おとなの宿題
家族的な会社で慣れるほどに惰性で働き、何となく年を越す内に50才になるのは瞬く間の事だった。
父が磨いてくれる靴を履き、シルバー人材で働く母に食事の支度も洗濯も任せきり。
相変わらず玉子焼ひとつ焼いたことのない香織だったが世話を焼いてくれる親も年をとり、茶々も老猫となった。
元々安普請の家も年を取り、窓枠は歪み、まともに開閉出来る窓は一つもない。
浴室の扉は腐り、天井には雨漏りの染み。
ゴキブリが茶々の存在など物ともせず出没する。
壁一つ隔てて寝起きの音が筒抜けの隣人にもウンザリしている。
新興宗教に熱心な隣人が早朝五時から玩具のデンデン太鼓みたいなものを叩いて行を唱えるのも我慢ならない。
このままこんな場所で年を取り続けてきた現実に愕然とする。
いつか自分にふさわしい良い条件の新生活がもたらされるのだと、漠然と、しかし、強固に信じてきたのだ。
その結果が誰にも本気で相手にされず、見知らぬ人から、奥さんだの、お母さんだの、おばさんだのと呼ばれ、該当するのはおばさんだけなのが更に腹立たしい。
だからと言ってもっと早い時点で現実的になって、適当なところで手を打って結婚しておけば良かったのかも…などと思わない。
最近、姉の夫の訃報が届いたが舌癌で死んだ義兄は発病前に姉と事実上、離婚前提の別居をしていたらしい。
傾いた婚家の家業の為に身を粉にして働いていた姉は義兄に追い出された格好だったから死んでくれてヤレヤレだろう。
義兄亡き今は店も手放し、きれいさっぱり羽を伸ばして新生活に踏み出したらしい。
あのまま義兄が健康なら大した財産分与もなく、体よくお払い箱にされていたに違いない。
そんな結婚、ぞっとする。




