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8.1

顔は良い、それは認める。

ただ性格がいいかって言われると、そんなことは無くて口だって悪い。人の話に聞く耳持たない。

そんなあいつを私は説き伏せようとしていて、それは私だけの為じゃなくて。だから何としてでも首を縦に振らせようと意地になって。


そして、それで。




「新垣」


授業が終わって廊下を歩いていた。前の授業は選択で教室に戻る途中だった。

そこで前を歩いている新垣春樹を発見した。半袖のワイシャツをあまり崩さず背が高い上に姿勢良く歩いているから目立つ。


新垣は一度此方に顔を少し向けてまた戻してしまった。相変わらずつれない。

かといってこのまま引き下がるつもりもないから、新垣に追い付いてそのワイシャツを掴む。


「止めてくれない?それまで破く気なの」


一瞥もしないで、新垣が言う。

新垣が言ってるのは前に私が新垣のワイシャツを破ってしまったことだろう。


「さすがにもう破かないわよ」


「にしても皺になるから止めて。あんた力の加減出来ないだろ」


それに関しては多少自覚はあるので、迷いはしたが離した。ちらりと新垣の腕に目を向けたが振り払われるのが関の山だから止めた。

なまじ身長差があるため追い付くためには小走りしなければならない。


「新垣、陸」


「無理」


「…まだ何も言ってない」


ここ半年近く部に入れようとモーションをかけているがこの男は全く靡く様子が無い。

手強すぎる。

普通ちょっとやってみようかな位思ったっていいじゃないか。それも並み以上に才能があるんだし。


「そんなに、陸上嫌いなの。新垣は」


私には到底分からないがそんな人間がいるのかもしれない。新垣がそうなら私がこの先何度言い寄ったって無駄ということになる。


「…別に走るだけなら嫌いじゃない」


ぽつりと新垣が答える。その答えは予想外で。


「体動かして一つの目標を目指してる間はそれ以外何も考えずにいられるし」


「じゃあ…」


「それでも無理」


なんで。

走るのが嫌いじゃないんでしょ。

何か他の障害になるのか。

新垣の後ろ頭を見上げながら次の言葉を待った。


「あんたみたいに何よりも好きとか大事なものにはなれそうもないから」


面倒だから、といつも答えていたからてっきりそう思っていたかと思った。


「そ、それこそやってみないと分からないわよ」


「やらなくても分かる。一生興味が持てる気がしない。そんな奴がこの変な時期に入っても部の雰囲気悪くするだけだろ」


新垣がそんな理由で今まで断っていたなんて知らなかった。

そんな真面目に考えてくれていたなんて。


私が知らない新垣春樹。


なんだかそれがもっと知りたい気がした。


「じゃあ…新垣が興味あるものって何」


全然意味のない質問。聞かずにはいられなかった。


「ない、何にも」


あっさりそんな答えが返ってくる。

何にもないとか…。


「何でもいいんだって、ゲームとかアイドルとか漫画とか」


部の男子が雑談していたことを思いだしながら言う。好きなものがないとか高校生がないだろう。が、新垣は食い付いてはこなかった。


「つまんない奴…」


それが本当なら究極につまんない奴。何にも楽しみがなくてただ時間を消費しているだけの面白味もない人生を生きてる奴。


「真琴も、こんなのが彼氏で退屈だろうに…」


言えば僅かに新垣の歩くスピードが緩む。

空気が変わった。

自分の言葉に新垣が動揺を見せたと知って正直小気味良かった。


「そのうち浮気とかされちゃうんじゃない。例えば、あの新聞部とかに」


私の悪い癖だ。

思いついたこと全部口にしてしまう。面白いと思ったらそのままついやり過ぎてしまう。


「どうするー、捨てられるんじゃない。そんな事になったら。私付き合ってやろうかー?」


笑ってその背中を押せば、咄嗟にその腕を掴まれた。

悲鳴を上げる暇も無い。新垣が振り返って、鋭い視線に射ぬかれた。ぎり、と手首に強い力がかかる。


「耳障りだから、いい加減黙ってくれる?」


怒っている。さすがに分かる。

いつもより低い声に身震いするよりも、以前と同じものを感じて目を見開いた。

いつもの澄ました顔より、冷静ぶった顔より全然いい。

全然つまんなくない。

その顔をもっと見たかった。らしくない新垣を見ていたかった。

他の誰かにではなく、私だけに見せるその表情と感情が嬉しかった。

だが新垣はすぐ私の手を振り払ってしまった。


「新垣…」


「どこまで付いてくんの、もう教室なんだけど」


その言葉に周りをみればAクラスの教室のすぐ前だった。そして、新垣は私の答えを待たずに引っ込んで言ってしまった。


私は突っ立って、教室の入り口から新垣の姿をぼんやり見ていた。


新垣春樹。


ただの優等生だと思っていた。誰にも良い顔して、何でも人並み以上にこなすようなちょっといけ好かない奴だと思っていた。

それは間違いではないけれど。

だけどそれだけではないと今は分かる。

人に囲まれてるけどどこか寂しげで、無気力で、スカしているのかと思えば実は誠実な部分もちゃんとあって、無感動なのかと聞かれればそんなことはない。


知らなかった新垣がどんどん見つかる。


何でかそれが嬉しかった。もっと探したいと思った。


何でだろう、他の人にそう思ったことなんてない。なぜか新垣にだけに初めてそんなことを思った。

それに時々胸が痛くなる。やるせなくて辛い。

新垣のことを考えているたびにそうなるので困る。なんとかしてくれないかと思う。いっそ新垣に言ってどうにかしてもらおうかとさえ思う。根拠もなく新垣なら治してくれるような気がしていた。


少しずつ少しずつ、その名前が頭の中を占めていく。

見かければ傍までいってしまったり目で追っていたり、練習終わりヘトヘトになってふと今頃何しているのか気になったり、話しかけても無視されないのが嬉しかったり。


新垣春樹に陸上部に入ってもらいたい、それはもちろんある。ただ、それだけじゃない。

あいつが知りたい。どんなことを考えているのか、どんな奴なのか。

本当に友達になれればいい、そして色んなものが共有できたらいい。


そんな風に変わっていた。



■■■■



新垣には島崎真琴という彼女がいる。

別のクラスの女子、どういう経緯かはしらないけどある日突然付き合っていた。その女子に何か新垣を引き付けるなにかがあるのか、と少し気にしてはみたがとうとう良く分からなかった。

随分特徴のない子だと思った。何か言っても反応は薄くはっきりしない。どこまでもぼんやりしていてあくがなさすぎる。多分外で会っても気付かないであろう、そんな子。

それでも新垣は彼女が好きなようだった。珍しく彼女に対しては無関心でも無気力でもなかった。

普通の男子が好きな子にそうするように、真琴に触れようとしてたり自分から話しかけたり気をひこうとしていた。

なんだかそんな新垣は見たくなかった。そんな新垣を見るのが自分でもよく説明できないくらいショックだった。だから私は真琴といる新垣が好きではなかった。

そこまで好意を向けられているのに真琴は何故か新垣を拒んでいるようだった。何をされても明らかに嫌そうにしていて、それならなんで付き合っているのか不思議だった。一度別れかけたこともあったが、結局もとのさやに戻ったらしい。なんだか振り回されている新垣が可哀想だった。気持ちを向けてもいつまでも報われなないから。


私だったら。


とふとそんな気持ちが芽生える。


私だったら、新垣の気持ちに逃げずに応えることができるのに。


いっそそう伝えようかと思った。そう言えたなら新垣の目が此方に向いてくれるかも知れない。

真琴みたいに新垣を拒んだりしない。同じ温度で差し出された手を取ることができる。

それこそ、新垣が欲しいものなんじゃないんだろうか。



「新垣っ」


一時間目の授業が終わって次の授業のために理科実験室に行く途中ジャージ姿の新垣を廊下で見かけて、嬉しくて思わずその背中に飛びついた。


「鬱陶しい、気安く触んないで」


もはや定型文になっている台詞を言って振り払われる。だけど微妙に力加減がされているのが嬉しい。気のせいかもしれないが最近新垣の雰囲気が柔らかくなっている気がする。これはいい傾向だと思う。


「どうしたの、朝いなくなかった?私待ってたのに」


「…ストーカーかよ」


そこににやついた顔の茶髪の男子が近寄ってくる。

それはすでに見知った顔だ。新聞部の篠原だ。


「新垣君、遅刻して先生にすごく心配されたんだよね~」


「え、新垣が?」


あまり新垣にそんなイメージなかった。だらしないようなことはしそうにない、自分の評価を貶めることも絶対やらなさそうだと思っていた。

寝坊でもしたんだろうか。テストが近いし勉強疲れだろうか。


「島崎ちゃんも遅刻させられてかわいそうに」


「え、真琴も?」


一緒に学校に来たのか。新垣が遅刻するのはあまり考えられないが、真琴が絡んでいるのなら話は別だ。もしかして待ち合わせをしていたんだろうか。なら、真琴が遅れてきてそれを新垣が待っていたせいで遅れたというほうがしっくりくるのではないだろうか。

なにそれ。

そんなの新垣の足を引っ張ってるだけじゃないか。


「に、新垣、それならやっぱり陸上部入ろうよ。朝練とかあるし嫌でも遅刻しない」


湧き上がってくる苛つきをかくしてあえていつも通りに振舞えば、新垣が私を黙って見下ろしていた。


「だから…いや、いい」


言いかけて止めた。何かを考えているような。いつもの新垣らしくない煮え切らない様子。今日の新垣はどうしたんだろうと思っているともう一度新垣が口を開いた。



「井澤、昼休み屋上に来い。話がある」



初めてじゃないだろうか。新垣に何かを求められたことは。

うん、と勢いあまって大きな声で返事をしてしまった。

嬉しい、嬉しい。

何の話かは分からない。けど、今までよりずっと大きな進歩だ。

高揚感で頬に熱がじわじわ上がってくるのを感じた。

折角新垣がそう誘ったのだから何がなんでも行ってやろう。私は新垣を裏切らないということも示したかった。

真琴とは違う。新垣がすることを拒まない。それを今こそ分かってもらえる。

そう思えば、いくら待たされたって行く価値はある。




昼休みになってすぐ屋上に向かうと、予想に反してそこにすでに新垣がいた。

その他に誰もいない篠原も真琴も。篠原はあの場にいたし、来ないのは分かるけど。


「早いな」


新垣の言葉になんだか照れる。褒めてでもくれるか、と思って顔を上げた。


「新垣の方が早いじゃん」


ああ、と新垣が声をあげる。


「さっきの授業早く終わったから」


やっぱり柔らかい。少し前の人を突き放すような冷たい態度じゃない。

それだけ私に気を許してくれたということか。ならば嬉しい。


「で、新垣。話って何?本気で入部でもしたくなった?」


違う、と新垣は私の方に向き直った。

ひどく真面目な顔をして言葉を失う。

新垣の整いすぎた顔があまり好きではなかったが、それでも目を奪われる。

薄い唇が、井澤、と私の名前を呼んだ。

特に体を動かしてるわけでもないのに心拍数が妙に早くて、心臓がどうにかしたのかと思った。



「もう俺に近寄らないでくれ」



だけど続いたのはそんな言葉。


「え…」


ごく短い言葉のはずなのによく理解できない、その一言。


「何度言われてもこの先俺は陸上部には入ることはないから、絶対に。時間の無駄だろそんな奴に構ってるのは。だからもう俺のことを放っておいて自分の事に集中して欲しい」


浮かれていた私を地に落とすのには十分な攻撃力を持つ言葉。

近寄らないで?


「…それだけが用件?」


「あんた普通に言っても引き下がらないだろ。説得するのに時間がかかると思ったから」


それだけ本気で言っているという事か。本気で私を離してしまいたいという事なのか。

なんで。私に気を許してくれかけているのだと思ったのに。

そんなことってないじゃないか。


「私なにかした?新垣が嫌がるような事」


「は?なんで」


新垣が怪訝そうな顔をしたからそうではないのだと分かった。

じゃあ何でだ。やっぱり陸上に興味を持てないからか。

だったら。


「だったら、部に入れなんて言わないから」


もう無理矢理入部しろなんて言わない。それを理由に突き放されたくない。

だから、そんな一言で終わりにしたくない。

もっと新垣の傍にいたい。色んな新垣を知りたい。


「井澤?」


「新垣は私の事嫌い?」


え、と戸惑った声がした。

だけど構ってられない。そんなことには。

もうブレーキは切れそうにない。だってこのまま離したくなんてない。


「ねぇ、新垣」


「…何言ってんだよ、あんた」


本当はずっと前から新垣が陸上部に入ることは見限っていたのかもしれない。

それでも新垣に固執していたのは、そういうことだ。


「それでも私が新垣の傍にいちゃだめ?」


力の限り新垣にしがみ付いた。簡単に引き離れたりしないように自分の体を強く強く新垣に押し付けた。


「…そういうことか」


ただ、静かに新垣は呟いた。

私を選んで欲しい。

どこの誰より私を。私なら新垣と対等でいてあげられる。


「尚更無理だ、それは」


だけど私の気持ちが染みて伝わることはなく、新垣は無慈悲にそう言った。


「陸上をしないのと一緒であんたの気持ちには応えられない。それからそんな気持ちで周りにいてもらったら困る、真琴に変な勘違いさせかねない」


また真琴の名前。

真琴のせい。

何がそんなに新垣が真琴に縛られなければいけないのか私には理解できない。


「そんなのっ、それくらいで不安になるくらいなら付き合わなければよかったのにねっ!真琴もっ」


やり場のない怒りを声を張って散らせる。

嫌なら直接真琴が私に文句を言えばいい。新垣にこんな事を言わせるなんて根性が悪いんじゃないのか。


「やっぱり新垣には釣り合ってないよ!全然似合わない」


新垣を受け入れようともしないでずっと拒んで、それでも独占し続けることが許しがたい。

そんな女を新垣が好きだという事も。


「なに、自分なら似合うとでも言ってんの」


低く怒りを孕んだ声色に、そうだよ、と応えた。




「私のほうが新垣を好きだもん、新垣の為ならなんでもできる」




胸がじくじく痛んだ。

好きだ、好きなのだ。私はこの男が。

恋人がいたって、つまらない奴だと知っていたって、この気持ちをもう止めたりできない。

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