レナ・グレーシル 第1話
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鋭い鉄の塊が視界できらりと光り、わたしを切り裂いた。
痛みを感じる……!と強張る身体と反対に、わたしの意識はそこで途切れた。
はっとして目が覚める。
魘されていたようで、汗で濡れてしまった全身が気持ち悪い。
震える手を押さえて、頭を抱えた。
ふっ、と先ほどの夢がフラッシュバックして慌てて洗面台へ駆け込んだ。
胃液を吐き出して、荒い呼吸を整える。
……あれは、夢?
そう考えて、いやいやと首を振る。覚えている。あの冷たい緑色の瞳を。
思い出して、ひやりと背筋が凍る。ハッと首を押さえて安堵に息を吐いた。
わたしはずっと、笑いながら仄暗い感情を抱えていた。
応援をすると言いながら、目の前で笑う女を嫌悪していた。
賢いわりに善良な彼女を騙すことなど、自分には簡単だった。悪いこと?そんな訳ないでしょ。これは正当なわたしの権利。
彼女の悲痛な叫びを聞いたとき、思惑通りにいったと、つい笑みがこぼれてしまった。紫色の瞳は疑うことを知らなかった。目が合うとすべてを理解したのか、心底驚き呆然としているのが分かった。
わたしは高揚していた。
しかし、まだだ。
肩を落とす彼女の婚約者に、優しい言葉を掛けながら早くわたしへ落ちてくるように願っていた。
わたしが愛した彼は、言葉足らずだと知っている。わたしは彼を一番に理解している。
彼女への「大人しくしていろ」は“待っていろ”ということだ。きっと、彼女の無実を願って、証拠を集める気なのだろう。そうはさせないが。
彼女がどう受け取ったか知らないが、あの絶望に染まった顔からは正しく理解していないと思う。
やはり、彼のそばにはわたしが相応しい。
それからしばらく、騎士たちに事情を聴かれた。
わたしも彼も彼女の近しい人物として、いろいろな証言を求められた。
「わたしは信じている」「彼女はそんな人じゃない」そう答えた彼と、わたしへ憐れむような眼を向けられる。わたしは悲しい顔をしながらも、気分はふわふわと夢心地だった。
だからだろうか。気を抜いてしまった。
愛する彼を気遣いながら送り届け、しばらく自室に引きこもったわたしは、ふふふ、と堪えきれない笑いを零した。
「こんなうまくいくなんて……!あれが『天才』だなんて。笑っちゃう。ふふ、最高の気分っ……!」
鏡の前に立ち、目の前の女性に話しかける。気分よさげに笑っている鏡の中の自分は、オレンジ色の瞳を細めて嬉しそうにしていた。
「あいつがわたしのものを奪うのがいけないのよ。ここまで来るのにこんなに時間かかっちゃった。」
そっと手を伸ばして、鏡の中の自分の輪郭をなぞった。
「……はぁ。あとは、カイトをどうするか。証拠はもうないけど、どうやってあの女の仕業だと納得させるかね。」
「それはどういうことだ。」
鋭く響いた低い声に振り返る。
「え……な、なんで、ここに……?」
開いたドアから冷たく見下ろすカイトは、怒りを含んだ視線でわたしを睨んでいる。
「声はかけた。……で?俺に気付かないほど、何に悩んでいる?」
「え、い、いや。なんでもない──」
「証拠がないとは?納得させるとは?……自分の物とは?」
凍えるように冷え切った部屋に沈黙が落ちる。
聞かれていた……!よりにもよってカイトに。
失態だ。
「なぜ、エリシアを裏切った!?彼女が何をした!?」
今まで聞いたことのないカイトの大声に固まる。
「答えろ!!」
足がすくむ。
喉の奥が狭まり、何も答えられない。ただ、カイトが欲しかっただけだった。わたしから彼を奪った彼女が許せなかった。
問い詰めるように叫んだカイトは、何も答えないわたしに痺れを切らしたのか、一歩下がった私の腕を乱暴に掴んだ。
「……もういい。お前には城の兵に証言をしてもらう。」
そうして強い力で押さえつけられ、必死に抵抗した。
初めて彼が怖かった。それと同時に、まだ彼女が好きなのかと醜い嫉妬に駆られた。
「……っ!なにがっ!なにが、悪いのよ!!もともとカイトの婚約者はわたしの予定だったじゃない!!……わたしは奪われたものを取り返そうとしただけ。何が悪いの?」
わたしよりも多くを持っていた。
天才的な頭脳も恵まれた容姿も、人を惹きつけてやまない明るい性格も。下位貴族出身と本人は気にしていたが、それを指摘する者などいなかった。それほどに彼女は眩しくて愛される存在だった。
「たったひとつじゃない!?カイトが欲しいと願って何が悪いの??」
真っ直ぐにカイトを見上げるが、わたしを睨む彼は眉間にしわを寄せ、だからなんだとでも言いたげだ。
すると、廊下の方からバタバタと音が聞こえ、学園で一緒に研究をしていた友人が慌てたように息を荒げた。
「レナっ!エリシアが……っ!」
それを聞いたカイトは、パッとわたしから手を離して友人の顔を脅すように掴んだ。
「ぅうっ……!」
呻いている彼女を気にすることもなく、カイトは冷たく問いかけた。
「エリシアがなんだ?」
高位貴族である彼を止められるものはなく、使用人たちもあまりの覇気に言葉がでないようだ。
「ぐぅ……!エ、エリシアっ、が……ぅ、城の、ろぅで、胸を刺し、て自害、を……――」
そこまで言うと、何となくわかったのかカイトは手を離した。その衝撃で友人は倒れこみ、げほげほとせき込む。
カイトの体はゆらりと揺れると、ゆっくりとわたしを振り返った。
カイトの瞳が揺れ、溢れ出たものがぽたぽたと床に落ちる。わたしは悔しさにギリ、と奥歯を噛んだ。
憎い。死してなお、彼の心を占める彼女が。
嫌いだ。大嫌いだっ。
「……ははっ。死んだの?……案外早かったわね。あは。わたしが悪いって?……あいつが死んだ理由、教えようか?……カイトが信じてるって言わなかったからよ?ほんの少しでも、信じなかったから。絶望しちゃったのね。かわいそうなエリシア。あは。……まだ、わたしのせいだと言う?とどめを刺したのは貴方なのに。」
震える喉から絞り出す。掠れそうになる声を必死に堪えて笑う。
「っ!お前っ……!」
カイトは腰につけた剣に手を掛けると、そのままわたしへ振り下ろした。
一瞬の出来事に訳も分からず、気が付けばわたしの体と頭は床に転がっていた。
カイトの泣き叫ぶ声と共に、わたしの視界は暗転した。
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顔を上げると、鏡の中で真っ青な顔で怯える少女と目が合った。
わたしがあんなことを……。
いや、でも。
わたしはあの状況になれば、同じことをすると妙な自信があった。
震える手のひらに視線を落とす。
体の内側は燃えるように熱いのに、抱きしめた身体は凍えるように冷たい。
……次は。次こそは完璧に。