2.3
春樹はそのあとむっつりと終始押し黙っていて、私は篠原との関係を聞くことができなかった。さっさと教室に一旦戻って、それから校庭に落ちていた上靴を回収した。そのせいで、お弁当を食べ逃してしまったけど。
授業もやっと終わり、掃除当番もないので石川さんたちに会わないように警戒しなが生徒玄関に到着した。一目がある所を通れば、比較的何もされないことが多いと最近気づいた。ぐぅきゅるるると音が聞こえてお腹をさする。バスの中でお弁当食べたらだめかな、と考えたりした。
「チョコ持ってるんだけど、お一ついかが?」
「うわあぁ」
いきなり背後から声をかけられて思いっきりのけ反ってしまった。振り返るとニコニコと一見人の良さげな眼鏡をかけた男子が私に某ア○ロチョコの箱を差し出している。
件の人物、篠原純だった。
「そんなに驚いてもらえると気配を消してわざわざ尾行してきた此方としては嬉しいなぁ」
今尾行したと言ったか?
私は石川さん達に警戒しながら歩いていて、いつもより神経をとがらせていたはずなのに。
篠原に何か言おうと思ったが、いつの間にか自分たちに視線を寄せられているのに気付いた。私が春樹の彼女だと知っている人だと知っている人は多少いるだろうし、篠原の外見は目立つ。私も第三者の立場だったら野次馬根性を表していたかもしれない。
「ここじゃ目立つからちょっと場所移動しよっか、島崎ちゃん」
ごく自然に手を包まれた。
それを振り払おうしたが、力が入ってるようには見えないのに取れなかった。
「ねぇ大人しくついてきてよ。朝、助けた恩返しだと思ってさぁ。
新垣君のについて聞きたいことがあるんだ」
耳元でそう囁かれた。
悪いようにはしないから、と篠原はウィンクした。
普通男の人がウィンクなんぞしたら鳥肌モノなはずなのに、篠原のそれは違和感がなかった。
「あ、ちょっと…」
ぼうっとしてるとそのまま腕を引かれて連れて行かれた。
飄々としているくせに抜け目ない人だと思った。
■■■■
生徒会室の隣に新聞部部室はあった。
帰宅部なので良くは分からないが、パソコンが2台に体育館器具室ほどの広さは相当恵まれているのではないのだろうか。想像していたよりも書類などは整理整頓されていてきれいな部室だった。
「部外者が入って良いの?ここ」
「今日はみんな出払ってたり休みで暫く人来ないからOK牧場」
OK牧場って…。
敢えてツッコまないけど、久しぶりに聞いたよその言葉。しかも自然にさらっと言っていたから日常的に使っているのかもしれない。
「あの、私早く帰りたいんだけど…」
別に用事はないが、他の部員さんに黙って侵入するのはどうも気が引ける。
「大丈夫そんなに時間かけないからさ、どーぞ座って」
引かれた椅子に素直に座ると目の前の席に篠原が座った。
篠原は眼鏡の奥の目を細めた。
あらためて彼の顔を近くで見ると思っていたより整った顔をしていると気付く。
「まず、単刀直入に聞くけど……今日の春樹君なに?」
意外にも少し真面目な声色で篠原は言った。
「何って…」
私は言われた意味が分からなくて上手く答えることができなかった。
「だって僕の知ってる新垣君と全然違った。新垣君とは1年からの付き合いだけど、あんな新垣君初めて見たよ。あんな独裁者みたいな魔王みたいな…。
まさか、あれが彼の素?」
「えっ、篠原君の前でもあんな風じゃないの?」
どういうことだ。
だって、あのとき篠原は全く動じてなかったのに。
だからてっきり私は春樹は篠原に対して日常的にそんな態度を取っているのだとばかり思っていたのに。
「内心すっごく驚いてたよ。だってあの春樹君だよ?っていうか名前覚えてくれたんだ」
ありがとー、と篠原は無邪気めいた笑顔をして、そのくせすぐに顔は真顔に戻る。
「久しぶりに驚いたよ、あの完璧な皆のアイドルがねぇ。あんな口調で、見てるだけで震えそうな怖い顔で、靴を…あと土下座…」
思い出しているのか篠原は少し上を向いて、少し間をおいて真面目な顔で私の方に向き直った。
「島崎ちゃんって、まさかどМ?」
「んなわけあるか」
思わずツッコミをいれてしまった。恥ずかしい。
だって春樹のせいでどМ疑惑を持たれるなんて我慢がならなかった。
「じゃあ、何で新垣君にあんな扱いを受けても付き合っている訳?恋は盲目ってやつ?」
私は軽く唇を噛んで、小さな深呼吸をした。
「…私達は、篠原君が思っているような関係じゃないよ」
へぇ、と篠原が声を上げた。
春樹はこの場にいないし、私がこの男に本当の事をいっても春樹と別れることには繋がらないから約束を破ったことにはならないだろう。週刊誌じゃないんだから新聞のネタで書けるネタでもないだろうし。
私には秘密を守らなければならない理由はない。
「新垣君は寄ってくる女子が煩わしくて私を利用しているだけで、好きで付き合っているわけじゃない。どうして私が巻き込まれたのかは…まぁ色々あって。
とにかく私はただ都合のいい存在にすぎないから。ぞんざいな扱いをされてるのも私がどうでもいいと思っているからだよ」
階段から落ちそうになった所を助けられたとか、トイレ行きたさに了承してしまったとか、無理やりキスされて公認の仲になってしまったとかそういう細かい所は割愛する。
私の言葉に篠原は、本当に?と小首を傾げた。
「そんなにどうでもいい人に誰にも見せない素の顔を見せたりなんかするかな、むしろ表の顔だけを見せてる人の方がどうでもいい存在なんじゃないのかな」
「皆に見せてるのが素とは考えないの?」
答えると篠原は声を上げて笑い出した。気が付くといつの間にか握りしめていた手の平にじっとり汗をかいていた。
「そうくるか…面白いね、島崎ちゃんって。じゃあ僕の意見を聞いてもらおう、あくまで個人的な」
眼鏡をかけ直して篠原が話し出す。
「正直言って、新垣春樹君って完璧すぎだと思っていたんだよ。同じクラスで何度も取材した身から言って。
欠点がない人間なんて言るわけない、だからずっと不自然だと思っていたんだ。だから今日の新垣君を見て勿論驚いたんだけど、同時にすごく腑におちた」
そう思っている人がいるなんて思わなかった。
皆が皆春樹を完璧超人だと信じていているのだと思い込んでいたから。
「問題はどうして島崎ちゃんなんだろうね。僕が見落としてなければ1年の時は全く新垣君と接触してない。全く見ず知らずだった人を彼女にする何て迂闊な真似を新垣君がするとは思えないし」
なんでだろうね、と答えを確信したような顔で篠原が私の顔を覗きこんでいる。
「島崎ちゃんって、もしかして高校以前に新垣君と親交があったりする?」
「…そんなの、ない」
なんて鋭い男だ、と思う。
しかし私はそのことは関係ないと知っている。
春樹は私のことも顔も忘れているはずだ。
だって、私の名前を聞いたんだから。
そう、と言ったきり篠原は深くは追及しなかった。
「謎は深まるばかり…うーん、暴きたいかも」
「本当に何にもないから…」
勘弁してくれ。
篠原が余計な事をして春樹が思い出したらどうする。
「まぁ、今日の所はこのくらいでいいや。急いでいるんでしょう、もう帰っても大丈夫だよ」
あ、そうだ。と篠原は声をあげてポケットからなにかを取り出した。
そして私の手のひらの上に茶色とピンクのチョコを三粒を落としたのだった。




