乾いた水
夕方のショッピングセンターの入口ホールを羽田みちるは家族の重い食料品を提げて、とぼとぼと横切っていた。
危ないと思う間もなく、何も無い平坦な所でつま先が躓きペシャッと前のめりに床に膝を打ちつけた。
不格好に両手をついてノロノロ起き上がろうとしていると優しく腕を支え抱き起こしてくれた人がいる。
顔を上げると目の前に見えたのは50才前後に見える同年代の女性の穏やかな笑顔だった。
「大丈夫ですか?荷物はこれだけですか?」親切にかばってくれた上、スーパーの買い物まで拾い集めてくれた。
お礼を言う間も無く立ち去る女性の後ろ姿を見ながら、私にもあの人の様に、あんな風に行きずりの人に親切にする余裕があったのに、と情けなくなる。
電車で席を譲るのは勿論、スーパーのレジでも商品を一つしか持たない人が後ろに並べば、感じよく声を掛けていつも先に行かせてあげた。
気が付いた事なら人に譲るのは厭わなかった。
でも今は他人どころか自分の慣れた家事すら満足に出来なくなっている。
自宅マンションの郵便受けのダイヤル錠の番号を思い出せなかったり、せっかく取った鍋一杯のだし汁をざるに空け、出涸らしの鰹節を残して流しに捨ててしまったり。
普通に生活することが困難になって落ち込み続けている。
若い時とは気力も体力も変化に対する順応力も衰えている。
49才で新しく何かを得て自分の人生後半に思いがけない期待をし、又それを失ったとしたら、期待した分、立ち直るのは難しいと思う。
まして、それが年齢と共に諦め、忘れようとして来たものであれば、尚更だ。
それは唯一無二の愛であり、運命の人と信じる恋人の出現であった。
二十数年の忍耐の上に築き上げた家庭を捨てるまでにのめり込んだ瞬間、それは、みちるを残して消え去った。




