1.4
「なんであんな女が春樹君と付き合ってるの、意味分んない」
「泣き入れたとかじゃないの、春樹君優しいから」
「あの時キスも島崎が強請って無理やりさせたって話だよ」
「なにそれ。島崎最悪じゃん」
…こうなることは半ば予想していた。
当然のように私はクラスで孤立した。私に話しかける人はいないし、栞達すら寄り付かない。そしてわざと私に聞こえるような影口。
そうだよね皆から見たら私は悪役だ。皆の春樹君をいきなり独り占めした悪役。
誰も春樹の真意なんてしらない。あの爽やかな美青年の面の下なんて知る由もない。
そりゃ辛い。やるせなくなる。
私が何をしたっていうんだ。ただトイレに行くために非常階段を使っただけだ。それがこんな結末を生み出すなんてだれが言った。
少しでも現実から目を背けたくて自分の机に顔を伏せた。
本当の事を言ったりしたらまた痛い目にあわされるのだろう。こういう扱いに耐えるしかないんだ、今は。
「ホントふてぶてしー、呑気に寝だしたんだけど」
「こんなにハブられてるのに寝れるとかどんだけ図太いのよ」
ちら、と顔をずらして見れば窓際に固まってる女子5人。
真ん中にいる須藤という女子を中心とする女子グループ。彼女たちがうちのクラスで一番発言力のあるグループだ。
クラス内で何かを決めるのには大抵この須藤たちの意見が通り、問題があるときも大抵彼女達が関わっていることが多い。男子たちは完全に面倒事に関わらないため反論しないし、他の女子達も須藤達に楯突くとクラスでの立場が危うくなるのを分かっている。それは栞たちも近づかないはずだ。それでも多少は寂しいと思うけど。
「島崎より凛の方が春樹君に似合ってるよ。今からでも狙っちゃえば?」
「そうそう。島崎に騙されてる春樹君の目を覚ましてあげなよ」
是非それを実行に移してほしい。「ご自由にお取りください」って張り紙を貼ってもいい。むしろお金を出してでも引き払ってほしい。肘の高さまで積んでやろう。
「私が何かしなくても、あんなつまんない女すぐ飽きられるに決まってるじゃない」
須藤が私の方を見た。今まで須藤達とまとも接触したことはなかったが、彼女達の私の認識はやっぱりつまんない女だった。そのことに今更ショックを受けたりはしなかった。
須藤達がそう思っているようにきっと周りの人も私をそう思っているんだろう。友達だった栞達も例外じゃない。危険を冒してまで付き合う価値のある友達じゃない、そう判断したんだろう。
道端の石っころみたいなありふれた人間でつまらない、取り換えが誰でもきくような存在。否定なんてしない、むしろ自分でそう思う。
だからこんな私が誰かに必要とされるとか、そういう妄想はもうずいぶん前に止めた。別にそれに文句はないし、愛されるために自分を磨こうとも思わない。
ささやかで平穏な日々が送れるならそれでいい。それ以外何もいらない。
■■■■
昼休みになって当然のように春樹が迎えに来た。
春樹がうちのクラスに来るたびに私に視線が一斉集中。もうやだ、家に帰りたい…。
廊下に行ってみると、遠くで見ていれば完璧な美貌そのままに上機嫌そうに立っていた。昨日いた子たちの姿は見えず今日は一人のようだ。
そして当たり前のように私の手を差し出した。昨日、人の髪の毛を散々引っ張り回した手に誰が恐怖なしで触れるだろうか。いつまでも手を出さないでいると手首を掴まれて引き寄せられた。ああ、私に拒否権はないんですね。
「…わざわざ来なくてもいいよ」
迎えに来なくても逃げたりしませんよ。今度はどんな恐ろしい制裁が待っているか分からないし。
「俺が来たくて来てるんだから気にしなくていいよ」
かみ合わない。いや、多分この男は私のいいたい事を分かっているのだろう。分かってて、敢えて勘違いしているように答えたに違いない。傍から聞けば惚気会話に聞こえるから、春樹には都合がいい。
「どうしてもっていうなら、島崎が俺のクラスに来てくれるとうれしいんだけどな」
「………誰が行くか」
「なんか言った?」
手首に思い切り力を入れられて飛び上がりそうになった。痛くて手が鬱血しそうで、耐えられない。
「なんも言ってないです!すいません」
平謝りすれば、春樹は力を抜いたので安心した。
それにしても相変わらずすごい力だ。男子ってこんなに握力あるものなんだろうか。万力に手首挟まれてるかと思った。
「そう。なら早く行こう」
とても数秒前に人の手首を締めあげていたとは言えないほど爽やかな顔と声。
ハイ…、と私は若干項垂れて春樹に引かれるまま歩き出した。リードに繋がれている犬みたいだと我ながら思った。
「島崎のおかげでこっちは大分助かってるよ。無駄に寄ってくる奴らを弾く口実ができて」
人気がいなくなった廊下で、春樹がとても愉しそうな顔をしてそんなことを言った。
へぇ、それはヨカッタデスネ…。だからあんなに上機嫌そうだったのか。
「そっちはどう?」
「…言わなくても分かるんじゃないですか」
わざわざそんな事を聞くなんて本当意地が悪い。学校のアイドルを奪った女に優しくしてくれる人がこの学校にいるはずがないだろう。
「まぁ、いいんじゃない。その程度で孤立する人間関係なんてないほうがマシだし、鬱陶しいしがらみに縛られるより憎まれた方が楽」
人一倍猫かぶりしている人が何を言っているんだろう。ちょっと意味が分からない。
「それに島崎も見栄えのする彼氏ができて鼻高々ってものだろ」
自分でそんなことをいって、全く厭味じゃないほどの美形だから嫌になる。
なんだか精神的にげっそり憔悴していると春樹が何故か立ち止まった。
「渋い顔してるけど、なにか不満でも?」
本気で言ってるんだろうか、この男。
不満も何もこの現状で満足していたら相当なマゾヒストだろう。
「俺は島崎の好みの顔じゃない?それとも外見より中身が大事っていう薄ら寒いことでもいってんの?」
顔をこちらに寄せて質問攻め。近いです、近いです。
距離を取ろうと手を突っぱねてもたやすく跳ね除けられてしまう。
こんなに近距離で普通照れるか耐えられず吹き出してしまいそうなのに、春樹は真顔。眉一つ動かない。
「ねぇ、島崎のタイプってどんな男なの」
どうしてそんなことに食付いてしまうんだ。後ろに退けようにも右腕を掴まれているから大した距離は稼げない。
「教えろよ」
春樹の鼻と私の鼻とが軽く触れた。そしてそこで後ろ頭を掴まれて固定された。
言わなきゃこのままだよ、と春樹は目を細めた。
近付きすぎて春樹の体温が私へ伝わってきて、羞恥心に負けて目を瞑った。
もう限界で苦痛でしょうがなく、これ以上は1ミリも近寄りたくなくて開放されるならと自白した。
「……普通の人でいいです」
どうして好みのタイプとかこの男に赤裸々にいわなけばならないんだろう。羞恥に顔に熱が集中しだす。
「普通でいいんで、私の傍にずっといてくれて、私だけ好きでいてくれる人がいいです」
ある意味、高望みだと我ながら思う。
多分この先そんな人は現れないだろうから、将来的にどこかで妥協すると思う。男なんて浮気する動物だと、よく言うけどそうじゃなくたって私が誰かの一番になるなど無茶な話だ。
ああ、こんなガチな答えを言うんじゃなかった。笑い飛ばされるのが関の山だ、こんなの。
恐る恐る春樹の顔を見ると、意外にも春樹は笑っていなかった。
それどころかさっきまであんなに機嫌が良さそうだったのに、今は何故かその顔に表情がない。
「なにそれ」
そう一言呟いた。
そして私の頭から手を外し身体も離した。手首も解放された。
切れ長の目が私を睨んでいることから怒っていることを感じ取る。
「に、新垣君…」
私なにか変なことをいってしまったのだろうか。そんなに勘に触る言葉だっただろうか。早めに謝った方がいいのか。
春樹は相変わらず此方を睨んでいる。沈黙が怖い。
が、それも割とすぐ解かれた。
はぁ、と春樹は眉間を寄せて溜息をついた。
「なんか萎えた。今日は一人で飯食うから自分の教室に戻れば。
あと、暫く俺の視界に入らないで。苛つくから」
そう言い捨てて、春樹は踵を返してスタスタと廊下を歩きだしてしまった。
「…なにごと…?」
後には茫然と立ち尽くす私だけ残った。