レナ・グレーシル 第2話
こっそりと生垣の隙間から覗き込み、楽しげな声に顔を顰めた。
彼女ほどではなかったが、わたしも魔法は得意だったのだ。
子供に戻ったとはいえ、知識はなくならない。
屋敷から抜け出すのも、ウッドバーン家の屋敷に誰にもばれずに近づくのも、警戒されていなければ容易いこと。
少し遠目に見える、銀髪の少女。木に登り、ニコニコと笑っているエリシアに嫌悪する。
なぜだか、時が戻っていると知ったわたしは、エリシアについて調べた。
どうやら、彼女はまだ周囲から特別視されていない。
そして、彼女も自分の特異性に気付いていない。
彼女がわたしと同じく記憶があったらと思ったが、そのようなことはないと分かった。
お茶会で見かけても、カイトの話をしても、特に変わった様子を見せなかったから。
今なら。
わたしでも気づかれることなく、彼女を表舞台から消せる。
木に登り、楽しそうにする彼女に向けて、魔法を放った。
ほんのちょっと操作に集中が必要だが、失敗なんてしない。
少しずつ彼女が座る木の枝にひびを入れていく。
彼女が開発した植物魔法は、普段は使えないが、弱い魔法のため使用しても痕跡を追うことは不可能。少し離れた距離のため魔力の消費が激しいが、これくらいならギリギリ大丈夫。
「えっ……?」
バキッ、という音と共に慌てる声が聞こえる。彼女が木から落ちる瞬間に、折れた木の枝を操作した。
悲鳴を上げながら落ちた少女は、尖った破片が刺さったのか、胸元を押さえて痛みに呻いている。
顔ではなかったことが残念だが、これで少しでも傷が残れば貴族令嬢として欠陥品。
劈くような悲鳴が聞こえ、バクバクとなる心臓を落ち着かせるように息をつく。大丈夫。
うまくいったことに安堵し、ばれる前にと騒がしい庭園に背を向けた。
後日、エリシアの両親から彼女が事故にあったと聞きだした。幼馴染だったわたしは、彼らに怪しまれることもなく話を聞けた。
心配そうな顔を作り、お見舞いにと言ったが、誰にも会いたくないと言っているそうだった。
ああ、今度こそうまくいく。
彼女が引きこもってからも、定期的にエリシアの周囲を探っていた。
12歳になった彼女は隣国の学園に行ったそうだ。
相変わらずの優秀さには腹が立つ。
けれども、自分からいなくなってくれた。
あと少し。
学園に入学してからは、前世の記憶から様々な発案を提唱した。
エリシアの知識を借りるようで不愉快だが、一から立証することはわたしには難しかった。
正真正銘、彼女は天才だから。
その時がきたのは15歳のとき。
婚約者の選定に時間がかかったようだが、結局選ばれたのはわたしだった。学園での成績が功を奏したのだ。
幼い頃から見なれた無表情なカイト。
彼の横に立つのがわたしの唯一の願いだった。
わたしは歓喜していた。
嬉しいと頬を染めると、カイトは穏やかに返事をしてくれる。
そう。
わたしが求めていたのはこれだ。
ドキドキと高鳴る胸を押えて、ふふ、と微笑んだ。
幸せだった。
だから───油断していた。
彼女が一時帰国をしていたことも、パーティに参加していることも、気づけたはずなのに……!
王宮で行われた夜会。パートナーであるカイトを伴って参加していた。
ほんの少し席を外して戻った時。
カイトが腕を掴んでいた銀髪に息を呑んだ。
戻る前と同じように美しく成長した彼女。
表情は抜け落ちているが、それすらも儚さを感じさせた。
なぜ、カイトはエリシアを掴んだ?
まさか、記憶が……?
ありえないことでは無いのだ。
なぜなら、自分はありえないことを事実経験していた。
まずい、まずい、まずい。
カイトは何を思い出したっ!?
……いや、まずは落ち着くべきだ。
過去の事とはいえ、あれは今のわたしの罪にはならない。
唯一したことといえば、幼いエリシアに怪我を負わせたこと。
しかし、あれは既に事故扱い。誰もわたしを疑ってなどいない。
焦る気持ちを落ち着かせるために、一度深呼吸をして表情を崩さないように意識する。今までしていたこと。もう、慣れている。
「カイト?」
呼びかければエリシアの視線も、エリシアの隣に立つ男の視線も感じる。先ほどチラッと見えた顔は端正で、柔和な雰囲気がカイトとは違う。
優雅な仕草から上級貴族であることは、すぐにみてとれた。
相変わらず取り入りるのが上手ね。
ムカムカとする気分を振り払って、戸惑ったように見渡した。
じっと冷めた目でわたしを見つめるエリシアは、おそらく記憶がある。いつからか知らないが、今はどうでもいい。
どうせ、記憶あったところで、わたしを罪に問うことは出来ないのだから。
それよりも、今はカイトの事だった。
食い入るようにエリシアを見つめている。わたしへ視線を向けないことから、戻った記憶はエリシアのことだけだろうか……?
「エリシア、お知り合い?」
エリシアの肩を抱き、優しく問いかける金髪の男。ゆるゆると首を振るエリシアは、怖がるように目を伏せた。
随分と利口になったのね。
彼女は、知らない人に腕を掴まれたくらいで怯える人じゃない。そんな事もできるようになったなんて、思わず仮面が崩れそうになるほど腹立たしい。
ほんの少し奥歯をかみ締めて、ふつふつと湧き上がる怒りを堪える。
───記憶があることだけは絶対に悟らせない。
エリシアはどうせ気付いてなどいない。
カイトはきっとそれどころでは無い。
けれど───先程ふと、かちりと澄んだ青と目が合った時。
エリシアの婚約者らしき男は、わたしの目を見るとなにかに納得したようにスッ、と、青い瞳を細めていた。
心配するようにカイトに顔を戻すが、金髪の男からの視線が痛い。周囲はわたしを見てなどいないのに、彼だけははっきりとわたしとカイト、2人を捉えている。
真っ直ぐに目を見るこの男は何を知っている?
つぅっと背中を伝う汗に、身震いするのを必死で堪える。手汗を隠すようにドレスの影で拳を握った。
肉食獣に睨まれた小動物の気分だ。
ここまでのプレッシャーを、わたしは感じたことがなかった。
緊張していたわたしは、喉が強ばったせいか、カイトに手を振り払われても何も言えなかった。