】

【千と二個LAST】

 思わずひゃっほーいと雄叫びをあげていた。何を隠そう私は「限定」やら「無料」やら「最終品」という言葉にとことん弱い!

 住所や氏名などの必要事項を明記したあと、福袋の文字を○で囲む。その瞬間、紙面から眩い光が放たれて咄嗟に目を瞑った。漫画かよ。異世界にでも飛ぶのかよ。と心の中で漏らしたと同時に視界は闇に閉ざされ、意識がぶつりと途切れた。


 *


 壁を隔てているように、ぼそぼそと曇った声が聞こえてくる。男の声っぽい。誰だろうと訝っていると、私の周囲を覆う遮光カーテンめいたものが解除された。水面に上がった水泳部員のようにぷはっと息を吐くと同時に人工的な照明に視覚を攻撃される。

 難しげな書籍が並ぶ本棚。清潔そうな白い壁。学習机とその上に置かれたPC。ホテル仕様のごとく糊で固められた寝具に包まれたベッド。ここはどこだろうと、忙しなく首を巡らせていると、備え付けクローゼット前に見覚えのある顔を見つけてハッとした。

「野々村くん!」

 私の声はまるで届いておらず、彼は無反応を決め込んだ。私は部屋の中央に配された丸い硝子テーブルに座らされていて、しかも立ち上がることができない。試しに足を伸ばしたり広げたりしてみる。身体の自由が効くのは、四肢が動かせる範囲――いわばパーソナルスペースに限定されるらしい。野々村くんは私がここに座っていることにも頓着しない様子で、自室のように寛いでいた。

「ちょ、何これ。何が起きたのよォ」

 混乱したままぎゃあぎゃあと喚いても事態は好転せず、私は二十分ほどで現実を受け入れた。というより解決する術を持たないのだからどうしようもない。

 と、ベッドの縁に背凭れて雑誌を読んでいた野々村くんがもぞもぞと近寄ってきて私の顔を覗き込んでくる。ドキドキした。しかし彼は気難しげに口唇を引き結び、その視線に熱はなく、逆に無機物を観察するかのような目つきだった。

「野々村くん……?」

 この憐れな空白は何秒続くのか、彼は眉間を寄せて無言を貫きつつ、ぐっと顔を近づけて凝視してくる。あまりに距離が近いので肩口を押し返そうと手を伸ばした時、彼が徐に私のスカートを引っ張った。そして唐突に中を覗き込んだ!

「な、ちょっとォ! 何してんの!」

「ふん。一応履いてるのか」

 懸命にスカートを手で押さえる私の抵抗など意に介する様子もなく、野々村くんは私の膝裏に手を差し入れて立ち上がった。俗にいうお姫様抱っこだ。

「え、ちょ、何。やだ!」

 じたばたともがいても役に立たない。野々村くんは滑らかな動作で扉を開けて廊下に出たかと思うと、すぐ隣の部屋をノックする。見慣れない天井や壁や内装、そして彼の慣れた行動からここが野々村家なのだと推測できた。それよりも。嘘でしょ。よくよく考えると彼は私を抱き運びながら扉の開閉をしたことになる。物理的に片手で私を支えてるわけ? いやまさか! イケメンの細腕だよ? 何なの。細いけど俺も男だぜって?

 野々村くんはノックの返答も待たずに無遠慮に歩を進めたかと思うと、抱えていた私をベッドに放り投げた。寝台のスプリングが柔らかいのが救いだった。

 天井に備え付けられた照明、淡いクリーム色の壁紙、棚や机やクッションなど至るところに薄い桜色が配色されている。明らかに女の子の部屋だった。

 そして――私は衝撃の光景を目にした! 

 ちょうど今潜ったばかりの戸口の脇に小さな箪笥が置かれてあり、その箪笥の前で同じクラスの男子、平岡が膝下を交差させて均衡を取るだらしない起立姿勢をとっている。平岡が私の姿を認めた瞬間、びっくりしたように目を白黒させた。こちらも動揺して声が出せない。平岡がふっと笑ったあと、片手をひょいとあげて「よお」と挨拶してきた。

 何がどこでいつ誰がどうして今ここであんたと。複数の疑問符が同時に頭に湧いてきて混乱し、結局はどれも口にすることができなかった。

 野々村くんが戸口の前で腕を組み、むうと不満げに口角を歪ませる。

「それお前にやる。俺いらない」

「だから、最初から福袋はちょうだいねって言ったじゃん。お兄はフィギュアなんて興味ないんだからさあ。あ、乱暴に扱わないでくれるー? ベッドじゃなくて、そっちの、ほら、棚に置いた男の子フィギュアの横に並べないと」

「わかったわかった」

 野々村くんに手首を取られ、平岡の隣まで連行された。何だこれ何だこれ。八畳の部屋に四人も密集しているのに、なぜ兄妹は私たちという異物を無視していられるのか。

 平岡がしっと口元に指を立てたあと、その指でちょいちょいと床を指し示して胡坐をかいた。とりあえず私も腰を下ろしてみる。

 壁時計は午後八時半、電子暦は一月二日を示していた。野々村くんがポケットから小さなぬいぐるみのついたストラップを取り出して、またもポイとベッドに投げつける。

「ついでにそれもやる」

「えー、何これ。いらなーい」

「俺もいらない。クリスマスプレゼントにもらった」

 私は途端にびくりと身を竦めた。そうだ。奇想天外の連続が展開されているので忘れていたが、私は野々村くんにドタキャンされた。妹の入院が理由で。あれ、妹の……?

 肌の血色が良く、はきはきと喋っている妹は頗る機嫌も良さそうだ。

 私は思わず乾いた笑いを零した。

「あは、あはは……い、妹がひとりとは限らないよね?」

「はあ? 意味わかんね」

「ごめん、何でもない……」

 つい環子に同意を求めるように話しかけてしまった。そして少し安堵する。平岡にイブデートの詳細を話していなくてセーフ。ぎりぎりセーフ。

 野々村くんの妹がちらりとストラップに一瞥をくれる。

「それって彼女さんからもらったやつ?」

「違う。彼女じゃない。それなりに可愛かったけど」

「意味わかんなーい。好きじゃないのにクリスマスに会うのー? お兄、チャラすぎ」

「馬鹿。クリスマスだぞ。女の予定を入れなくてどうする」

 野々村くんが勝ち誇った笑みを浮かべたので、私は愕然とした。考えれば考えるほど、正解したくない事実に突き当たってしまう。私はドタキャンされた。なのに野々村くんはクリスマスデートをしている。そして妹は元気そうで、家庭内に沈んだ翳りはない。

 嘘だったのか。茫然としている私など歯牙にかける気配もなく、野々村くんが続ける。

「お前はガキだから知らなくて当然か。クリスマスにぼっちで過ごすと性格が歪むとか、性格の悪いやつとしか結婚できないって言われてる」

「知ってるー。でもそれ都市伝説でしょ」

「腹黒女としか付き合えないとか最悪すぎ。だから、イブのぼっちは回避した。失敗したくなかったから八人はキープしといた。当日は一番顔のいい娘を選んだ。大した意味はない。ぼっち回避できるなら相手は誰でも良かったし」

「……ひくわ―。お兄、どんびきだわー」

「ちなみにお前が入院したことになってるから、万一の時は口裏合わせろよ」

「なんで私が巻き込み事故に遭うわけー?」

「そこ。よく見ろ。福袋の人形やっただろ。それでチャラな」

 野々村くんはけらけらと笑って部屋を後にした。

 彼が去った後の室内は業務用の大型冷凍庫のように冷え冷えとしている。妹さんはネットをしているのかゲームをしているのかPCに張り付いたままだ。

「ええと……」

 恐る恐る平岡の様子を窺うと、その横顔は精悍そのもので、驚くほど凛とした面持ちにドキッとした。普段は――ふざけた態度をしている平岡しか見たことがなかったから。

 私は俯きながら持て余した指をもじもじと絡ませた。

「な、なんか、おかしな話を聞いちゃったよね。あは。あはは。なんか……野々村くんてあんな人だと思ってなかったからびっくりしちゃったァ……」

「あんな人? ああ、クリスマスにたくさんの女と約束しといて、可愛い子とだけデートしたって? 確かに、可愛い子から貰ったモンを粗末に扱うとか、まあ、ねーわな」

「そこじゃないでしょお!」

 私の反駁に驚いたのか平岡が身をびくつかせた。

「自分の都合で約束したり約束破ったり、そんなの許される? というかそもそも好きじゃない女の子とデートに行くってどうなの! クリスマスだよ? 特別な日でしょ?」

「お前、人のこと言えねーだろ」

「そ、そうでした」

 でも違うくない? 私には予定をこなす誠実さがあった。一緒にしないでもらいたい。被害者は私だもん。大声で憤懣をぶちまけたくても、そうするとすべて白状しなければならないので、釈然としない気持ちを押し殺しながら口唇を尖らせた。

「だって……イブに一人なんてヤだよ」

「それって寂しいから? それとも見栄? まさか都市伝説を信じてんの?」

「もういいよ!」

 私は湧き起こる苛立ちを適切な言葉に変換できずにプイと顔を背けた。

「平岡はっ? イブはどうしてたの!」

「何もしてね。やってらんねーなって、サンタなんていねーなって、しみじみ空を見てた」

「ぷぷ。何それ。あんたメルヘンすぎ」

 茶化したつもりなのに、動じない平岡はカーテンで閉じられた窓に首を向けた。

「俺さ、去年サンタにお願いしたの。けど叶わなかった」

「私も去年お願いしたなあ。何で高校生にもなって、私らサンタを信じたんだっけ。そだ。去年はあの都市伝説と一緒に、サンタさんは実在するって学校中で盛り上がったんだ! 私もね、私もお願いしたよ! 彼氏ができますようにって!」

「お前、本当に誰でもいいのな。アバウトすぎだろ」

 平岡の呆れ声に傷ついたりなんてしない。だって私は素敵な恋愛がしたいんですゥ。恋愛して幸せな高校生活を送りたいんですゥ。イチャイチャしたいんですゥ。と言いかけたが、あまりにアホっぽいので、私は背後の棚に凭れながら後頭部を預けて目を閉じた。

「私……馬鹿なのかな」

「馬鹿だろ。間違いなく」

「何でこんなことになってんの私ら」

「知らんけど、もうどうでもよくね? なるようになるんじゃん? こんな夢みたいなこといつまでも続かねーよ。よくわかんねー葉書に名前を書き込んだらここにいたし」

「それ! うちにもきた!」

 平岡に掴みかかる勢いで上体を起こす。

「無料で福袋をもらえるってDМでしょ」

「あー……【無料 福袋はいりますか 千と二個ラスト】とか書いてあったな」

 意外にも記憶力が優れているらしい。密かに感心していると平岡がパンと膝を打った。

「すげえ! 俺わかった。くうう、マジかー、やられたわー。おいよく聞け。あれは、福袋は要りますか、じゃなくて、福袋入りますか、って書かれてたんだきっと」

「は?」

「おいおい察しろよ。たぶん俺らは今、フィギュアになってる。だから野々村兄妹は俺たちを人形扱いしてる。現にあいつらが動かすことはできるけど、俺たちは自由に動けないだろ。たぶん初売りの福袋に詰められてたんだろうな。俺さ、葉書に記入してから記憶が飛んでて、野々村の妹が包装を破ったあとに目が覚めた。目が覚めたらここにいて人形扱いされてた。お前もそうじゃねーの?」

 そう言われればそうかもしれないと思えてくる。少なくとも、野々村くんが福袋やらフィギュアやらを会話に織り交ぜていたことは事実だ。

「えェ? あんた、よくそんな超展開思いついたわね。びっくりだわ。頭イカれてるんじゃないの」

「ならお前が説明してみたら」

「う。いや全然わかんないけども。じ、じゃあ、葉書に印刷されてた数字とかラストって何なの? 関係なし?」

「千と二個ラスト千と二個ラスト……」

 平岡がぶつぶつと呪文のように何度も何度も繰り返す。五分も集中して唱えているのが不気味だった。ぶっちゃけ気持ち悪いと目を細めていると、急に平岡が高笑いを始めた。

「なんだ! まじか! すっげー! 奇跡だろコレ! 信じらんねえ!」

「何なのもう」

 困惑する私を余所に平岡が腹を抱えて笑い続ける。それが収まると、笑いで滲む目尻の涙を無造作に拭いながら逆の手で私の頭をくしゃくしゃと撫でた。

「なあお前、俺と付き合えば」

「は。どうしたのいきなり。わけわかんないんだけど」

「彼氏が欲しいんだろ。誰でもいいつったじゃん」

「そりゃ言ったけど……何なの。彼氏候補が千と二人いるならもうちょい考えたいし……うん? 男女で半分なら五百と一人なのかなァ。や、自分の数を引いてないから、ええと」

「俺にしとけ」

「うーん?」

 働かない頭を悩ませていると、PC前にいた野々村くんの妹がこちらに近寄ってきた。

 もしかして会話を聞かれたかもと焦りながら手で口を塞ぎ、平岡と目を合わせる。

 妹が私たちをじいっと見つめていた。何してんのこの子。息を止めているので苦しいんだけど? 恨みがましく睨みつけていると、妹が左右の手をそれぞれ私たちの後頭部に添えて押し潰すように近づける。

「ちょっと! なんで? やめてよ! 顔近い、近いから! なんで近づけてんの!」

「俺のせいじゃないぜ? けどいいじゃん。目でも瞑れば?」

「馬鹿じゃないの、あんた! ちょっと! ほんとヤダ! こんな初キスなしなし!」

 私の懸命の懇願が通じたのか、妹が力を緩めたので、ぐぐぐと平岡の顔を押し返して距離を取る。平岡は余裕ぶった顔で笑いを噛み殺していた。

「付き合ったらキスくらいすんだろ。いい加減、腹括れよ」

「彼氏は誰でもいいけど、キスは好きな人とするもんでしょ!」

「その理屈がわかんねーわ。けど」

 平岡が少しだけ顎をあげて蠱惑的な笑みを浮かべた。

「俺はお前が好きだよ。俺は去年サンタに祈った。きっちりお前の名前を出して、お前と付き合いたいですってな」

「マジ?」

「お前、クリスマスは神様の誕生日じゃないって知ってるか?」

「当然でしょ。誕生日じゃなくて、降臨を祝う日なんだから!」

 私が得意げに胸を張ると、平岡がふふんと鼻を鳴らす。

「ならサンタクロースの本名は知ってるか?」

「さ、サンタはサンタでしょ!」

「サンタクロースはセントニコラスって人の伝説がもとになってるって噂がある。セントニコラス。セントニコラス――千と二個ラスト。あれってサンタの署名じゃねーかな」

「えェ……なんか……あんた相当ヤバイよ?」

「だから復唱してみろって。言えばわかるから」

「うーん……こじつけっぽいというか、なんか嘘くさい」

「違ってもいいや。俺はそう解釈した。サンタってすげーな。感謝感謝。そんでお前が尻軽なことにも感謝だな。イブに他の男と会ってても気にしない。広い心で許す」

「はあ? 何いきなりディスってんの?」

「本気で感謝してんの。お前が誰でもいいから彼氏が欲しいって願わなかったら、もし俺じゃない誰かの名前を言ってたら、俺たち、ここで福袋に詰められて顔を合わせることもなかったかもしんない。だから……俺は本気で嬉しい」

「ちょっと待った。え、何よ。あんた、私のこと好きだったの?」

「すげぇ好き」

 平岡が少しだけ身を乗り出して大型犬が懐いてくるみたいに無防備に笑う。ちょっと絆された。たまにカッコイイし? 記憶力いいし? 可愛いし? 私のこと好きだし?

「そ、そーう? な、なら、あんたとの付き合いを考えてみないこともない、かな」

 平岡が大袈裟なほど嬉しそうな安堵の表情を浮かべて、ほおと息をついた。勢いで抱き着ついてきそうな格好で手が伸びてきたが、躊躇するように空を泳いでいる。

 野々村くんの妹が小首を傾げてこちらを眺めていたが、こちらの会話は聞こえていないようだ。なのに再び私たちの後頭部に手を添えて力を込め始める。

「お兄はクリスマスデートしたんだもんなー。やっぱりキスとかしたのかなー」

 嫉妬や悔しさや歯痒さではなく、妹さんも、純粋に素敵な恋に憧れる乙女の瞳をしていた。そして私たちというフィギュアを無理矢理キスさせようと顔を傾けさせる。

「ほら、目」

 少しずつ近付く平岡の顔を正視できずに私はがっちり目を閉じた。触れたか否かという際どい瞬間、私の意識は再びブラックアウトしたのだった。


 *


 祝日――成人の日。久しぶりに顔を合わせた環子が、ソフトボールを呑み込みそうなほどあんぐりと口を開けた。

「イブに野々村とデートの予定を入れてた癖に、え、何、もう平岡と付き合ってるとか……あんた、とんだビッチじゃない」

「むふふ。平岡がァ、馬鹿で尻軽な私が好きだって言うんだァ」

「ど変態すぎる」

 環子が顔を顰めてずれた眼鏡を直した。

「環子も彼氏を作るといいよ! 絶対に毎日が楽しくなるから! これホント!」

「あんた、幸せそうな馬鹿面してる。猿みたい」

「んふ」

「彼氏かあ……けどま、好きな人は出来た。たった今」

「今! は?」

「野々村はあたしがもらう。あんたには平岡がいるから構わないでしょ?」

「え、けど、ちょっと! 話聞いてた? 野々村くんはチャラくて嘘つきだよ?」

「イケメンで女にだらしない自堕落で腹黒なチャラ男。どストライク!」

 環子が親指をぐっと立てて、眼鏡の奥をきらめかせた。結局あんたも変態じゃん。

 氷の溶けたジュースをじゅるじゅると啜りながら環子が気怠げに頬杖をつく。

「馬鹿で尻軽な女が好きって奴もいれば、あたしみたいなクズ好きもいる。そんでもお正月にテレビに齧りついて漫才や謎かけ見てたり、家族と初売りで福袋買うために並ぶよりは……片思いでもしてる方がマシかもね」

「そォだそォだー!」

 威勢よく右腕を突き上げて賛同すると、環子が思い出したようにくいと顔をあげる。

「あ。謎かけが閃いた。【その心は】って合いの手入れてくれる?」

「何いきなり」

「すみませんね。暇だったもんで、あたしゃテレビばっか見てたのよ。正月番組は漫才と謎かけばっか放送してたせいか自然と私も謎かけができるようになってた」

「初売りで無料の福袋はもらわなかったの?」

「なかった。来年に賭ける。いや違う。来年のクリスマスに賭ける。賭けるというわけでいくよ。えー、新春初売りの目玉商品とかけまして、裏表の激しいダメな奴と解きます」

「その心は?」

「どちらも【ふくぶくろ】でございます。福袋。腹部クロ。あ、腹黒いってことよ? あれダメ? イマイチ?」

「私、馬鹿だからよくわかんない」

 正しい判定ができないので大袈裟に笑って誤魔化しておくと、スマホが滑らかな旋律を響かせた。着信音? もちろんジングルベルに決まってるでしょ!

                                     了

 

                            

コバルト短編新人小説賞でもう一歩の作品 184回

二日で書き翌日推敲で三日かかった。ノリで書いたけど自分の癖が出てる

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