6.9
――――――だいっきらいだ…あんたなんか
恨みの篭った目で俺を睨んでいた彼女の顔が頭から離れない。
痛い、痛くて仕方がない。その言葉がいつまでも耳に鮮明に残っていて胸が痛い。
嫌いという言葉は冗談なんかではなく、本当に心から思っている言葉なんだろう。
はっきりと口にさせるほど俺は真琴に嫌われていた。
そう言わせるだけのことをした自覚はある。むしろ自分の行動を振り返れば、いままで言われなかったのが不思議なくらいだ。
なんとかしようと足掻いたつもりだが結局まともに名誉挽回できなかった。
あの時水族館に行ったときから、真琴に本気で避けられて焦っていた。
早くなんとかしなければと思っていた。だが、探して話し合えば何とかなると思った。なんの根拠もないのに心のどこかでそんな考えがあった。
だからまず捕まえなければ、と躍起になった。そして見つけたからには引きずってでも捕まえなければと思っていた。
だから抵抗する真琴を無視してしまった。
その結果がこれ、この状況。
付き合ってられない、告げられたのはそんな言葉。
完全な拒絶。ずっと恐れていた言葉を言い渡された。
嫌だ、そんなの嫌だ。
これで終わりなんて嫌だ。このままずっと真琴に嫌われたままなんて嫌だ。
受け入れてもらえないなんて。
何のために俺は真琴に会いに来た。
嫌いだと息の根を止められるためなのか。
違う。違うのだ。
俺は真琴の傍にいたかったのだ。俺の手を取って暖かな世界へ連れ出してほしかったのだ。
真琴がいなければだめなのだ、と伝えたかった。
他ではとても代用できない大切な存在だと分かってほしかった。それでできれば真琴にとっての俺もそうなりたかった。
そんなことすら俺にはできなかった。
うまくやることなんてできない。一時の憎悪と怒りとプライドと意地と欲望のために。そんな下らないものに頭の中を支配されて。
「ああ、やっぱりここにいたんだ」
ドアが開く音がして、頭を上げた。
立っていたのはにやけ面の眼鏡をかけた男。残念なことに顔見知りだ。
「篠原。お前鍵どうした」
この場所、今俺がいるのは屋上だ。一人になりたかったから鍵もかけていた。最近では真琴と別れたという話が広まって静まっていた女子がまた活発になっていたし、井澤がしつこかったから。
「これくらいの鍵開けるのなんて全然易しいよ」
と、ドライバーのような器具を見せる。
キーピックか。何故一般の高校生がそんなものを持っていて、しかも使いこなせているのか。
新聞部の篠原純。俺と同じ二年Aクラス。
この篠原という男はどうも得体が知れない。
入学した時から馴れ馴れしく話しかけられたり、新聞部のインタビューに答えさせられたりしたがどうも腹の内が読めない。
口がうまいようだが喋っている言葉もどこか薄っぺらで、言っていること全て嘘のように聞こえる。
道化を演じてふざけている。それくらいは分かるが。
しかも、悪いことに真琴と接触している。
何を思ったか真琴を頻繁に構っている。真琴の方も奴にそれほど警戒心を抱いてないようだ。それが脅威だ。もし篠原が本気で真琴を篭絡しようとしたらできてしまうようなそんな危うい状態。だから真琴をこの男に絶対に近づけたくなかった。
しかし篠原が俺の反応を見たいがために真琴に近づいているのか、ただ単に真琴に興味があるのか、見極めができない。
さらに今回真琴がなかなか捕まらないのはこいつが動いている気がしてならないのだ。
どうも行く先々井澤に遭遇する確率が高すぎる。女子達も妙に早く俺を見つける。教師たちに呼びつけられる頻度が高い。真琴もどう探しても昼休みには消えている。空いている教室は探しきったが見つかる気がしない。
偶然にしてはあまりに出来過ぎているように感じる。
「なに、僕の顔になんか付いてる?」
飄々とした笑顔が貼りついている。
そして篠原は俺のすぐ前まで来て、何を考えているのかさらに笑みを深めていく。
「ていうか、新垣君。最近元気ないけどどうしたの」
白々しい、何があったのかこいつが知らないはずがない。
「ふざけんなよ」
「あら怖い」
睨めば身を逸らしておどける。そんな人を小馬鹿に態度に腹が立つ。
「そうそう僕さ、新垣君に言いたいことあったんだよ」
眼鏡をかけ直して、そのまま手すりに手を掛ける。
そして緩慢な動作で此方に振り向く。
「島崎ちゃんのこと」
「…真琴の?」
うん、と篠原が答えた。
「別れたんなら大人しく身を引きなよ。いつまでも未練たらしく追いかけてるなんて格好悪いよ。それで、島崎ちゃんが元の学校生活を送れるように手を尽くすべき。君ならそれくらいできるでしょ」
「…なんでお前にそんなことをいわれなきゃいけない」
篠原が何のつもりでそんなことをいうのか。嫌な予感しかしない。
「だって僕は島崎ちゃんの友達だから」
何が友達だ。こいつがそんな単純な理由で動いているとはとても思えない。
「島崎ちゃんが新垣君から別れて離れてしまいたいならそれを叶えたいから、僕は」
その言葉にやっぱり篠原が絡んでいたと確信する。
「何が目的だ」
え、と篠原は口の端を吊り上げて俺の方を見遣る。
「嘘じゃないよ。本当に僕は島崎ちゃんの力になりたいだけだし。ていうかさー」
表情を変えないで篠原は言葉を続ける。
「開放してあげなよ、もうあの子を」
篠原の声がふいにワントーン低くなっていた。
「色々調べたんだよ。僕結構ツテあってさぁ、分かっちゃったんだよね。君、児童相談所にいたことがあるでしょ」
体が強張っていくのを感じた。
あまりのことに言葉が出ない、どうしてその情報がこの男に知られている?そんなの簡単に開示されるものではないだろうに。
「お母さんから虐待を受けていたのかな。それでその時期、島崎ちゃんは君の近くにいた。島崎ちゃんは優しいから。そんな可哀想な君を振りほどけない。君も執着してしまって」
本当に可哀想なのはあの子なのに、と篠原は続けた。
「今でもきっと心のどこかでそのことがネックになってるんだろうね。だから今の今まで君を突き放すことが出来なかった。どんなに酷い扱いをされても」
「…お前に口を出されることじゃない」
「ほら、すぐそうやって都合が悪くなると他人を排除しようとする。部外者に俺たちの何が分かるんだって、さ。駄目だよ、そんなの。悪いけど引き下がれないね、口を出させてもらう」
篠原の顔はもう笑ってなどいなかった。
怒りをたたえていそうにさえ見える無表情だった。その目の奥は昏い。
「大人しく退けて二度と干渉しないことだよ。島崎ちゃんの優しさを利用してこれ以上執着して彼女の生活を脅かすのは許しがたい。そんなのあの子には迷惑以上の何ものでもないんだから」
「篠原、お前…」
「あの子を助けたいだけだよ、僕は。君が勘繰ってる不純な動機なんかじゃない。それに君、自分のことに手一杯でなんにも把握してない。そんな男に島崎ちゃんを渡したりなんか出来ると思う?」
彼女の周りで何が起きてるのかも知らないで、と篠原が吐き捨てるように言った。
どういう意味だとその言葉のさす事を考えていると制服のズボンの携帯が震えた。
開いてみるとディスプレイには「島崎真琴」の文字があった。




