7.6
*篠原視点
変だ。
最近何か変だ。何かって言えば、僕が。
うまく説明ができないけど、とにかく駄目だ。こんなの全く僕らしくない。
あれ。
僕らしいって、なに?
篠原純って奴はどんな人間?
「…篠原?」
はっ、と我に返る。顔を上げれば怪訝そうな顔で此方を見遣る同級生の男子。うちの部の新しい部長の平山。
「え、どうかした?」
敢えておちゃらけた声を上げれば、やれやれと言いたげな顔をされる。
「今週末までに原稿に上げろって言ってんの」
「ああ、はいはい。了解しました」
そう言ったのに、このお節介焼きはまだ口を開く。
「篠原、お前最近何かあった?ぼーっとしてないか」
「まぁ…ね」
うるさいよ、ほんと。
そんな事人に言われなくてもとっくに分かってる。
「お腹空いてるからかな」
曖昧に笑えば、しっかりしろよと肩を叩かれた。
心配しているふり。
ぺらぺらの関心。
部員を心配しているというより、気を配る良い部長であるという自分の外面を維持したい。そんな気持ちが透けて見えるようで。
駄目だな。
なんか今日ほんと最悪。
嫌なことしか考えられない。
なんでだろ。
いつもなら、こんなことに一々苛ついたりしないのに。誰にも気付かれないように深く息を吐いた。
「ちょっと飲み物買ってくる」
そう言い残して部室を出ていく。逃げたとも言う。
購買部まではそんなに距離がないのに、大回りして全然関係ない廊下に出る。
放課後まだ授業が終わってそんなに経ってないから、教室に残っている生徒が多い。
廊下ですれ違った何人かが僕に向かって軽く手をあげた。それに適当に用意した笑顔を振り撒いてやり過ごす。多分彼らが僕の今の顔を見たら、ちょっとびっくりするだろう。
「煩わしー…」
こっそり漏れた言葉。
彼らのことではない。
煩わしいのは別にこれといって可笑しくもないのに笑っている僕。
いつでも不自然で曖昧な自分の態度。
そうまでして隠しておきたい醜い心の内。
そんなものは開き直っていたつもりだった。僕みたいな奴が一人いたっていいだろう、って。上手く取り繕って敵を作らないようにすれば問題ないだろうと人並みにやっていけるだろうと思っていた。
だけど今はそれが苛つく。
外に出せない感情が皮膚を突き破ろうと暴れているみたいだ。
「あれ、篠原?」
その声に普通に驚いた。振り返れば、よく知った女子が立っていた。
これといって特に特徴の見当たらない人混みのなか埋もれていってしまいそうな雰囲気の子のはずなのに、なぜか胸がざわざわする。目が合えば背筋が粟立つ。声をかけられれば一目散に逃げたくなる。笑いかけて下がる目元を見て泣きたくなる。ふくふくと揺れる柔い頬に触れたくなる。
なんでだろ。
前はもっと普通に接することができていたのに。
「…島崎ちゃん」
そう、彼女の名前は島崎真琴。
新垣春樹の彼女である女子生徒。
「なにやってるの」
何故か、他と同じように放っておいてくれとは思わなかった。
「部活してたけど、ちょっと気分転換に散歩。島崎ちゃんは?」
「掃除。保健室にゴミ袋取ってきた帰り」
そして半透明のポリ袋を見せる。別によく見えない訳でもないし興味もないのにのこのこと近寄ってそれを覗き込む。全ては口実。
「今日、昼休み行けなくてごめんね。急に今日の昼に予定をずらしてって連絡入っちゃって」
「しょうがないよ、部活だし。お疲れ様」
あっさりとした答えが何だか物足りない。
労ってくれるのはいいけど、もっとこう…
必要とされたい。
そんなちゃちな願望がただそこにあった。
「…新垣君とは大丈夫だった?」
ふと聞く、新垣春樹のこと。
最近は割とうまくいっているようには見える。だけど、未だ新垣春樹が彼女の意思を無視するのが目立つ。相変わらず強引で乱暴で、いつ島崎ちゃんが壊されてしまうか気が気じゃない。
最初は彼女と新垣君の仲を取り持つつもりだった。
こじれにこじれている関係をどうにかしてやろうと思った。他人が四苦八苦しながら歩み寄っていくのを見るのは楽しかった。
けれど。
多分色々知りすぎてしまった。
そして、知ってしまったからには手を出さずにはいられない。
「なにも…」
「あれ、この首の所なに?」
ブラウスの襟首の下、不自然な赤い筋が円を描いている。
「いや、これは何でもない…」
何で赤くなる。
やっぱり何かあったんじゃないか。
「ちょっと見せて」
理由を聞いてもまともに答えてくれそうにないから、少し手荒な真似かもしれないが襟首を押さえてその部分を確認した。
「篠原!怒るよっ」
手はすぐに振り払われたから見えたのは一瞬。でもそれで十分だ。
「歯形だね。随分くっきり…ていうか少し内出血してない?」
やったのは勿論、新垣春樹だろう。
なにやってんの。
頭おかしいんじゃない?
犬じゃあるまいし、噛み付くとか。しかも女の子の肩に。
正直、ドン引きなんだけど。
「痛かったでしょ。また無理矢理やられた?」
僕がいなかったばっかりに。それが悔しい。
島崎ちゃんがどんなに抵抗しようと所詮女と男の力の差は歴然。ましてや島崎ちゃんは言っちゃ悪いが普通より非力気味だ。新垣君に叶うはずもない。
「別にそんなに大袈裟なことじゃないから」
「新垣君を庇うことなんてないんだよ」
本当に島崎ちゃんが嫌なら、どんな手段を使っても引き離してあげてもいいと思う。
「普通じゃないよ、こんなの。何とかした方がいい」
あの痕は手加減したとは思えない。どう考えても、力いっぱい噛んだ、そのように思う。そんなの暴力と何が違う。
噛まれる方の、他人の痛みなどどうでもいい。
自分が救われれば何が犠牲になっても構わない。
そういう幼い身勝手さ。
それが新垣春樹の本質。
そういうことに気付けば、もう二人の仲を取り持つなんて真似は出来ない。
助けなければいけない。誰かが彼女を彼から。
例えば僕が。
彼女が新垣君に咬み千切られないように守らなければいけない。
「普通じゃなくたって、いい」
そう心を固めた矢先、島崎ちゃんはそんな言葉を落とした。
「春樹が普通じゃないなんて分かってる。でもそれでいい」
他の誰でもなく、彼女がそう言った。
決して意思の強いとは言えない性格だと思ったのにやけにはっきりとそう言う。
迷いも淀みもない。
本当にそれが正しいと信じて疑わない目。
「それでいいって…痛い目に合うのは島崎ちゃんだよ」
冷や汗。嫌な予感。いや、それは既に確信。
「そんなのどうでもいい。私はそれでもいいから」
その先を聞くのは無理だった。
予測は出来ていて、多分それは当たる。だけど、どうしても彼女の口からは聞きたくなかった。
「冷静になりなよ」
被せるように言葉を吐き出した本人が実は一番心を乱している。
君が新垣君のために犠牲になることなんてない。
君の愛情をあんな男にくれてやることなんてない。
可哀想なんて思っていたら、同情心につけこまれていくらでもむしり取られる。
身も心も磨り減らしぼろぼろに使い捨てられるのなんて目に見えてるではないか。
それでもいい、なんて駄目だ。島崎ちゃんが犠牲になる所なんて僕は見たくない。
「間違ってる」
違う、そんな真似してはいけない。
そんなこと、僕がさせない。
「し、篠原…顔怖いよ」
へらへら笑ってなどいられるか。
もう余裕でいられる限度はとうにすぎている。
「島崎ちゃん」
呼べばこちらに目を向けて意識を集中させてくれる。
「友達だよね、僕たちは」
彼女が頷く。
これで僕らの関係は証明される。
友達だから助けてあげる。傷付かないよう守ってあげる。
島崎ちゃんがそれを望もうが望まなかろうが。
「どうしたの、いきなりこんな事」
「別になんとなく聞いてみただけだよ」
にっこり笑ってみれば島崎ちゃんの表情が少し緊張が消える。
単純だなぁ、と思うと同時に簡単に騙されてしまう彼女がかわいいとも思う。
それでいいんだよ。
君は今はそれでいい。僕の考えなど邪推しないで、何も気にしていなければいい。
最終的にはちゃんと助けてあげるから。
だから今は目を瞑っていて。
自然と本当に僕の口元は弧を描いていて自分でも可笑しかった。




