レナ・グレーシル 第4話
カイトに追い出され、行く宛も無くなったわたしは、森をさまよっていた。
持たされたトランクは、重くて持ち運ぶことは難しく、早々に投げ捨てた。
薄暗くじめっとした空気が顔に纏わりつき、煩わしさを感じる。それでも、少しでも休める所へ行かなければ、いつ魔物に襲われるか分からなかった。
わたしも少しなら対処出来るが、体力は出来るだけ温存したい。それに、あんな醜い生き物を、視界に入れるなんて不快だった。
どれくらい歩いただろうか。
もうヒールは両足とも折れ、綺麗に整えてもらっていたドレスは泥だらけ。髪もベタベタと引っ付き、汗をかいた身体は薄汚れていて、まるで浮浪者のようだ。
とにかく休みたい。
しかし、森を抜けることが先だった。
もう暫く歩くと、木々の隙間から爽やかな風が通り過ぎた。顔を上げると眩い光が見え、森の終わりがわかった。
「……やった、やっと。」
そう言って歩みを進める。
そうして見えた景色にわたしは絶句した。
「……う、そ……。」
目の前に広がるだだっ広い草原。
どこまで続くか分からない広大な平野には、馬車の轍の跡がうっすらとだけ残っており、人通りのなさを感じた。
こんな何も無いところで生きていけない。
もう既に身も心もボロボロだ。
近くにあった木に寄りかかり、曇り空を眺める。
パラパラと降り出した雨に、こんな時に、と舌打ちをした。
私はどこから間違えたのだろう。
エリシアを憎んだ時か?
それとも、カイトを好いた時か?
朦朧とする頭でぼんやりと考える。
頬を伝う雫が自身のものか、天からのものか、何も分からない。
呆然としていたその時。
わたしの目の前に眩しい光が近づいてきた。
一台の高級そうな馬車が目の前に停まった。
こんな所に似つかわしくない見た目に、私の目の前が明るくなった。
「……おや。大丈夫かい?」
馬車のドアが開き、声を掛けてきてくれたのは、フードを深く被った男性。
顔は見えないが、声からして若い男だろう。
かろうじて見える口元から、整った顔立ちだろうことが分かった。
「立てるかい?」
心配そうな声とは裏腹に、わたしへ手を差し伸べる気は無いらしい。わたしは今汚れているし、仕方ない。
「……行く宛がないのかい?」
私の格好から察したのか、そう問われて小さく頷いた。
「……そうか。……エリオット。」
「承知しました。」
貴族らしき男は馬車の向かいに呼びかけると、騎士の格好をした男が出てくる。彼は淡々と、職務だから、というようにわたしを馬車へ乗せ、すぐ横へ腰を下ろした。
「……ありがとう、ございます。」
「ん?……ああ、僕も目的があったからいいよ。」
先程よりもワントーン下がった声は、なんだか聞き覚えがある気がして、胸がザワザワとする。
フードでこちらが見えないはずなのに、見られているような気がして視線を落とした。
そして、ふと、どこに行くのか伝えていないことを思い出す。
「……あ、あの。どこに、行くのでしょうか?」
そう尋ねるも返事は無い。
騎士はもちろん職務中のため口を挟まない。主であろう彼も、腕を組みながら窓の外を眺めている。
なぜ何も答えてくれないのだろう。
なぜこの人たちはここを通り掛かったのだろう。
……偶然?こんな何も無いところを……?
だらだらと嫌な予感に冷や汗が止まらない。
耳元で自身の鼓動が大きく聞こえ、ゾワゾワと怖気が身体中を駆け巡る。
キキッ、と車輪の止まる音と共に馬車が揺れた。
「……ついた。エリオット、そいつを連れてこい。」
「はっ。」
彼の言葉に短く返事をした騎士は、素早くわたしを拘束し猿轡を嵌めた。
わたしは必死に抵抗したが、手枷は魔力封じらしい。魔力量が多くないわたしは、何一つ魔法が使えなくなった。
それならばと声を出そうとするが、くぐもった声は響かない。暴れる体をがっちりと固められ、担がれる。歩くたびに振動が伝わり、気持ち悪さに視界が滲んだ。
息苦しさに呻いていると、こぢんまりとした小屋へ連れてこられた。
床に転がされ、寒さと恐怖で震えが止まらない。
ジリジリと座ったまま後ずさり、壁に背中がとん、と触れた。
わたしは今から何をされるのだろうか。
辱められるのだろうか。
男が女を攫うというのは、そういうことであると知っていた。
よく良く考えれば、彼ほどの身なりの人物が、薄汚れた浮浪者のような女を相手にするわけが無い。
そんな当たり前のことにも気付かずに。
猿轡が外される。
これでも乙女だったわたしは、貞操の危機を感じて叫んだ。
「何をする気っ!?」
「……君を買わせてもらったよ。」
「……い、いや。……わたしに指一本でも触れてみなさい。お父様とお母様に言うわ。」
すると、目の前の椅子に座った男は、ぷっ、と吹き出した。
「あはは、何言ってんの?お前。僕が君を抱く?触れる?有り得ない。気持ち悪い妄想しないでくれるかな。」
不機嫌そうにそう言いながら、フードを外した男に目を見開いた。
「僕が触れるのは、唯一愛するエリシアのみだよ。」
怪しげに青い瞳を細め無邪気に笑う彼に、あの時と同じように声が出なくなった。
「……さぁ、僕が地獄を見せてあげるよ。」