第3話
もう何日経っただろうか。
いくら証言しても、私を解放してくれることなどない。証拠がないと言われても、私が作ったという証拠もないじゃないか。
冷たい床の温度が足の裏に当たり、すっかり荒れてしまった髪を撫でた。無機質な部屋で硬いベッドに腰かけ、小さな窓から外を眺める日々。
思い返せば、不思議な点はそこらじゅうにあったのだ。
それから目を逸らしていた私が悪いのか。
ふと、その時牢の前に立った人物へ目を向けた。
「……カイト。」
私が彼の名を呼ぶと、彼は不機嫌そうに顔を顰めた。
「何をしているんだ。」
いつもと同じ淡々とした声は、私を責めているようで言葉に詰まる。
何をしていると言われても、私も半分以上、理解できていない。
「……私は、何も、してない。」
私は、ここ数日繰り返した言葉を口にしていた。
彼なら信じてくれる。
証拠は無いけれど、ずっと一緒にいたのだ。
私がそんなことをしないと、一番分かってくれるのは彼である。そう信じて疑わなかった。
彼の冷たい視線を見るまで。
明かりのない牢の格子越しに見えた彼は、鋭い深緑色を細め、疑わしいというようにじっと私を見ていた。
瞬間、理解した。
私は彼にとって既に価値のない人物であると。
「……どうして?なんで、信じてくれないの……っ!?」
静かな空間に私の声だけが響く。
カイトは、そんな私を冷たく見下ろしながら言い放つ。
「大人しくしていろ。」
冷たい言葉にはなんの感情も感じられなかった。
カイトは私にそれだけ言い残すと、くるりと背を向けた。
出入口に見えたオレンジ色の瞳が光り、私は牢の床に崩れ落ちた。
──ああ、やっぱりあの人だ。
私が魔法薬のレシピを書いていたノートを知っているのも、いつも使っていたペンがカイトからの贈り物であることも。
犯人は知っていると気付いていた。
あの日、薬草が入ったボウルを眺めていた時。
──『あら、零しちゃったの?』
私はそこから離れた場所にいたのに。
──『気にしすぎだよ。』
なんだか研究を妨害されている気がすると漏らした時も。話をする前にそう言った。
きっとカイトに相談していても、結果は変わらなかっただろう。
ああ、私は負けたのだ。
悔しい。
今になって理解してしまえる頭脳が、はっきりと覚えているあの人の表情が。
これだけ確信しているのに、何一つ証拠がない。
悔しい、悔しい、悔しい。
掻きむしった喉から赤い液体が滲む。
爪の間に挟まった自身の欠片を見ても、もう何も感じなかった。
どれくらいそうしていたのだろう。
冷たい床から這い上がり、食事だと持ってこられた全てを生活魔法で消した。
もう私には生きる気力などなかった。
何度目かの作業で、とうとう体が動かなくなった。硬いベッドに横になったまま、思考を巡らせる。
このまま好きにさせてはあげないと、最後の力を振り絞って起き上がった。
硬いベッドからベッドシーツを剥ぎ取り、牢の格子に中が見えないように括り付けた。
むき出しになったフレームが木で出来ていて助かった。
「ごめんね、……ありがとう。」
そう言って植物魔法を展開する。
私が生み出した魔法は、植物の成長を促してその体を分けてもらうものだ。生活魔法と同じく、弱い魔法でしかない。
あまり需要はないと言われていたが、私は便利だからとよく使っていたことを思い出す。
手のひらに残った木片を握りしめる。
既に酷い動悸がしている。
いつも使っていた魔法でさえ、もう呼吸が乱れる程に辛い作業となってしまった。
薄く硬いマットレスに、息を荒らげながら横たわる。
「……ハッ、おと、うさま……お、かあさ、ま。ごめん、なさ……。」
最後に一言だけ、そう呟いて固く握った木片に魔法をかけた。
胸を貫く鋭い痛みに、口内に苦い鉄の味が広がった。それでもこの絶望が終わるのならばと、歯を食いしばって耐えた。
だんだんと全身が痺れ、血が流れていく。
体の右半分が赤く濡れているが、もうその感覚はない。
ああこれで終わりだ。
そう思うと同時に凍えるような寒さに包まれる。
目が霞み、遠くなっていく意識の中、私を信じてくれない彼と、私を貶めたあの人へ呪詛を吐いた。
どうか、私を貶めたことを後悔しますように。
あわよくば、私の恨みの分まで、あの人が不幸でありますように。
浅い呼吸を繰り返し、痛みすらも感じない私は、最後の最後までそう願っていた。
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眩しい光を感じて目を開ける。
白い天井が見え、なんだか覚えのある香りと手触りに首を傾げた。
ハッとした私は勢いよく起き上がり、状況を確認するために周りを見渡した。
落ち着いた雰囲気の緑を基調とした部屋。
白い家具やオシャレな照明が、ここが何処かを教えてくれる。
「……私の、部屋……?」
少しだけ上擦った声で呟けば、顔を上げた先に見えた鏡の向こうで自分が首を傾げていた。
銀の髪は胸元くらいの位置で綺麗に整えられ、不思議そうに紫の瞳をぱちぱちとさせる。
──10歳程の少女。
あれは夢だろうか。
立ち上がり鏡に近づくと、寝巻きの隙間からちらりと見えた何かに、目を見開いた。
胸元の服を引き下げ、見えた鎖骨の下あたり。
引き攣ったような“刃物で割いたような痕”。
私があの牢で刺した位置に残る大きな傷痕。
思わず尻もちをついた私は、大きな音がしたことで駆けつけた両親に抱き起こされた。
呆然としている私を心配そうに覗き込む、優しい両親。
最後の最後に会いたかったその顔に、じわじわと視界が歪んだ。
「大丈夫?」
「どうした?エリシア?」
優しく問いかける暖かな温もりに、理由は分からないが、生きて帰ったのだと安堵の息を漏らした。