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5.9

私は結局そのまま幼稚園に通わなかった。

春樹が幼稚園行かないようだったので、母に頼んだのだ。最初母はちょっと困った顔をしていたが、春樹と一緒にいたいからというと急にニコニコして承諾してくれた。今思うと、その時から変な計画を立てていたのかもしれない。

ともかく私達は、毎日飽きもせず行動をともにしていたのだ。関係は逆転して、私が春樹のいう事を聞く方が多くなった。私も春樹のいう事はできるだけ叶えてあげようとした、春樹が絶対傷つかないように。


いつからだろう、すこしずつ何かが壊れていった。


春樹の私に対する扱いが乱暴になってきた。

いや、乱暴というか敢えて私を痛めつけようとするようなそういう事ばかりするようになってきた。暴力というより私が嫌がることばかりするようなことを。

だんだん春樹が何を考えているのか分からなくて怖くなってきた。

そのくせ、私の親の前では相変わらず従順で良い子のふりをするのは変わらない。親の前では私にそんな事をしているのを絶対に悟らせない。子供のくせに妙なしたたかさを身に着けていた。


その頃には小学校に上がっていた。

入学して暫くは、春樹は人見知りをして私以外の人には一切話さなかった。

そうすると春樹はちょっと他で見ないような綺麗な子だったから、特に女の子からのやっかみを受けた。私はその時初めて春樹がもてると気付いた。春樹がその年齢の男子より大人びた所があったのも魅力に見えたのかもしれない。

女の子達が春樹と仲良くなりたそうにしているのに、春樹はそれを一切切り捨てて見向きもしなかった。そうして彼女達の怒りの矛先は、彼女達をさしおいて春樹の傍をうろちょろしている私に向いた。


こんなに子供でも、やるときは結構エスカレートするもので。

最初気に入らないと思われて、ありもない噂を広められない女の子の輪には入れてもらえないし、靴も隠されたことがあった。


でも、私は大丈夫だった。春樹がいて、決して一人じゃなかったからだ。


それに少しだけ春樹が心配してくれる様子が見れたのだ。

歪んでるかもしれないけれどそれが嬉しかった。

だから、私はどんな仕打ちも耐えられた。春樹がいたから、他の事はすべてどうでもいいと思えた。


だけど、ある時から春樹の人見知りはなくなった。

私に接するよりずっと丁寧に他人へ対応するようになった。

私の親に対しての対応に似ている。絵に描いたような良い子。なにも知らない人なら、簡単に春樹がそういう子だと信じてしまうような完璧な猫かぶりっぷり。

それは他の女の子に対してもそうだった。

彼女達の欲しい言葉やしてほしい事を読み取り、それを卒なくこなしてあっという間にクラスの人気者になった。

それに比例して私に対して女の子達が突っかかることはなくなっていった。


だが、私の胸は全く晴れなかった。


それどころか日に日に鬱屈とした気持ちが溜まっていった。

私は春樹に幸せになってほしかった。

両親に恵まれなかった春樹の体と心がもう傷ついてしまうことのないよう祈っていた。

だけど、蓋を開けてみればどうだろう。

春樹が他の人にちやほやされて、私以外の人と話しているのを見る度に胸がもやもやしていく。

春樹のお母さんは近頃家にまともに帰らなくなっていて、ほぼ春樹のひとり暮らし状態になっていた、が、代わりに春樹が暴力を受ける事はなくなっていた。


春樹に運がやっと向いてきたのだ。


だけど、何故かそれを素直に喜べない私がいた。

ずっと私とだけいればいいのに、という心の声が聞こえた。

すごく嫌だった。

そんなことを思ってしまう見苦しい私が。


そして、ひどく怖かった。


春樹に私の思いが透けて見えてしまうのが。

最低な私の気持ちが。

春樹のことなんか無視して自分を優先してしまう浅墓な私が。


いや、鋭い春樹が気づいてない訳がないとまで思い始めてきた。

もしかしたら、私が自覚するよりずっと前に気付いていたのかもしれない。そうして、私の知らない間に私に見切りをつけていたのかもしれない。

だから、いつも私の嫌がることばかりしていたのかもしれない。

それが春樹の意思表示だったのかもしれない。

はっきりと「お前が嫌いだよ」と言わなかったのは春樹なの優しさなのだろう。

そう考えたら、そうとしか思えなくなってきた。


勇気を奮って一度、春樹に私が必要か、と聞いたことがあった。

どうしても不安でたまらなかった。もしかしたら春樹にとってはもう私は不必要な、そればかりか邪魔なだけの存在のような気がして。

そういうのじゃない、と返事が返ってきた。

つまりは最初から不必要だったということ。

守るとか大仰なことをいったのに、当の春樹には全くそんなものは必要ではなかった。


滑稽も滑稽。


なんてバカな子供だったんだろう私は。

春樹だって迷惑だっただろう。朝から晩まで勘違いした可愛くもない幼馴染に付きまとわれて。突き放そうとしても、当の私は一向に気付かないし、妙な粘り強さを見せるし。


でも、もう全部分かってしまったから。


春樹から離れようと思った。

春樹のためなんかじゃなく、私のために。

そんなことに気付いておきながら、もう私の中にうずまくどろどろの感情に見て見ぬふりをするのはできなかったから。



―――島崎ちゃんが逃げてきたのって、本当に新垣君の態度が嫌だったのが理由?



ああ、そうだよ。多分篠原が思っている通り。

私が逃げ出したのはそれが原因じゃない。


だって、思い出したくもなかった。


そう思っていれば、まだ私は私を嫌いにならずにいられた。嫌な人間に成り下がる私を、どうしても受け入れられなかった。

だから、全部春樹のせいにして逃げ出したのだ。

本当は、春樹の言葉より何より怖かったのは、私自身。また醜い感情が暴走してしまうのではないかといつもびくびくしていた。

ずっと認めたくなかったけれど、全てはそういうこと。

最初から本当の事を捻じ曲げていくのは無理があったのだ。



大切すぎてもう二度と会いたくかった。

私の知らない所で平和に暮らしていればいいと思った。

春樹、それは私の幼馴染の名前。


私が誰より何より大切だった男の子の名前。






「急に寝ぼけて転がり落ちるとか、どういう寝相してるの」



目を開けると、そこには綺麗な顔。

鋭く睨んでいるようで、しかしいつもどこか不安げに揺れている目の奥。

また何か悲しい事があったのだろうか。


「なんか言いなよ、まだ寝ぼけてるの」


そうして春樹は目を逸らして、言葉を続ける。


「もう6時だから、そろそろ帰れば?俺の方は寝たら少しは良くなった気がするし」


こういう時の春樹を知っている。甘えたくても甘えられない春樹が寂しくて仕方がないときよくそんな突き放した言い方をする。本当は帰ってほしくないというのが分かるから、よくウチに春樹を連れてきてしまった。


「大丈夫だよ、明日も明後日もずっと来るからね」


そう言えば、少しも春樹の寂しさも癒されるだろうか。


「ずっとハルキ君と一緒にいて、ハルキ君の嫌な事から全部守ってあげるから」


言ってから我に返った。

何を言ってるんだ、私は。寝ぼけてとんでもないことを口走ってしまった気がする。

私は今17歳で、あの時とは何から何まで状況が違うのだ。

しかも今どんな状態だ?

日が落ちたのか部屋の中は薄暗く、なぜか私は床の上に倒れていて、頭だけ春樹の手のひらに乗せられている。なんか危ない体勢ではないだろうか。


起き上がろうと身を捩って肘を立てた瞬間、強い力で床に引き戻された。



「今になってそういう事いうとか、お前って本当にずるい」



抱き着くというよりしがみ付くという表現が正しいのかもしれない。

私がぐにゃりと潰されそうなくらいの強い力。呼吸も上手くできない。


「は、春樹」


「約束破ったこと絶対忘れてやらない。裏切り者、お前なんか嫌いだ」


嫌いだ、というのに私を締め付ける力は相変わらず強い。

約束を破ったと言った、じゃあ春樹はあのときの事を今までずっと覚えていたのだろうか。

裏切り者、とそういえば前にも春樹に言われたことがある。それは私が彼女になるのを放棄しようとしたことではなく、もしかしてこのことだったのだろうか。


「…ごめん」


春樹が覚えていたのなら、約束を破ったことになる。それを春樹が気にしていたのなら謝るのが筋だろうと思った。



「今後一切俺から離れようとしたら絶対に許さない」



これ以上強くならないと思ってたのに、さらに締め付けが強くなる。

抗議をしようにも、私の肩に顔を埋めた春樹の声が震えているように聞こえたから何もいう事ができなくなってしまった。


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