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5.7


体が落下する感覚。

なんだかふわふわしていて空中にいるような。

ひどくゆっくり時間が流れているように感じる。


「……!」


そうして突如、背中に走る衝撃。

痛みで悲鳴がうまいこと声にできない。

慌ただしい足音が聞こえる。

誰かが何かを叫んでいる。

けれどよく聞き取れない。


でも、あれ。

前にも同じ事があったような。


なぜか上手く働かない頭を稼働してみると確かにそんなことがあった気がする。

そうだ、これは。




■■■■




4歳の時、父の転勤により私達家族は引っ越してきた。


引っ越してきた先はマンションで、今まで持家だったので私は呑気に新しい環境にわくわくしていたのを覚えている。

荷物を片づけて母は忙しそうで、引っ越してきたばかりなので幼稚園もまだ決まっておらず暇だった。だから私は、その日早速自分が新しく住むマンションを探索することに決めた。

まずは自分の部屋を探索していたが、うろちょろされると邪魔と母に叱られて外に出る事になっていた。結構大きな鉄筋コンクリート造りのマンションで5階まであった。


島崎家が住むことになったのは4階で、こんな高い場所に住むのが初めてで全てがもの珍しかった。手すりの隙間から外を眺めても飽きなかった。


とは言っても、やはり新しい家がどうなっているのかが気になった。

四階の端までとりあえず歩いて、奥に階段を見つけた。エレベーターを使う人がほとんどなので人気がない。しかも人感センサー式の電気なのでちょっと薄暗い。昼間なのに。

これは冒険の予感と、当時の私は特に根拠に無いのに思ってしまった。今思うとまるっきりアホっ子でちょっと恥ずかしい。


四歳児に階段の一段一段は少し大きい。大人が普通に階段を上るのよりもずっと重労働だろうに、えっちらおっちら上って、なんか楽しくなってきちゃって好きなアニメの主題歌とか歌ったりしてしまった。今じゃ考えられないほどアクティブだ、全く子供ってどうしてあんなに元気で動き回れるのだろう。

五階を通り過ぎて、踊り場に出た。

階段は屋上へ続いている。踊り場はそこだけ吹き抜けになっていて太陽の光が入ってくる。


そうして発見してしまった。


男の子。可愛らしい顔をした同じくらいの歳の男の子。じっとこちらを見つめて、というか睨んでいるような。


剥き出しの敵意にも気付かないで当時の私はのこのこ奴に近づいていってしまった。


「ねぇ、ここに住んでる子?」


近くで見てみるとますますかわいい子だった。目がくりくりしていて睫毛が長い、頬っぺたが薔薇色で非常に愛らしい顔立ちをしている。見た目女の子のよう。

単純な私はこの可愛い綺麗な子とすぐに友達になりたくなった。


「あたしマコトっていうの。昨日からここの401に来たの」


笑ってそう言ってみたものの、相手は不機嫌そうな表情でこちらを睨みつけるばかりでにこりともしない。


「うっさい、ブス」


記念すべき初会話がそれだった(そもそも会話になってないとも言える)。


「ブスじゃないよ、マコトって名前だよ」


そして私の方はブスという単語が全く分かってなかった。


「なんでここにいるの?幼稚園行ってないの?ヒマなの?じゃあ一緒に遊ぼうよ」


子供らしい強引さでその子を揺さぶる。まだ社会にあまり触れてないので拒絶されるとは思っていなかったのだ。


「い、や、だ。さっさと親の所帰れば?」


そうきっぱり言い放った。自分の名前なんか名乗らずに。

えぇ~と私はぶーたれた。


「だってお母さんに邪魔だから外行ってなさいって言われたんだもん」


「え、お前も?」


一瞬、その表情に親しみが滲んだ気がした。が、なんでもない、という言葉と一緒にすぐにそれはしかめられる。


「本当にお前、見てるとムカつく。勝手に触んなよ、どっか行けよ」


「えー、遊ぼうよぉ」


また懲りずにしつこく私は食い下がり、そうして振り払われた。

そんなことをバランスを崩して簡単に体の重心が後ろにずれる。

そうして、ゴロゴロと階段を転がってしまった。

あまりのことに悲鳴も上げる余裕も無かった。普通の幼児なら泣き叫ぶくらい痛かったであろうが、すこんと気を失ってしまってそれどころではなかった。




次に目を開いたとき、室内にいた。


「あら、起きたわね」


私の顔を覗き込む母が見えた。あれ、と首を傾げたら後頭部が擦れて痛い。


「頭にでっかいたんこぶできてるからね」


そういえば、階段から落ちたんだった。

起き上がってみると、まだ越してきたばかりの家の中だった。少し離れた所に座り込んでいる男の子と目が合う。ばつが悪そうに目が伏せられる。今思うに、ちゃんと私の部屋の番号を覚えていて母を呼んでくれたのだろう。


「でもそれだけで済むとか、我が子ながら頑丈よねぇ」


ケラケラと母が呑気に笑っている、一応私だって怪我してるんだからその対応はないんじゃないのか…と思うが母が能天気なのはいつものことだった。


「まぁちょっと痛い目見たけど早速友達できて良かったじゃない。ね、ハルキ君?この通りぼけっとしてる子だけど仲良くしてあげてね」


母が男の子に向かって笑いかける。小さくその子が頷いたように見えた。どうやら、その子の名前はハルキ君というらしい。


春樹との出会いは、こんな感じだった。

思い返してみると出会った時から、一筋縄でいかない子供だった。




春樹は大人には従順なようで、私の母と約束した手前次の日同じ場所に会いにいっても前の日みたいに頭ごなしに拒否はしなかった。

相変わらず、嫌そうな顔はされたけど。


「ねぇ、ハルキ君はここで何やってるの」


なんにも、と春樹はむっつりと答える。なんでこんなに可愛いらしい容姿なのに中身は可愛げがないんだろう。


「幼稚園行ってないの?」


「悪いかよ」


「なんで?ずっと行ってないの?いっつもこうやって一人でいるの?それつまんなくない?」


子供特有の質問攻撃。春樹は明らかに鬱陶しげな顔をしたがそんなのお構いなしだ。


「あいつが人目につくところに行くなっていうからだ。逆らったら面倒くさいし」


「あいつ?」


聞き返しても春樹がそれがだれの事を言っているか答えてくれなかった。

事情はよく分からないが、春樹は今までずっと一人でいるらしいということは理解した。


「じゃあ、遊ぼうよ。あたしも幼稚園まだ決まってないんだ」


「やだよ」


「グリコでもする?ほらじゃーんけん…」


でも私が手を出したらちゃっかりパーを出した所が憎めない。


「あれ、勝ったのに進まないの?」


パーを出したまま固まっている春樹を見ると、少し頬を赤らめていた。


「これ、どうするんだよ…」


そもそもルールが分からなかったらしい。


「勝ったら進めるんだよ。グーならグリコ。チョキならチヨコレイト、パーならパイナツプルって。で、先に階段下りた人が勝ち」


実際に段差を下りてみて説明する。ふーん、と春樹が相槌をうった。


「なんでグーだけ食べ物じゃない訳?しかも他6文字なのに、グーだけ3文字だし。これって不平等じゃないの」


そんなの、しらないよ。気にしたことないわ。なんか理屈っぽいなぁ。

結局春樹の意見を受け入れた結果グリコは『グリコの菓子』になってしまった。


「じゃあ、先に着いた人がホットケーキ二枚ね」


「え?」


「あのねー、お母さんがおやつに焼いてくれるんだって。ハルキ君も連れてきなさいって」


ふにゃ、と春樹が一瞬だけ嬉しそうな顔をしたのを見逃さなかった。

その顔を見るとなんだか私まで嬉しくなってしまうような妙な充足感があった。



結局一時間後、その勝負は春樹が勝って私に見せつけるようにホットケーキを頬張っていた。





そんなこんなでこの町に越してから一か月経ったが、定員などの関係で幼稚園が中々見つからなかった。


私は暇を持て余して、毎日春樹に付きまとって遊び相手をさせた。

春樹の方も私のしつこさに疲れたのだが、それほど頑なに拒絶することはなくなっていった。なんとなく時々楽しそうにしていることもあるし。


今日だってチョーク持ってきて駐車場に絵を描いているのだが、最初「なんでこんなことをしなきゃなんないんだよ」と文句タラタラだったが、やってみるとカリカリ一生懸命描いている。


「あれ、これニャンポウ?ハルキ君絵上手いね」


春樹が描いていたのは子供番組のキャラクターだった。子供が描いたのにしては特徴をとらえられていて上手くかけていた。


「うるせ…」


そっぽを向いていたが、褒められたのは別に嫌ではなさそうだった。現に描いた絵を消してない。


「いいなぁ、今度は紙に描いてよ」


上手い絵は欲しくなる。前に行っていた幼稚園ではよく保育士のおばちゃん先生に絵を描いてとせがんでいたものだった。

その時、車の音が不意に聞こえた。次いでけたたましいクラクション音。

驚いて振り返ると、此方に突っ込んでくる黒い軽トールワゴン。とても車を駐車しようとは思えないほどの無謀な運転。

後ろに手を引かれて、退かせられた。すぐ前に車が止まって、結構危ない状況だったのだと気付いた。


車のドアは開き、コツとヒールの靴音が響いた。


いつの間にか春樹は私の目の前に立ち塞がっている。まるで何かから庇うように。


出てきたのは、びっくりするくらい綺麗な女の人だった。


うっとりするくらい美しい形の切れ長の目に通った鼻筋、薄い色気が漂う唇に細い顎。腰まである癖のない艶のある黒い髪。洗練された弛みの見つからない長い手足。


この時は、気づかなかったが今なら分かる。


その人は、成長した春樹と生き写しのように似ていた。


一瞬私達に向けられたひどく冷たい視線を向けた。



「汚い」



その人はそう一言言い捨てて、興味なさげに身を翻した。

完全にその人が見えなくなるまで春樹の警戒は解けなかった。ずっと緊張して一言も言葉を発しない。


「…あ、ニャンポウが…」


春樹の書いた絵はタイヤに擦り消されていてもう何が描いてあるか分からない状態になっていた。


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