1.2
衝撃の入学式から、一年と少し経った。
私は無事です。元気に高校生活を送っています。
春樹にも奇跡的に遭遇してません。私の願いが聞き届けられたのか、二年のクラス替えでも別クラスになりました。なんか、このまま春樹の目に留まらずいけるんじゃね?ていうか一年経って何も動かないようなら別に春樹がこの学校にきたのはそれ目的じゃないんじゃないか?とか思ってみたり。
それでも、目立たないように、決して表舞台に上がらないようにと生活するように心がけてはいる。まぁ、そんな努力などしなくてもthe凡人に注目したりしない。自虐ではないけれど。
この私、島崎真琴はもうびっくりするくらい秀でた所がない。特技くらいあったほうがいいかなと思うけど、このままでいいやーとやっぱりだれる。人間関係も普通。
顔だってやたらあっさりしていて特徴らしい特徴がない。人に中々顔を覚えてもらえない。顔どころか身長も体格も、平凡そのもの。
島崎真琴という名前も、他に読み間違えされないような凡庸さ。
一方、春樹の評判はよく聞く。
入学式の新入生代表を務めた後にも、彼は常に校内の話題の中心であり続けた。
顔が綺麗なだけではなく、定期テストじゃ学年トップらしい。おまけにスポーツも万能らしく、体育祭で大活躍してクラスを優勝させ、部活の大会の助っ人をよく依頼されているそうな。それでいて少しも気取ったところが無く、人当りも良く優しい。先生たちからの信頼も厚く、特に女子からの人気も凄まじいわけである。噂では彼の隠し撮り写真が何百枚も出回っているとか。毎日のように女子達に告白されていると聞く。取り巻きの女の子達が絶えないとか、バレンタインデーには鞄や下駄箱にチョコがあふれ出ていたとか。
春樹と比べるまでもなく、私は目立たない。
地味だ、中学の時の担任に会っても名前を覚えてくれていなかった。
しかしそれでも構わない、私は平凡の枠から出ようなどとは思わない。このままなだらかに特にこれといって大きな山も谷もないであろう私の日常が好きだ。
今は春樹の影におびえているが、一年何も奴が行動を起こさなかったことから近い将来また平和な日々が返ってくるだろうと信じていた。
「真琴、なんかソワソワしてない?」
「え、してない、してない」
体育の授業が終わったグラウンド、友人の栞が私を見てそんなことを言った。
実は言い当てられ内心心臓がバクバクしていた。
冷静を装っていたはずなのに。そんなにわかり易いのか、私。
実はトイレ(名誉のために言うが小さい方である)を我慢していた。
一時間、ずっと。前の時間が押していて、着替えたらもう休み時間が終わっていたのだ。
授業中にトイレ行ってきますといえば良かったのかもしれない。しかし中年男性教諭にいう事がどうしても恥ずかしかった。そのせいで今、こんなにも切羽詰まっている。
「私ちょっと水飲み場言ってくるから」
これ以上、何か怪しいと思わせておくのは得策じゃない。
私は逃げるように駆けた。ただでさえいっぱいいっぱいなのに生徒玄関と反対方向に行ってしまう。否、これは作戦通り。
私が向かっているのは非常階段。そこは鍵がかかっておらず、そのまま3階廊下に繋がっている。
このまま生徒玄関にいっても混みあっていて靴を履きかえるのに時間を要してしまうだろう。生徒玄関前トイレに飛び込むなぞ恥ずかしいことはしたくないし、体育があった時はあそこも混んでいて待つことになってしまう。
だから非常口階段で自分の教室がある3階までいって、そこでトイレにいこうと思った。止まってるより足を動かしている方が楽だし、人に目撃されたとしても変な風に見られない。我ながらナイスアイディアだと思っていた。
早速、非常階段を昇る。あんまり使ってはいけないんだろうが、今はある意味非常時だから問題ないだろうと心の中で言い訳。
長い階段が、あと少しで楽になると思えば今は苦しくなかった。
調子に乗ってちょっとリズムよく駆け上がっていた。
もう少しでトイレだということで気が抜けていたのだと思う。
「春樹君がどうしても好きなの」
非常階段が告白スポットだということを忘れていた。
すぐ目の前、男女が一組いてその儀式が始まっていた。危うくそのまま突っ込む所だった。今だって十分危ない位置にあるけど。
まだ彼女は此方に気付いてないようだ。そうと分かったら音を立てないように引き返そう。
あれ…というか今、春樹君って言った?
「ありがとうね、気持ちはうれしいよ」
この爽やか好青年ボイスは聞き覚えがあった。
入学式に確か聞いた。
思わず顔を上げて、目を剥いた。女子生徒に対面しているのは、確かにあの新垣春樹。
慌てて顔を伏せる。恐怖で全身が冷えていくのを感じた。
考えてみればここに学校一のモテ男の春樹がいることは不思議でもなんでもない。
何も考えずに非常階段を使ってしまった私が悪い。
相手が春樹ならば、下手に動くのはできない。春樹が私を目に入れてしまう可能性がある。
私はそこで待機することにした。膝をすり合わせて耐える。
「じゃあ付き合ってくれる?」
こんな近くにいれば聞きたくなくても会話は耳に入ってしまう。
「ごめん、今は誰かと付き合うとかあんまり考えられないんだよね。君のことも良く知らないし」
「そんな…」
申し訳なさそうな春樹の声に、本当にいい人になったのだろうかと思ってみる。
私がいなくなって、誰もいじめたりせず、性格すら聖人な完璧超人になったのだろうか。
「じゃ、じゃあ、友達からでいいからっ!」
「うん。それなら大歓迎だよ」
ああ、優しい。なんか気のいい好青年っぽい。
ただ断るんじゃなくて、友達になれば、相手も失恋したとそこまで悲しむことはない。対応に優しさが垣間見える。
春樹が昔私に対しての扱いがひどかったのは、小学生だったのもあるかもしれない。
今は精神的にも大人になったのだろう。もはや春樹には少しの欠点もない。だからこそ今ここまで学校中の人気者になったのだろう。
少しして階段を上がっていく音がした。3階の非常口が開いてまた閉まる音も。
やっと危機は脱したのだと顔を上げた。その瞬間凍りつく。
最も恐れていた事態、春樹と目があってしまった。どう前向きに考えても、春樹は私を見ている。そうとしか判断できない。
もうなにも誤魔化せないほどばっちりとこっちを見ている。おまけに私達の間にはなんの障害物もない。
何が怖いって新垣春樹は視線をこちらに向けたまま微動だにしない。
逃げよう、逃げればなんとかなる。
小刻みに震える足を一つ後ろの段に持って行こうとした時、春樹がこちらに向かって身を乗り出してきた。
やばい、と焦ったのがいけなかった。
「あっ…」
身体のバランスが崩れた。後ろ脚が階段を踏み外し大きく身体が傾いていく。
何か掴もうと両手を掻くが虚空を掻くばかり。
あ、落ちる。
ここから落ちたら痛いだろうか。下手をしたら骨折くらいするだろうか。
覚悟して目を固く閉じた。
が、いつまで経っても痛くはないし身体が転げ落ちていく感じもしない。
引っ張られている感覚にそっと目を開けた。
「なにやってんの、お前」
声も上げられない。
目が眩むほどの美貌の男子が至近距離にいて、しかも手を掴まれて支えられていた。
「こんな所まできて盗み聞きなんて趣味わるくない?」
盗み聞きをしたくてしたわけじゃないと言いたいけど言えなかった。
さっきの好青年はどこいった、と思うほど纏った空気は黒い。
混乱。なにこれ二重人格?変わり身早すぎじゃないですか?デジャヴだ、これは。
「あげく階段から落ちそうになってるとか、かっこ悪すぎ」
クククと愉しそうに笑った顔が、なんと凶悪なこと。
うそだ。こんなのってない。
何が聖人?完璧超人?何も変わってないじゃないか。なんでここにきて態度も雰囲気もがらりと変わる?
ああ、なんで。折角一年持ちこたえたのに、それが全部水の泡。
私の油断と判断ミスのせいで。
「と、とりあえず引き上げて下さい…新垣君」
絶望に打ちひしがれるのも打開策を考えるのも、とりあえずこの状態じゃどうしようもない。いつ落ちるかハラハラするし。
「…へぇ」
気のせいだろうか、声が若干低くなった気がする。
引き上げてくれる気配もない。
「何言ってんの、誰が助けるって言った?」
「えっ」
私がおかしいことを言ってるかのような言い方。じゃあ、なんで今こうやって私を助けてくれているんだ。
すごく嫌な予感がする。この場から一刻も早く逃れたい。
「助けてあげてもいいんだけどタダじゃ嫌だね。あんた名前は」
「……名前…」
春樹の言葉に思わず安堵する。
名前を聞くということは、私を島崎真琴だと分かってないということか。もしくは私の事も虐め殺すということも忘れたか。後者ならありがたいのだが。
「島崎です」
名前を言わないに越したことはないと判断して苗字だけ告げた。
名前を言って、変な事を思い出されては困る。
「そう、島崎」
春樹は目を細めた。長い睫毛が影を付けている。
そして、にやにや意地の悪そうな笑みを浮かべながら口を開いた。
私はこの時まだ知らない。自分の耳を疑いたくなるような言葉が告げられるのを。
「俺と付き合ってよ、それがあんたを助ける条件」
はぁ?と身の程をわきまえない間抜けな声が出てしまった。
「…なんで、さっき誰とも付き合いたくないって」
「そうだよ。いい加減、面倒なんだよねああいうの。纏わりついてくるのも鬱陶しいし、あんな低能な生き物に貴重な時間を取るのも気を遣うのももう疲れた」
その口でさっき嬉しいっていってたじゃないか。
余りの言いように、呆然とする。
化けの皮、剥がれた。なんて猫かぶり。
「だから彼女できればそういうのも減ると思うんだよね。あんたなら扱いやすそうだし」
そんな軽い感覚で彼女をつくっていいのか。あ、偽彼女か。
無理無理。あの新垣春樹の彼女なんて苦労するのが目に見えている。
「…いや、ちょっとそれは」
「断るならこの手を離すまで。早く落ちるように突き飛ばしてやろうかな」
顔は笑ってるんだけど目が笑ってないその顔に寒気がした。
言葉だけじゃなくやりかねない。本当に突き落としかれない。
後ろ脚を探ってみるが、次の段をかすりもしない。膀胱もそろそろ限界。状況は絶望的。
「早く。もう休み時間終わるよ?これ以上渋るんなら…」
「わ、わかりました!」
叫ぶと同時に引き上げられた。細そうなのにどこにそんな力があるのか春樹は私を抱えて非常階段の踊り場に下ろした。
「じゃあこれからよろしく、島崎」
機嫌良さそうにそう一言声をかけて春樹は私の頭に手を乗せた。
は、早まったかもしれない…。しかし時すでに遅し。時間を巻き戻すこともできなければ、言った事も無しにできそうな雰囲気じゃない。
春樹が私の事を覚えてないだけマシか。そう自分に言い聞かせるしかなかった。