呪縛のようなキス
手入れなんかしてないくせに、やけに綺麗な唇。
赤々としたそれに、自然と指が伸びていく。触れてみたい、素直にそう心が欲求した。
だけど、自分が触れたら美しさが無くなってしまう気がして、指を引っ込めた。
行き場の無くした指を、自分の乾いた唇へと持っていった。
ささくればかりでカサカサとしている。一応、リップ塗ってるんだけどなぁ……。
「直人」
夢の中の住人となっている彼を、そっと呼んでみる。
応答は無く、スゥスゥと規則正しい寝息だけが聞こえてきただけ。
カーテンの隙間から漏れた一筋の夕日が、彼の顔を赤く染める。
「直人のバーカ、アホ、女好き」
いつも中々言えないで居た思いを、吐き出してみる。
それでも彼の寝顔は、変わらない。深い眠りについているのかな。
小さい頃から何度も見てきた顔は、相変わらず綺麗だった。
まぁモテるわけでして、女の子との噂が絶えない。
「……あたしの気持ち、知ってるくせにさ」
閉じられた瞳を隠すのは、少し長めの前髪。
肌を引っかけないように気をつけながら、それを退ける。
目を閉じていても、開けていても、前髪を降ろしていても、上げていても。
どんなことをしたって、貴方の格好良さは変わらない。ただ、増えていくばかり。
もっと、貴方が格好良くなかったらいーのに。
不釣合い過ぎて、切なくなるんだよ。
何度も諦めようとしてたのに、その度に貴方は優しくするの。
そういう時に限って、どうして貴方は……。
「ずるいよ」
オレンジ色に染められた唇に、そっと近づく。
十七年間分の想いを伝えたら、きっと諦められる。
最後くらい、私もずるしたっていいよね?
「……何、してるのかな」
閉じていたはずの唇が、ゆっくりと開く。
責める口調でもなく、軽蔑する口調でもなく、いつものトーンで問うのは直人。
あたしなんてどうでも良いと思われている気がして、悔しかった。
「キスしようと思ってたの」
「ふーん? そうなんだ」
本当は、泣きそうだった。だけど、負けず嫌いな性格が私の口を動かす。
私の答えに驚く様子も無く、興味が無さそうに呟いた彼。
いっそのこと、軽蔑してくれたらいい。そしたら、諦められるのに。
「俺ね、キスされるよりする方が好きだよ」
起き上がった直人は、口角を柔らかく上げて微笑んだ。
私の髪を撫でて、そのまま頬へと流れるように動く彼の手。
慣れている手つきが嫌になる。どうせからかっているだけなんだ。
それなのに、直人の親指が私の唇に触れたとき、ドクンと胸が跳ねる。
「ずるい……直人はずるいよ。どうして、突き放してくれないの」
愛しい彼の手を振り払うことは出来なくて、震える声で言うのが精一杯だった。
今の私は、いっぱいいっぱい。なのに直人は、涼しげな顔で見つめてくるだけ。
いつもそうだった。可愛くなれるように頑張って、後ろ追っかけて。
それは、なんの意味も無かったのに。
「突き放す気なんて無いよ?
これでも俺、由紀のこと好きだし」
直人のタチ悪い嘘を聞いて、我慢していた涙が溢れ出す。
暖かくて大きな両手が、私のそれをそっと拭う。余計に涙が止まらなくなる。
直人は小さく笑うと、私のおでこにキスをした。
「……そうやって、私で遊ぶの止めて」
いつもいつも私の気持ちを弄ぶ。
面白がってるんだ。きっと、泣いてる私を見て、心の中で笑ってる。
悔しい、悔しい、悔しい……どうしてこんなに好きになっちゃったんだろう。
「信じられない? まー当然か。
なんせ俺は、バカでアホで女好きだもんね?」
寝てる直人に言った悪口……起きてたんだ。
私がキスしようとしてること知ってて、寝たふりしてたの?
やっぱり、タチが悪い。ずるい。
「あのまま寝たふりしてくれたらよかったのにっ!
そしたら、そしたら……直人のこと、諦められたのに!」
手に入れられそうで、手に入れられない。
もどかしい距離。それはずっと、この先も変わらないもの。
直人が私を好きと言っても、絶対、誰にでも言っているはずだから。
信じれる要素が一つも無い。苦しさも切なさも、一ミリだって減らない。
私を苦しさの中へと追い詰める直人が、憎らしく思う。
それなのに、恋しさも愛しさも、一ミリだって減らない。
「俺のこと、諦めないでよ」
くらくらしてしまうくらい刺激が強い、直人の瞳が私を見つめる。
恋人にはなってくれないのに、好きでいてなんて……都合良すぎるよ。
でも、告白でも何でも無いその言葉に、強すぎる瞳に、嬉しくなってしまう。
あたしはバカだから、貴方を好きでいることが止められないの。
「泣かないで」
諦めさせてくれない貴方は、そっと私にキスをくれる。
そのキスは、苦しみから解放してくれるものでは無く、私を貶めるもの。
逃げ出すことが出来ない沼に、私はもう溺れてしまっている。
ずるい貴方は、私を逃げられないようにしてしまう。
呪縛のようなキスに、私は囚われてしまったの。
END
読んで下さってありがとう御座いました。
寝てる好きな人にキス……ありがちなネタですみません^^;