2.8
「あっ!新垣の彼女!」
昼休みになって教室を出た私は大きな声に立ち止まって振り返る。
そこにはショートヘアの女子がいた。
昨日知り合ったばかりの井澤美咲さんだった。
「ねぇ、新垣に言ってくれた?」
そう、春樹に陸上部に入るよう頼まれていたのだ。忘れてはいなかったが、言おう言おうとして春樹の顔色を伺っていたが篠原がいたためか不機嫌で言い出せる雰囲気じゃなかった。
「どうだった、入部するって言ってた?」
井澤さんはどんどん近づいてくる。大きな目が期待にキラキラと輝いていた。
「…あーいや、どうだろう」
まさか聞いてないとは口が裂けても言えない雰囲気である。
「どっち?はっきりしてないの嫌いなんだけど」
井澤さんの声が少し低くなって、何か言わなければと焦る。
どうにか言って誤魔化そうとしている時点で最低な私だけど。
「あ、あの…入部は難しいと思います」
「さすが新垣春樹、一筋縄ではいかないってことね」
親指を口元にやって考え込むような仕草をする。
そして何秒か後に、はたと私の方を見上げてきた。
「そういえば君どこ行くの」
「お、屋上に。そこでお昼を食べる、つもり」
「新垣と?」
「…うん」
井澤さんの目が徐々に輝きが増していく様に密かに恐怖する。
まさか、まさか。
「それ私も行きたい!」
ですよねー。
この流れはそうだと思った。
「いいよね、私達友達なんだし」
「あ…はぁ」
いつ友達になったんだろう?
確かに友達はなろうと言ってなるものじゃないけど、昨日初対面で友達とか言われても。
あ、でも三日でマブダチだと言い張るどこかの眼鏡がいた。
なんなんだ、この人達は。
まさか人類みな友人的な意味で友達とか言ってるのか?
「ボーっとしてないで、早く行こう」
いつのまにか手を取られて、井澤さんにぐいぐい引っ張られていた。
「遅いと思ったら、何なのソレ」
不機嫌顔で見下ろす春樹が顎で指したソレとは井澤さんだ。
「いやー、ちょっと…来たいって言うので」
「はぁ?それでなんで来させるんだよ。そもそも、いつコイツと知り合ったんだよ」
「昨日会いました。連れてきたのは…えーと、トモダチだから…?」
目を泳がせながらしどろもどろで答えていると、井澤さんが前に出てきて春樹の前に立ちふさがるような形になった。
「あんたを正攻法で口説き落とすのは無理だと分かったわ!だから手法を変えることにする。
まず新垣が気を許すほど仲良くなることを目指すわ。そのためにはこうやって少しでも新垣と話せる機会をつくることにしたの」
そう声高に堂々と宣言する。
「へぇ…」
徐々に顔が険しくなる春樹の横にいた篠原は心底面白そうに目を細めた。
「もういい、帰る」
眉間に深い皺を寄せて春樹が歩きだした。
「だって。じゃあみんなで食べようか、島崎ちゃん」
篠原がここで私の名前をだしたのは確実にわざとだと思う。しかも胡散臭い爽やか笑顔で私の手を取ったりまでして。
その証拠に春樹はすぐに私の腕を引っ張って篠原の手から引き抜いた。
強い力で握りつぶされている手首が痛い。
なんで私がこんなとばっちりを受けなければならないんだ。
「都合が悪いことがあれば逃げるなんて男らしくないよ。そんなんじゃ島崎ちゃんに嫌われちゃうよ?」
ね?と私に振るんじゃない!
こんなのどう答えればいいんだよ。春樹の方からは凄まじい視線を感じるし。
折れるって。春樹さん、それ以上私の手首に負荷をかけると折れますって!
私が半泣きになった頃、春樹が舌打ちして座り込んだ。
それにならって他も円をかくように座り込んだ。
今日は日差しがやわらかく風も吹いていないから場所を選ぶ必要もない。
「そういえば君の名前って何?」
箸を咥えながら井澤さんがふと私の方を向いた。
「…君たち、友達じゃなかったの?」
篠原、そこはスルーしようか。
「島崎です」
「下の名前は?」
「え」
「下の名前」
私は隣の春樹の気配を感じて迷ったが、そのまま黙っていても不自然なのでできるだけ小さい声で答えた。
「…真琴」
「真琴ね、真琴か!」
しかし、あろうことか井澤さんは大きな声でしかも二回も連呼してしまった。
もしかして私のフルネームを知って私のことを思い出したのではないかと不安になって、横目で春樹の顔を見た。
しかし、春樹は黙々と口を動かしているだけだった。
聞いていなかった?それとも思い出さなかった?
とりあえず、私は胸をなでおろした。
とても緊張したのだ。あと怖かった。すごく。
だからいまだにこめかみがドクドクと脈打っているのは仕方がない事、だと思う。




