1.1
真新しい制服がまだ肌にくすぐったい。
中学はセーラーだったので、高校のブレザーが新鮮。とうとう高校生になったのだという実感がわく。
まだ何度か来ただけの見慣れない高校の体育館、入学式は始まっていた。
妙な高揚感が私のなかに満ちていた、いまならなんでもできそうな気がする。
私は平凡な人間で漫画のようなロマンチックなことなど起きようがないだろうけど、それでも新しい環境に希望を持っている。
友達はできるだろうか、クラスの雰囲気はどうだろうか、テストはどんな感じなんだろうかとか部活とか入ってみようかなとか。これからの事を考える。
「校長先生の話長いよね」
隣に並んでいた女子が声をひそめてそう言った。
一瞬、私に向けられたものか迷って辺りを見渡したがクスクスとその子は笑っていたので私も笑い返す。
「う、うん。長いよね、こっちはずっと立ちっぱなしだし困っちゃうね」
先が思いやられるよ、と彼女は眉毛を下げてやれやれと呆れた顔をした。
こ、これは友達になってくれるのか?
緊張してドキドキする心臓を押さえつつ、隣の子の名前を聞こうとしたその時。
『新入生代表、新垣春樹』
体育館にそんな言葉が響き渡る。
体育館ステージを見ると、そこには一人の男子。
自分達と同じようにグレーのブレザーに深い緑のネクタイの制服を来た新入生。
だけど、とても自分と同じ人種とは思えない。
出席番号順的に前の方の列で視力も2.0あるから、彼の姿は大体見えた。
ものすごい美青年…。それが第一印象。
すらっと伸びた四肢。背筋も真っ直ぐで、身長も高そうだ。顔が小さく、腰の位置も高そうだ。
あと美形。下手なモデルや俳優よりもずっと綺麗な顔をしている。嘘みたいにイケメン。
そう思ったのは、私だけじゃないようで体育館中がざわめきに包まれていた。
皆、彼―――新垣春樹を見て驚いているようだった。
先生たちが慌てて生徒に静かにするように注意して回っている。
「すごい綺麗な人だね、あんな人いるんだ。天使みたい」
「…うん」
隣の子が、うっとりとした声でそう言ったのが聞こえて相槌を打った。
うん、天使。私には真っ黒な翼が見えるけど。
「あの人と同じクラスの人いいなぁ…って、どうしたの顔真っ青だけど」
「い、いや…」
大丈夫と差し出したピースサインは手汗がじっとり滲んでいた。
何故か寒気がした。
「ほんと?体調悪いなら先生呼ぼうか」
「大丈夫、大丈夫」
無理やり笑って、またステージを見上げる。
まだ新垣春樹の答辞が続いている。もれなく美声で、世の中の不公平さを味わう。
「どうして…」
一人、絶望に頭を抱えた。
皆と同じようにイケメンな同級生に胸をときめかせられれば、良かった。
でも、だめだ。そうするには私が記憶喪失になるしかない。
そう、新垣春樹は私の知り合いだった。
私,島崎真琴には幼馴染がいた。
同じマンションの一つ上の階に住んでいる、同い年の男の子。そして、よく行動をともにしていた。
天使を思わせるような美少年で、賢くて礼儀正しい、歳の割には大人びていて、絵に描いたような良い子ちゃん。面倒見もよく、いつでも人気者。それに多くの大人にも可愛がられていた。
だけど、なぜか私にだけ態度が違った。
何故か私に風当たりが冷たい。
言葉遣いが悪い、大抵「ノロマ」とか「ブス」とか暴言を吐かれる。すきなお菓子や玩具も勝手に捨てられるし、マンションの物置に詰められてそのまま鍵をかけられたこともあるし、嫌いな雷が鳴っているのにベランダに締め出されたり、自転車の鍵を近所で猛犬で有名な飼い犬の小屋に隠されたり、大事にしていたぬいぐるみやを引きちぎられたこともある。その他に首絞め、マウントポジション、のしかかり、お馬さんごっこ(私が馬)、ずっと私だけ鬼のかくれんぼとか色々と。
とにかく毎日のように嫌がらせをされまくった。
好きな子をいじめたかった、とは思えない。
そう思うには限度を超えていた。奴は、私をいじめて楽しんでいる節があった。
もうやだ、と思っている時に父親の転勤の話が上がった。
最初は父親の単身赴任でまとまりかけたが、そのチャンスを逃すはずがなかった。
「お父さんと離れるの、やだぁ」
その一言に父親はイチコロだった。泣いたふりでもすれば、ちょっと嬉しそうに慰めてくれる。それでも駄々をこねて、話し合いの末引っ越しをもぎとった。つまり、家族で父の新しい職場のある街に住むことになる。ここから県をいくつも跨いだ街なので当然転校にすることになる。奴と縁が切れる。
親には奴になにも言わないでと口止めをして、私も言わなかった。言ったら最後、奴にかかれば覆されそうだったからだ。
「島崎さんが二週間後に転校することになりました」
小学校の担任の先生がそう言ったときの、奴の驚いた顔を見たとき胸がすかっと晴れた。
信じられない、という顔をしていた。白い顔が本当に驚いているのだということを物語っていた。
休み時間になって奴が私の机の前にやってきた。
なに、いままでのことを謝りにきたの?とにやにやしていると、耳元に口を寄せられこう言われた。
「虐め殺してやる」
あ…としか言えなかった。
こんなにこの幼馴染が怖いと思ったことはない。
大体、小学生が使う言葉か「虐め殺す」とか。普通。
私は本能的に危険を感じて這う這うの体で逃げた。
二週間、奴の容赦ない攻撃から耐え抜いた。あの時のことを思い出すと、本当に身体の震えが止まらない。よく当時の私は血尿が出なかったものだ。
それが幼馴染、新垣春樹との最後の思い出だった。
はずなのに。
どうしてこうなったのか。
名前も一緒だし、顔だって面影がある。
他人の空似だなんて、いまさら都合よく思えない。
なんでわざわざこの学校に来てしまう?向こうでもずっといい高校あっただろうに。
意味が分からない。少しも分からない。
まさか、本当に私を虐め殺すために…?そう思うと恐怖にげろげろ吐きそうになった。
答辞が終わって、春樹は一礼した。
顔を上げて、一瞬。
その目が此方を向いた…気がした。
ひぃ…と思わず後ずさる。
気のせいだ、気のせいだ、と自分に言い聞かせて心を落ち着かせた。
新垣春樹には近づかないようにしよう。
当面の高校での目標が決まった。