乾いた水
みちるの背後に回り背中のファスナーを上げてくれる。
濃紺のワンピースは軽いジョーゼットでシンプルなストレートライン、その代わり蘭の花模様が見事な手刺繍であしらわれている。
シンガポールへ家族旅行したときにホテルで買った一枚だ。
よく似合っている、と言いながら背中を抱きしめ、前を向かせてもう一度抱きながら、中身はもっと素晴らしいけどね、と口づけた。
みちるは固く目を閉じ、全身吸い取られそうなめまいに膝から崩折れそうになる。
とろけるとはこういう事なのかと大真面目に思う。
別れ際、改札手前まで送ってくれると言う陽介を人目につかないかと心配になるが結局は送ってもらうことにした。
1人になり、余韻にのぼせながら、これきり連絡が絶えても構わないと終わりを覚悟していた。
この関係は陽介の気紛れで、若くもない主婦の自分と、とても次があるとは期待出来なかった。
そう思う方が自然だし私の人生の一枚だけのグラビアページとして大切にするだけでいいと、むしろさばさばしていた。
しかし、諦めは良い方に裏切られた。みちるが家にたどり着く前に陽介からのメールが追いかけるように届いていた。
「今日は本当に嬉しかった。別れたばかりなのにもう会いたい。柔らかい唇を思い出して今夜は眠れそうにないよ」
電車の中で不用意に開いた画面を慌てて閉じる。
顔が赤くなっているのが窓ガラスに写る顔を見なくても分かった。
メールの最後には二週間後にまた大阪の大学で講義がある、そのときにまた会いたいと綴られていた。




