2.7
春樹の篠原接触禁止令から一夜明けて、なぜか私の目の前には小柄の女子が。
零れそうなほど大きな目のショートヘアの女の子。
「…え」
「えっ」
大きな目に私が映っている。小柄なので私が彼女を見下ろしている。
何故かその子は廊下の真ん中で立ちふさがって私を凝視している。
なんか怖いので避けて通ろうかとするとなぜかサササとやたら素早く動いてまた私の前に立ちふさがる。
なんなんだ、私はただトイレに行ってきただけなのに。
「あの、通してくれますか」
次、移動教室なんだけが。いい加減にしないと遅刻しそうなんだけど。
「あ、ごめん」
と言うが避けてくれるわけではないらしい。
でも、なんかこの子見たことあるような気がする。
「君って新垣春樹の彼女だよね?」
ちがいます、と言いたかった。
またか…この子もまた春樹信者の一人なのか。
この子もまた須藤や石川さんと同じなのか。
「ねぇ…」
春樹と別れてくれない?あんたなんか春樹君に全然似合わないんだよ?
一体どんな言葉を投げられるのだと戦々恐々していたのだけど、彼女が言ったのは私が全く予想していなかった言葉だった。
「君からも言ってくれない?新垣春樹に陸上部に入るように」
…どういう事?
なんでいきなりここで陸上部がでてくる?
「あの…さっぱり事情が分からないんですけど」
ああ、そっかごめんね!と大きな声でその子は謝ると早口でまくしたて始めた。
「半年前、わが陸上部は1600リレーで超人の異名を持っていた新垣春樹に県大会の助っ人を頼んだのよ。正直私はその時素人に何ができるのよと思っていてその話には反対してたんだけどね。だけど、練習で高校記録に残るようなタイムをたたき出すわ、大会では新垣は相手校を大きく引き離して大活躍するわ大誤算。嬉しい誤算ってやつよ。新垣が全国大会へ導いたのよ。悔しいけど素晴らしい走りだった。天才、あいつは」
「は、はぁ…」
どんどん顔が近づいてきて声が大きくなるのにはどうしたらいいのか。あと鼻息も荒いです。生暖かいです…。
というか春樹、超人なんて二つ名を持っていたのか。知らなかった…。
「あれだけの才能、もっと磨けばさらに光るに決まってるわ。陸上をするために生まれてきたと言っても過言じゃないと思うの。だからそれ以来新垣を口説いてるんだけど、なかなかうんと言ってくれなくて。昨日だって見たでしょう?」
「あ…」
どこかで見たような気がすると思ったら昨日春樹と一緒にいた子だと気付く。
その時は顔をよく見ていなかったが、思い返せばこんな雰囲気の小柄な子だった気がする。
あの時、春樹が妙に遠回しに断っていたのはこういう事だったのか。
「新垣が入れば私達はさらに強くなれるわ。それこそ全国常連も夢じゃないし、優勝だって可能性はなくはない。私達の悲願が達成できるのよ。
もちろん、新垣にとっても自分の才能を開花できるし、成績次第では大学の推薦がもらえるかもしれないし、何だったら企業のスポーツチームに入って末はオリンピック選手になれるかもしれない」
うっとりと彼女は目を閉じながらも力強く話す。
なんていうか、熱い人だ。
彼女が話すこと全て、嘘なんかではないと分かるほどの真っ直ぐさ。
でも、私に言われても何ができるというのだ。
「そ、そういうのは個人の自由だと思うけど」
そもそも春樹が私のいう事を聞くとは思わないし。
「私はあの才能をこのまま埋もれさせるのが我慢ならないの!どうして新垣が頑なに誘いを断ってるのかはよく分からないけど、単なる食わず嫌いだと思うのよ。部に入りさえすればきっとすぐ陸上が好きになると思うの」
「い、いや、だから」
熱血プラスちょっと強引気味なような気がする。
早くも彼女に苦手意識を持ってしまう。
「私の言葉は聞かなくても、彼女の話なら少しはあの新垣も聞く耳を持つと思うの。だから頼むよ」
両手を合わせられ頭まで下げられて困ってしまう。
「わ、わかりました…」
困った末についうっかりそう答えてしまった。
私の返事を聞くと彼女は顔を上げて、目をパッと輝かせた。
「ありがとう、じゃよろしく頼むよ」
そして、あっと言う間に廊下の彼方に駆けて行ってしまった。
茫然と私はそれを見送っていた。
「…あ、名前聞いてなかった」
一応聞くべきだったかな、でもあのタイミングでは聞くに聞けなかったししなぁ。
「井澤美咲。二年E組、陸上部の最有力次期部長」
「うわっ!」
ここにいるはずのない声が背後からして、驚きのあまりのけ反ってしまった。
「ど、どどどどこから湧いてきたのよ…」
未だにバクバクする心臓を押さえていつのまにか私の背後にいた篠原を指さす。
篠原は眼鏡を少しかけ直しながらいつものようにへらへら笑っていた。
「湧いてきたって…傷つくなぁ。ちなみに声かけなかっただけで結構最初から島崎ちゃんの後ろにいたからね、僕。なんか面白い事になってるから声をかけなかっただけで」
全然気付かなかった。忍者かよ…。
あと、面白いってなんだよ。他人事だと思ってそんなこと言いやがって。
「井澤さんのことなら何回かインタビューしてるしある程度のことなら分かるよ。小学校の時から陸上一筋で得意種目は短距離走。陸上大会でも結構いい成績を出してて、今陸部のエースといったら彼女なんじゃないかな」
「へぇ…」
ということは結構有名人なんだろうか。
そういう方面に私は疎すぎなんだろう。いままで全然彼女の存在をしらなかった。
「何を思ったか、ある日新垣君に目を付けたんだよねぇ彼女。全くあーゆうのをスポ魂というの?毎回めげずに部活の合間に新垣君を部に勧誘し続けてさぁ。まぁ、最近は新垣君が遭遇を回避するように動いてたみたいだけど」
そこで、にまぁと眼鏡の奥の目の笑みが深くなった。
「とうとう、島崎ちゃんを使う手段を取るとねぇ」
「いや、別に私は彼女に協力するつもりはないんだけど」
「あれ。島崎ちゃんは新垣君の味方になるんだ?」
「そういう訳じゃないけど…」
私はただ無理やり人に嫌なものを強制するのが嫌なだけだ。
たとえそれが天敵の春樹であっても。
「さて、どうなる事になるやらね」
実に楽しそうな篠原の呟きを合図に4限目の開始を始めるチャイムが響き渡った。なにやってる、と通りかかった先生に注意された。
 




