2.6
やっと授業もHRも終わって掃除もないので帰ろうとしていると、突然腕を取られた。
ものすごい嫌な予感に顔を上げると、目の前には毎度お馴染み目のくらむような美貌の君。
「島崎」
春樹だった。
どうやら春樹のクラスの方が先に終わっていたらしい。
うちの担任の話が無駄に長いのを今更恨んだ。
「なんで…」
なんで春樹がこんな所にいる?ざわつく周囲の音が聞こえる。
いつものように作り物めいた綺麗な笑顔を浮かべているくせにその瞳の奥にぎらぎら光が映っている。
「ちょっと話があるから来てくれない?」
「え…」
春樹が何の話があるのだろう。嫌な予感しかしないんですけど。
「用事があるなら一緒に帰りながら話してもいいんだけど」
うん、つまりまた別日とかそういう選択はないんだね。
ついでに言うと一緒に仲良く帰るのもごめんだ。何をされるか分かったものじゃないし下手したら親に春樹を見られる可能性もある。
「あ…じゃあ屋上行きます?」
「何、そんなに一緒に帰りたいんだ。嬉しいな」
私があからさまに嫌そうな顔をしていたのがいけなかったらしい。
っていうか嫌だ。何が悲しくてギスギスした二人で街を歩かなければならないんだ。そもそも春樹と私が一緒に居るところをこれ以上人に見られるのが嫌だった。
「い、いや屋上で話したい」
「なんで?」
「あ…いや…に、新垣君と二人っきりでいたいかなって」
冷や汗を垂れ流しながら考えた結果そんな言い訳しか出てこなかった。しかも真っ赤な嘘だし。
春樹がそれに気付かないはずがない。何て言われるのかビクビクしていたが、何故かいつまでたっても春樹は何も言わない。不思議に思って顔を上げた。
「……って、え?」
「見るなよ、バカ!」
すぐに頭を押さえつけられて見たのはたった一瞬。
だから単なる光の加減や見間違いだった可能性が拭えないのだけど。
でも、確かに見たような気がした。
…真っ赤に色づいた、春樹の頬を。
なんで?
「何ぐずぐずしてるんだよ、行くぞ」
春樹は半ば引きずるように私の手首を掴んで歩き出した。
というか春樹さん、皆の前なんですけど。猫被るの忘れてません…?
■■■■
屋上に着くと春樹は開口一番こう言った。
「お前、篠原に近寄りすぎだ。今後一切あいつに近づくな」
「は…?」
私が篠原に近寄りすぎ?
別にそんなことはないと思うし、なぜそんなことを春樹に言われなければならないのだろう。
「喋るのもだめ。話しかけられたら無視しろ」
「や、ちょっと、そこまでは…っていうか何でいきなりそんなこと」
「さすがの俺にも我慢の限界というものがある」
苦虫をかみつぶしたような表情で春樹が言う。
「お前と篠原がじゃれている所を見てると、ぶち殺したくなる」
ぶち殺すって…。
だ、誰を?
私ですね、わかります…。
「それに、分かっているのか?お前は俺の彼女なんだ。他の男と馴れ合っていたら変だろう」
べつに篠原とそこまで仲良くないのだけれど。
ほかの人に自分と私が実は恋愛感情がないとばれたら春樹は困るのは知っている。だから、仲良さげに振る舞っていたり、私に彼女達にそのことを言うのを封じている。
しかし、ばれることが即ち私が春樹から解放されることにもつながるのだ。
よし。あまり気が進まないが仕方がない。積極的に篠原と仲良くしてみよう、春樹に知れない程度に周りに見せつけるようにさじ加減をしなければならない。場合によっては篠原を抱きこんで協力してもらう必要があるかもしれない。
ただ、ここで春樹に逆らうほど馬鹿じゃない。
逆らったら最後、力づくで従わされる。私はMの性癖を持ち合わせていない。口だけでも従っておくに越したことはない。
「わかりまし…ふぐっ」
「お前の考えていることが分からないとでも思ってんの、クソ女」
言い終わらないうちに頬を思いっきり握りつぶされました。
何故分かった?春樹はエスパーなのか?
「言ったよね?裏切り者には制裁を。忘れたんなら思い出させてあげようか」
抉るように頬に力をかけられる。その言葉に必死で首を振った。
「下らない事をしようとするな。篠原じゃなくても、俺のいない所で他の男に近づくな、触るな、気を許すな。それを破ることは絶対に許さない」
逃げることを許されない目に射抜かれて声を失う。
頭の中で春樹の吐き出した言葉をかき集めて、必死で考える。
どうやってこの場を逃げようかと思って。
「わ、わかった…」
とりあえず今はこう言うしかないのだろう。
一見嫉妬にかられた台詞にきこえるけど、春樹が恐れているのは私が他の男子にとられる事じゃなくて女避けである彼女がなくなってまた女子に囲まれることだろう。
勘違いしようにも勘違いの材料がない現実に笑えてしまう。
「もし、それを破ったのを見つけたらお前の人生をグチャグチャにしてやる」
威圧感丸出しの声には冗談の匂いが全くなかった。
さらに言えば私の人生など春樹にかかればいくらでもグチャグチャにできそうな気がして、ただの脅しにも聞こえなかった。
怖い…。今更ながら何でこんな男に関わってしまったんだろうとひどく後悔してしまう。
「返事は?」
猛禽類の目に抗う余裕はもうない。
いつのまにかありえないほどの至近距離にある唇にも。
「は、い」
かすれた声で返事をすると、私の唇はあっという間に食べられてしまった。




