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6.7

高校には特に難なく合格し、引越しも終えた。

一人暮らしをしたいと言えば父親は簡単に了承した。会社でそれなりの地位について相応の収入があるらしいから金銭面で困るわけでもないし、特に俺に愛着があるわけでもない。むしろ邪魔であっただろうからそうするのは当たり前だろう。俺だってその方が楽で助かる。


それよりこれからの生活の方が気になる。

明日は高校の入学式。

真琴に会える、そう思っただけで自然と頬が緩みそうになる。さっきから何度、だらしなくなった顔を引き締め直したか分からない。こんなに舞い上がってしまうなんて自分でも恥ずかしい。

これで再開しまったらどんな風になってしまうか分からない。私も会いたかった、とか言われたらどうしよう。自分の気持ちを抑えるのが難しいかもしれない。小っ恥ずかしいことを口走ってしまうかもしれないし、抱きついてそのまま離れられないかもしれない。真琴にそんな馬鹿みたいな姿はあまり見せたくないからできる限り我慢するよう努力はするが。

また、昔のように一緒にいてくれるだろうか。

隣に住むことはできなかったが登下校を一緒に行けたりできるだろうか。沢山俺に話しかけてくれるだろうか。笑いかけて手を引いてくれるだろうか。俺を誰よりも近い存在にさせてくれるだろうか。できることならこの先もずっと。

大丈夫、と常に不安にかられそうになる自分に言い聞かせる。

それはそもそも真琴が言い出したことだ。ずっと傍にいてくれると、守ってくれると。

真琴もそうすることを望んでいてくれるとも言えなくない。

そうであったら、きっと泣いてしまう。嬉しすぎて。

結局、その日は興奮してよく寝付けず殆ど眠らずに入学式に臨むことになった。


「…はぁ」


まさかこの俺が鏡の前でため息をつくことがあるとは夢にも思わなかった。

目の下に微妙に隈ができている。顔もどこか草臥れて情けない顔になっている。

顔を洗って、蒸しタオルで数十分解せば少しは目立たなくなったけれど。

無様だな、と思う。格好悪い。もっと余裕でありたいのに、なんでこうなる。

真琴に笑われてしまうな、と思ったら恥ずかしくもありこそばゆい感覚に苛まれる。


真琴は確実に俺を見つけるだろう。

これは自惚れではない。俺は新入生代表で会場ステージに上がる。立ちながら寝てでもいない限り俺の存在に気付く。

数年経ったが真琴は俺を覚えてくれているのか、という懸念もあるが。

でも、俺にとって真琴の存在が強烈だったように真琴にとっての俺も印象に残る存在であったと思う。それくらい浅くない付き合いをしていた覚えはある。

それに忘れているならもう一度思い出させればいい。それでも思い出せないならもう一度やり直してやる。それくらい耐えられる。それで真琴が傍にいてくれるならそんな痛みなど取るに足らない。



入学式は滞りなく進み、俺がステージに上がった瞬間体育館がざわつきだした。

俺の方を指差しているのが見えて癇に障る。睨みそうになって、ふと目に留まった一人の女子。すぐに分かった。間違えなど起こりようもない。しかも中学までの写真はおばさんに何枚か貰っていたから尚更確信があった。



見つけた。



いたのだ。彼女は、島崎真琴はいた、ちゃんとそこにいた。彼女は、真琴は俺が生み出した妄想なんかじゃなく確かに生きた人間で、今もこんなに近くにいるのだと改めて実感する。

答辞など今すぐ放り出して彼女の元に行きたかった。少し早口になっているのを自分でも感じながら早々と話を終えて壇上を降りる。もう一度真琴の方を見た。

すると、目が合った。

他の生徒とは違う、人混みのなか驚いたような顔をしてこちらを見上げていた。

真琴は俺を忘れてなどいなかった。

それが分かって嬉しい。俺が同じ高校に来たことに驚いて、すぐに俺の所に会いにきたりしてくれるかもしれない。クラスが違ってしまったことが口惜しい。そうでなきゃもっと簡単に再会できたのに。


教室に戻った後も担任が来るまで教室に待たされた。

焦れったい。いつの間にか机の周りを女子の集団に囲まれていた。

中学でも大体同じような感じだったから別に驚きはしないが、少々面倒だと思った。適当にあしらっていたら何を勘違いしたのかいつまで経っても離れない。休み時間になってもどこまでも付いてくる。仕方ないからそのまま真琴のクラスまで行くことにした。真琴のいるクラスは階段を挟んだ一番端の教室で、俺のクラスからは遠い。


「春樹君どこ行くの?」


隣の女子が腕を取ろうとしているのを避ける。油断するとすぐ気安く触れようとするから困る。せめて真琴の前では勘弁してもらいたいものだ。下手な勘違いされたらどうする。


「知り合いに会いに」


「え、誰?中学の時の知り合い?」


だから教室に戻って、と言おうとしたら声を被せられた。


「男?女?春樹君の友達なら仲良くしたいな」


しなくていい。放っておいてくれ。

もういい加減振り切ってしまおうかと考えていたら、廊下の先に真琴がいるのが見えた。

何人かの女子と何かを話している。思わず立ち止まる。

うずくように胸が痛んだ。

分かっていたのだ。それくらい予想していた。

真琴が俺以外の誰かと話していることや友達ができていることなど予想していた。それでも割り切れない。子供じみているとは思うが俺ではない誰かといる真琴に我慢ならない。

俺がいるのだからそんなもの、いらない。

他人と何かを分かち合いたいなら俺が分かち合う。誰か話し相手が欲しいなら俺がいくらでもなる。一人になるのが寂しいのなら俺がこの先ずっと傍にいるから。だから真琴にはそんなもの不必要だ。

また性懲りも無くそんなことを思っている。


「あ、あれ入学式で新入生代表していた人じゃない?」


誰かのそんな声がふいにして一斉に視線が此方に向く。そしてさらに俺を囲む人間が増える。止めてくれ、もう離れてくれ、そんなことをされても邪魔にしかならない。俺は真琴に会いに行くんだ。それを遮らないでくれ。

あしらうのに手間取っていると、真琴が俺の方へ向かってくるのが見えた。来てくれた、俺のところへ。ならば俺もこの人混みを掻き分けてでもその手を取ろう。そう思って手を伸ばしかけていたら真琴はそのまま廊下の端に退けてそのまま階段を下りていった。一回も俺の方を見ず、むしろ顔を背けるように。


「あ…」


漏れでた声は周りの声にかき消される。身体の体温が一気に下がっていく感覚。血の気が引いていく。

何それ。なんで。どうして。それではまるで。


俺を避けているみたいじゃないか。


なんで。

約束しただろ。他でもない真琴が言ったのに。

転校は親の事情だから仕方ない部分があった。でもこうして俺が会いに来たのを見て、どうして逃げる。

止めてくれ。冗談でもそんなことは止めてくれ。

本当に、それでは、あの時も俺から離れたくて離れていったみたいではないか。

本当に捨てられたみたいじゃないか。


嘘だ。そんなことを信じられるか。

冗談だろ、今度こそ。冗談に決まっている。そうでなきゃどうにかしてしまう。

崩れ落ちそうのを気力で持ちこたえる。立っているのがやっとの状態。周りが何やら言っているのもうまく聞き取れない、聞く気も無い。頭の中が真っ白でうまく動かない。ただ体中の力が抜けていた。心の中で何度も彼女の名前を呼んでみたが誰も振り返らないし、真琴が戻ってくることも無かった。



その後も、やっぱり諦めきれなくて真琴のクラスに行こうとしたり見かけたらそこに向かおうとしたが決まって既にいなかったり避けられたりした。勿論真琴が自分から俺の元にくることもない。その頃には常に近くに特定の女子が何を言っても離れなくなっていて動きにくくなっていてどうすることもできなかった。鬱陶しくていらつくことが多々あったが下手に拒絶すると面倒事になりそうなのは目に見えていたから無碍に扱えない。俺にはただ遠くから真琴を盗み見ることしかできない。真琴が他人といて楽しそうにしているのを、何もできず眺めていることしかできない。それすら、俺が付近にいるのに気付けば逃げられた。


馬鹿みたいだ。


笑えてしまう、可笑しい、なんて滑稽。

俺ばかり浮かれて勝手に期待して、同じ高校にまで来てしまって、また前のように真琴の傍にいれるのだと妄想して、そうしてこうして裏切られて。


とっくの昔に真琴に見限られていたのに。


忘れられていた方がマシだ。こんなの。

結局俺だけだったのだ。真琴に会いたかったのも、傍にいたかったのも、あの約束をいつまでも覚えていたのも。

それが事実。どんなに俺が喚いても捻じ曲げられない真実。


真琴は、俺がずっと欲しかった女の子は、もうどこにもいない。

そんなことを知らされるくらいなら再会なんてしなければ良かった。



■■■■



「春樹君がどうしても好きなの」


目の前の女子は、完全に気持ちの萎えている俺に気付いた様子なくそう告げる。非常階段、ありがちなシチュエーション。この高校は屋上が立ち入り禁止になっているから大抵告白といえば人の出入りが少ないここになる。

入学以来ずっとこれだ。休み時間になる度に知らない女子に告白される日々。いい加減うんざりする。相変わらず、何処に行くのも付きまとう奴らもいるし。

あれから1年経った。

二年でも真琴とは別のクラスになり見ようとしない限り見かけることはない。正直、それで助かった。真琴の姿を見るのはまだ辛い。多分それが癒える日は一生来ない。


「ありがとうね、気持ちはうれしいよ…」


判で押したようなお決まりの台詞を言おうとして視界に入ったものに思考が停止した。

なんでそこにいる、と気を抜いていたら言ってしまう所だった。


島崎真琴がいる。


目の前の女子の後ろの階段で、顔をやや伏せて下の階段で前屈みに留まっている。

紛れもなく真琴だ、島崎真琴。

隠れているつもりなのだろうか、その姿勢は。この場所から背中が丸見えなのは気付いてないのか。いつもと違って逃げない。逃げた所でこの距離なら捕まえることは容易いけど。

適当に目の前の女子の告白を受け流して出て行かせると、真琴が顔を上げた。

丸い目の中小さな黒目が確かに此方を見ている。

肩まである軟そうな髪が風に僅かに揺れている。半開きになっているやや厚い唇、細い首。小学生の時の面影は勿論ある。変わっていないようで随分変わった。いざ実物をこんなにも近くで見るとやはり時間は確実に経ったのだと実感する。そこに縫いつけられたように動けなかった。

呆けている俺に、真琴は後ろ足を伸ばして逃げようとしたらしかった。


「…あっ」


足を踏み外しそのまま不自然に大きく彼女の身体が傾いた。

とっさに体が出た。階段の手摺を掴みもう片方の手で真琴の手首を捕まえて支える。


「なにやってんの、お前」


俺が少しでも反応が遅れていたらどうなっていたことか。

呆れると同時に懐かしかった。

真琴と初めて会ったときもこんな風に階段で、そのときは助けられずに真琴が転げ落ちたけど。

やっぱり変わってない。根本は全然変わってない。そのことが悔しくも嬉しかった。


「こんな所まで来て盗み聞きなんて趣味悪くない?」


盗み聞きをしようとしてしたわけではないのは察してはいるけど、からかいたくてそんなことを言ってしまった。


「あげく階段から落ちそうになっているとか、かっこ悪すぎ」


でもかわいい。その少し間抜けな所が。

耐えられず機嫌良く笑い声を上げてしまった。

が、それも次の真琴の発言で跡形も無く消え去る。



「と、とりあえず引き上げてください…新垣君」



新垣君?

なんで苗字を呼ぶ。どうして敬語を使う。

こんなに近くにいるのに、手だって繋いでいるのに急に距離を感じる。まるで今日初めて会ったみたいな。


「…へぇ」


一瞬舞い上がった俺はなんて馬鹿。

忘れていたのか。そういうことなのだ、つまり。


真琴は俺を裏切って、とっくの昔に自分を見限っていた。


それは間違いないのだ。

だから全部無かったことにして、俺のことなど知らないふりをして隙あらばこのまま逃げてしまおうしている。


最低だ。


湧き上がったのは強い憎悪。


俺をこんな風に壊しておきながら、何にも言わずに離れて約束も無かったことにして自分だけは安穏とした生活をしてそのまま逃げ切ろうとしている。何もかも忘れているふりをしてまた何一つ俺に言わないで、きっとこのまま離したら真琴はもう二度と俺に近づいたりなどしない。そうして俺の前から消えようとしているのだ。

そんなことはどうしても許せない。

このまま何食わぬ顔で他人の元になど返せるなんて許せない。


お前が俺をこんな出来損ないのどうしようもない人間にしたんだ、俺を。

だからお前も堕ちてこい。こないのなら引きずり込んでやる。


逃がすわけなど、ない。



「俺と付き合ってよ、それがあんたを助ける条件」



自分の口角が自然と釣り上がっていくのを感じた。


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