おとなの宿題
乾いた音をたて、目の端を走り抜けた黒い影はゴキブリだろう。
居間で新聞を読んでいたが影の消えた方向が気になって立ち上がる。
駆除剤をまいても効果がどんどん短くなるようだ。
傾いた家の色んな隙間から害虫が入ってくる。
昨夜は夜中に風呂場の排水溝からゴキブリが這い出して来るところに出くわした。
この家の限界は近いが、どこまで耐えられるか、私の限界もそこまで来てる、と浦川香織は煙草に火をつけた。
安普請の長家の一角は築50年、ちょうど香織が生まれた年に建てられた。
見ただけで玄関扉や窓の建付けが歪んでいるのが分かる。
床だって、いつ落ちるか怪しいものだ。
しかも信じられないことにこの家は賃貸ではなく分譲なのだ。
どこに、こんな資産価値が低く転売の可能性の無い家を好んで買う人間がいるのかと思うが、50年前の事情はまた違っていたのだろう。
両親のような貧乏人が自分の家を持ちたいと願えば当時はこうした長家をローンで買うくらいしか選択の余地は無かったのかも知れない。
しかもボロクソに言ってみても、そのお陰で取りあえずは両親と共に家賃の支払いの心配もなく住んでいられることに感謝するべきだろう。
30才から不動産会社で契約社員として働き出して20年になる。
香織には今まで結婚歴がない。
自分に自信が有ったので、いずれ選び抜いた好条件で結婚すると信じていた。
我ながら自分の何に自信が有ったのか今ではその根拠が見当たらないのだから笑える。




