もうひと仕事
「誰かいませんかー?」
また声をかけた。今度こそ誰もいないことを確認し、店内を物色すると、コーンフレークとボトルに入ったチョコレートソースが手に入った。保存状態も良い。賞味期限は切れていたが、今のご時世賞味期限を気にする人間の方が珍しい。他にもハチミツやお茶、レジ横のスナック菓子まで残っていた。なぜこんなに残っているのか考えようとしたが、時間の無駄なのでやめてしまった。
染谷は物資を詰められるだけリュックに詰めた。そしてこのファミレスで夜を明かすことにした。ボックス席に身を横たえ、大きくため息をつく。脚は余裕ではみ出してしまうが、久しぶりに得たベッドだった。気分は最悪だった。ふと思い出したようにポケットから錠剤を取り出し、2錠ほど口に放り込んだ。神経が高ぶって眠れないのだ。本当にどうしようもなくなった時に飲むために、ポケットの奥に安定剤を仕舞ってある。
「落ち着け。もう大丈夫だから」
ここは安全だ。自分は大丈夫だ。まだこの世界は終わっていない。そう何度も言い聞かせ、ようやく眠りにつくことができるが、結局いつも悪夢に魘されたり、何かの気配を感じて飛び起きたりしてしまうため、ぐっすり眠るということはここ数年できていない。そのせいで目の下にはいつも隈がある。
未来のことについて考えると憂鬱でたまらなくなる。保菌者である自分はどうなってしまうのか。社会は元通りになるのか。命の危険に晒されることなく、また忙しく働きながらパルクールを習うことができるのか。また仲間と笑い合うことができるのか。そもそも仲間たちは……?
翌朝、日の出とともに染谷はファミレスを出た。からりと晴れた冬空の下、持てるだけの荷物を持って、少女たちが待つ家へと戻る。途中何人か感染者を見たが、特に襲われることもなかった。もしこれが非感染者だったなら追い回されていたことだろう。
4時間以上歩いて、少女の家にたどり着いた。途中道に迷ってかなり時間をロスしてしまったのだ。住宅街は道が覚えづらい。
「ホントに来てくれた!」
弟の方が嬉しそうに言った。少女はまたも申し訳なさそうに眉尻を下げ、ありがとうございますと頭を下げた。持ち帰った物資を渡すと、2人とも心底安心したような顔をしたので、染谷の肩からも力が抜けた。
「じゃあ、時々様子を見に来るから」
染谷がそう言って立ち去ろうとした時、「待って!」と幼い声が彼を呼び止めた。弟が不安そうな目でこちらを見ていた。
「あのね、もうひとつ助けでほしいの」
「翔! やめなさい」
少女が弟を咎める。どうにも様子がおかしかった。
「お姉ちゃん。もう無理だよ。ぼくもう耐えられない。お兄さんなら何とかしてくれるかもしれないじゃん」
「やめて」
「任せられるの、この人しかいないよ」
何か問題でも抱えているのかと思い、染谷は2人の側に戻った。窓から部屋の奥を覗き込むと、妙な気配がした。部屋の奥には乱雑に封じられた扉のようなものがある。
「……感染者がいるな。いつから?」
染谷の問いに、少女は今にも泣きそうな顔をした。「べつに責めてるわけじゃない」と落ち着いた声で諭したが、少女はついに泣き出してしまった。
「2週間くらい前。お父さんが感染して暴れ始めて。2人であの部屋に閉じ込めた。お母さんはどこに行っちゃったのかわかんない。このまま待ち続ければお父さんも襲ってこなくなるかなって思ったけど、見捨てられなくて……食べ物をあげてて……いつかこの世界が元に戻った時、助けてあげられるんじゃないかって考えたら殺せないの。でも誰も助けになんか来ないし、世の中はどんどん悪い方に行ってる感じがして、もうどうしたらいいのかわかんない」
しゃくりあげる少女の背後。封じられた扉の向こうから、呻き声が聞こえる。前来た時は雨音で気が付かなかった。餓死するのを待つだけとはいえ、子供に親を殺させるのはあまりにも残酷すぎる話だった。
「お兄さん。ぼくはもう無理だと思う。こんなの、あまりにも危なすぎるよ。お姉ちゃんの気持ちもわかるけど、どこかではっきりしなきゃいけないんだと思う。お父さんが前に言ってた。前へ進むには、時には諦めることも重要だって」
弟が言った。その顔つきは10歳の少年にしてはあまりにも大人びていた。
「よし。もうひと仕事だ」
染谷は2人を浴室に入れ、鍵を閉めさせた。土足で家に上がり、バリケードの張られたドアの前で準備をする。家の中からバットを見つけ、リュックから太いロープを取り出した。
なるべく血液が飛び散らない方法でやりたかった。悲惨な現場を見せたくないというのもあるが、血液から感染してしまうことは避けなければならない。
バリケードを壊すと、そこには変わり果てた父親の姿があった。ドアには小さい穴が開いており、そこから食べ物を与えていたことが窺えた。
「すみませんねお父さん。今からあなたに手を掛けます」
こちらを警戒してはいるものの、やはり刺激さえしなければ染谷には襲って来ない。しかしあの姉弟は非感染者だ。こんなのがバリケードを破って出てきたらひとたまりもない。閉じ込められたのは奇跡だ。
――俺は地獄に落ちるんだろうな。
父親は背が高かったが、やせ細っていてそこまで苦戦せずに済みそうだった。感染者を――人間を殺すのはなにも初めてというわけではない。染谷は父親が後ろを向いた隙をついて、後頭部をバットで思い切り殴った。父親がふらつき、床へ倒れかけたところにすかさずロープを掛けると、力の限りギリギリと首を絞めた。永遠のように長く感じる作業だった。頭の血管が切れるのではないかと思うほどに全力で締め上げた。もう後戻りはできないからだ。
やがて父親は動かなくなった。染谷は死んだ大の男を引きずって外へ運び出すと、近くの雑草が生い茂る空き地に死体を隠した。念のため室内を掃除し、父親がいた部屋は再び封じて、姉弟を浴室から解放してやった。相変わらず少女は泣いていたが、大した言葉もかけてやれなかった。
「今度こそお別れだな。他の生存者の情報を得たり、物資が手に入ったらまた来る。でも夏場は無理かも。夏は身体を覆えないから。……まあ、強く生きろよ」
親を失ったばかりの子供2人を残して立ち去るのは気が引けたが、一緒に住んでやることはできない。他に信頼できそうな生存者やシェルターが近くにあれば良いのだが、それがわからない以上やみくもに連れまわすこともできない。風の噂ではあるが、バリケードで覆われた街があるとか、孤島にシェルターがあるとか、そんな話は聞いている。ひとまずこの家に置いておいて、信頼できる情報が手に入ったら連れ出そうかと考えていた。
色々考えながら歩いていると、潮の香りがしてきた。いつの間にか港まで歩いてきていたようだった。
「横になりたい」
染谷は船着き場にあった漁船に適当に乗り込むと、リュックを枕代りにして床に寝転がった。
「少し休んだら、釣りでもするか」
そんなことを冗談交じりにつぶやきながら、まだ少し震えの残る両手を握りしめ、瞼を閉じた。余程疲れていたのか、久しぶりに深く眠ってしまった。
「おいこら。生きてるのか?」
数時間後、頭を小突かれ目を覚ますと、知らない男が枕元に立っていた。
「こんなところで寝るな。風邪をひく」
歳は近そうだが、ずんぐりとした大きな男だった。これはまたもうひと騒動ありそうだなと染谷は小さくため息をついた。しかしその顔はどこか穏やかなのだった。
おしまい。
最後までお読みいただき本当にありがとうございました。
ひとまずここで終わりになります。続きを書くかどうか未定なのですが、もし……もしまた書くことがありましたら、その時はよろしくお願いいたします。とりあえず染谷には休んでもらいましょう。




