4.9
*引き続き暴力表現ありです
また引きずられるように連れて来られたのは工場内だった。
埃っぽくてコンクリートの壁のせいか薄暗く空気がひんやりしている。須藤が紐のようなもので手足を縛られて何かを口に詰められているのが見えた。
せわしなく動いているので、とりあえずあまり乱暴されていなさそうだと安心した。
私と目があうと今にも「なんでノコノコ捕まってんのよ」と怒鳴りそうな勢いで睨みつけられた。
「あの、須藤は、関係ないですし離してあげませんか」
石川さんに声をかけると返ってきたのは舌打ちだった。
「また暴れるから駄目よ、全部終わったらあんたと一緒に解放してあげるから安心すれば」
そして地面に投げ落とされる。背中の衝撃に思わずのけ反る。
川島君の手を押さえて、西本君が私の腹にのしかかった。
その顔に浮かんでいる下品な笑いに吐き気がした。
「ほら、泣き叫んでみなよ」
顔を踏まれた。ぐりぐりと足を押し付けられる。
固いローファーの底が意外と痛かった。声からやってるのは石川さんだと分かった。
もともと平らな顔がさらに平らになったらどうしてくれる。とか、言ってる暇はない。
「あはは、酷い顔」
笑い声が上がった。真っ先にその声をあげたのは川上栞だった。
「ねぇ、真琴。今どんな気分?」
栞は私を見下ろしていつものように無邪気に笑って見せた。
「私さぁ、真琴ってずっと気にくわなかったんだ。はっきりしてなくて無気力な所とか、一人優等生ぶってる所とか」
笑顔のままで彼女は続けた。
「しかも、何にもできない上に顔だって特全然可愛くないくせに、いきなり何にも言わないであの春樹君と付き合っちゃうし。最悪だよね。なんであんたみたいな女に私達の春樹君を取られなくちゃいけないのよ」
だからね、と栞は続けた。
「石川さんから協力してほしいって言われた時すぐ話に乗ったわ。だってあんたが壊される所見たいんだもん。それであわよくば、そのまま死んでほしいかな」
何が可笑しい事があったのか栞は一人でに笑っていた。
まさか死んでほしいと思われていたとは思わなかった。
春樹と付き合うとき、多少妬まれてはいるんだと思っていたが予想以上だった。春樹云々より元々私が嫌いらしい彼女は。
今まで誰にも反感を買わないように友達と付き合っていた。それがいけなかったらしい。
もっとちゃんと彼女達に向き合えば良かったのか、今そんな事を考えても全て遅いのだろうが。
「じゃあ、まず島崎に傷物になってもらいましょうか」
私の腰に乗っている川島君がいきなり私のワイシャツを引きちぎって胸元を上げた。
ボタンが弾け跳んで、地面に転がった音がした。
「い、いやだっ!!」
懸命にもがくも手も足も押さえつけられて自由に動かせない。
ブラジャーが外されて、鳥肌が立って私が唯一自由になってる口で声を上げ続けた。
「うるさいなぁ、口に何か入れよっか」
布っぽいものがすぐ口の中に詰め込まれた。
あとはもうくぐもった声しか上げられなくなる。
「うわ、こいつ胸小さすぎ…萎えるわー」
「パットでかさ増ししてやがんの、涙ぐましいね~」
「やだぁ、そんなことまで言っちゃ可哀そうだよ」
視界が滲んでもう周りが良く見えない。無駄だと分かっているのに声を上げ続ける。
そうしないと頭がおかしくなりそうだった。
乱暴に胸を揉まれて、痛くて痛くてついに目から溜まっていた涙が零れた。
いやだ、怖い、汚い、気持ち悪い、触らないで。
そういう言葉が次々と脳裏に浮かんでくる。
「大丈夫だよ、川島経験あるから」
頭上の西本君がそんなことをいう。
そうそう、と川島君が肯定した。
「聞いてよ。俺ね入学して割とすぐに彼女できたんだよね。だけど、あいつ、新垣に彼女が惚れちゃってさぁ。その内なに言っても新垣の事しか喋んなくなって別れちゃったんだよね。酷いと思わない?その後も今は新垣のことしか考えられないから、とか言ってフラれちゃうしさ」
知るかそんな事。
ただの下らない逆恨みじゃないか。
「神様ってひどいことするよな。あんな超人を俺たちと同じ性別に生まれさせて同じ学校に通わせてるんだもんなぁ。どうやったってあいつに勝てないし、陥れられないしさぁ」
ああ、でも、と思い出したように川島君が言葉を続けた。
「あの時、島崎が新垣に嫌いとか言ってたとき、すごいいい顔してたな。あんな女々しくて情けない顔が見れて久しぶりに胸がスカッとしたわ」
こんな男を喜ばせてしまった過去の自分が恨めしい。
私はあの時いっぱいいっぱいで、とにかく春樹から逃げることしか考えてなかった。
春樹に言ったことは嘘ではないが、あの場で言わなくても良かったと今は思う。
あの時、春樹は話があると言っていた。
今更だがそれが何か聞いてもいいのではなかったろうか。
もしかしたら
もしかしたら、それが和解を求めていたとしたら
「なに急に静かになっちゃって、なんかつまんないんだけど」
「そろそろ本番いっちゃう?」
その手が下に伸びてきて、私は再び抵抗する。
自由がきかなくてもがむしゃらに動かした。もしかしたら、相手が諦めてくれると信じて。
「そうそう、そう来なくっちゃ」
しかし、そんな事を気にすることもなく川島はニヤニヤと笑って下着に手をかけた。
あまりの恐怖に私は目を固く瞑るしかなかった。
嫌だ!触らないで!
だれか、助けて!こんなの嫌だ!
誰か
何かが床に倒れる音がした。同時に下半身にかかっていた力も消えて、驚いて目を開けてみる。
「こんなことしてタダで済むと思ってるの、お前ら」
確かに聞き覚えのある声に目を剥く。
そこには見間違えなんてできないほどの美貌。
「春樹君…」
茫然とそう呟く石川さんの声が聞こえた気がした。
来てくれた、本当に。
どうしてかまた一粒涙が零れた。
カシャ、と軽い機械音と眩しい光を感じる。
「はい、証拠写真~」
顔を上げて見遣るとデジカメを片手に持つ篠原がいた。
いつもの飄々とした口調で「でもこれだけじゃないんですよねぇ」と続ける。
「僕も新聞部の端くれだから持ってたんだよね、たまたま。じゃーん、これボイスレコーダー。
少し君たちの会話録音させてもらったから。これ結構性能いいんだよ。遠くの音で録ったとかはっきり聞こえるし。
っていうか君たち本当お間抜けだよね、声大きいから丸聞こえですぐ見つかったし、見張り役もいないし。こんなに近くまできても気付かないなんてさ」
最後のは春樹と篠原が気配を消すのが並はずれて上手いだけだと思うんだが。
「お前…!」
西本君が篠原の方に行こうとしたが、春樹の拳が顔面に入って地べたに沈んだ。
なんか怖い音がしたが大丈夫なのか。…骨的なものが折れてたりしないよね?
「こ、こんなことしていいと思ってるのかよ、新垣!こんな暴力行為」
起き上がった川島君が殴られたであろう頬を押さえながら怒鳴った。
「それはお前らが言える台詞か?」
春樹は軽く嗤って、川島君の下腹部を勢いよく踏みつけた。
う、痛そう…。多分私が石川さんに顔を踏まれたのなんて比じゃないくらいにキツイ一発だったんだろう。
だって川島君、白目をむいてしまった。
「あ、春樹君…私は」
石川さんが戸惑いの色をにじませながら声を発した。その顔にも困惑が浮かんでいる。
まさか春樹が本当に来るとは思わなかったらしいのと、見たことのない春樹の言動に戸惑っているのだと思う。
「石川、お前も何やってんだよ」
春樹はその顎を掴んで、彼女を容赦なく睨んだ。
あんなに猫を被っていたのに。今の春樹は猫どころか猛獣のようだった。
「真琴に何もするなって言ってたよね、その軽い頭じゃもう忘れたの?かわいそうなくらい単細胞なんだね、君たちって」
「は、るきくん?」
「汚らわしいから名前とか呼ばないでくれる。虫唾が走るんだけど」
忌々しげに言葉を吐いて、もう片方の拳を握りしめるのを見た。
やばい。それはさすがにまずい。
思わず、その手を両手で握った。
すると春樹がこちらに振り返った。春樹がこちらを見下ろして、目が合う。
春樹は舌打ちをして石川さんから手を離した。
どうやら私の言いたい事はちゃんと伝わったらしい。
「目障りだからさっさと消えたら?ああ、そいつらもちゃんと連れてって。今イライラしてるからうっかり殺しちゃうかもしれないから」
そう言い捨てると、私の方に向き直っていきなり口の中に指を突っ込んできた。
なにするんだ、と思ったがそういえばハンカチを突っ込まれていた。手も自由になったからこれは別に自分で取れたんだが…。
「遅くなって悪かった」
そういって腕の中に私を包んだ。
思いのほかそれが優しくて温かい。もう怖いことはないと分かっているはずなのに、よく分からないがぼろぼろと涙が止まらない。
春樹がまともに私に謝ったのってこれが初めてなんじゃないだろうか。
いつだって、どんなに春樹に非があるときだって絶対にそれを認めたことなんてなかったのに。
その事が余計に私を泣かせているのだと根拠はないがそう思う。
「春樹」
言ってから、ああ名前でよんでしまったと後悔した。
さっき石川さんに呼ぶなと言ってたのを聞いていたのに。
「うん」
だが春樹は私の後ろ頭を撫でるだけだった。
その手がおかしいくらいに優しく私に触れるのだ。
「怖かった…」
私も何を泣きながら言ってるんだろう。
こんな身に世もなく春樹にしがみついて何をやってるんだろう。
なんで涙や鼻水の春樹の胸になすりつけてしまってるんだろう。
だってこれは世界一嫌いな男だ。
そうだったはずだ、それはこうやって助けられただけで簡単に崩れるものではなかった。
なのになんで、なんでこんなに胸が熱いんだろう。
■■■■
「いや、あの。もう大丈夫だから…」
それからどの位経ったのだろうか。もうすっかり涙が止まった私は、まだ春樹の胸にいた。
ちなみに篠原は私が着れそうなものを取りに学校に向かった。
なぜか須藤まで。
私的にはあまり春樹と二人きりにしてほしくなかったのだけど。色々気まずいものがあるし。
私の言葉に春樹はゆっくりと距離をあけたが、うん、それでもやっぱり近いと思うんだ。
「俺はお前助けただろう」
春樹が私の目を見つめながらそんなことを言った。
「う、うん…」
なんだか微妙に嫌な予感するのは私だけだろうか。
「だったら、ひとつぐらい俺の言う事をきいてもいいんじゃないのか」
ほら、やっぱりだ!やっぱり弱みにつけこんで、人をいいようにつかおうとしているんだ。
なんだよ、なにを言うんだよ、また偽恋人になれ?それとも奴隷になれ?
内心ガクブルして目を泳がせてしまう私の顔をのぞきこんで、さらには両手で私の頬を挟んだ。
「大嫌いって言ったの、あれ取り消せ」
「……えっ?」
思ってもない言葉に、変な声が出てしまった。
「そ、それでいいの?」
春樹の要求がそれだけだとはにわかに信じがたい。っていうか大嫌いと言われたのを、そんなに気にしていたのか…?
「どうしても嫌だ」
お前に嫌われるのは、とその言葉は続いた。
その切れ長の目が、思いの他大きな黒目が、私を見たまま微動だにしない。
「嫌われるだけのことをしたのは分かっている、でも嫌なものは嫌だ。言われただけで、頭がおかしくなる。耐えられない」
その顔はいつか見た、泣きそうな顔だった。
う、と言葉につまる。その顔をみると堪らない気持ちになる。
「嫌いじゃない、よ」
だから言ってしまった。春樹の要求を受け入れてしまった。
そしてごく簡単なことなはずなのに、春樹が嬉しそうに目を細めるのを見てしまった。
一旦離れたはずの春樹の顔がまた距離を縮めていく。
ぼんやりとその様子を見ていて抵抗するのも忘れてしまっていた。
気が付くと、いとも簡単に唇を春樹に許してしまっていた。




