第14話
婚約が調って穏やかな日々が流れていた。
18歳となった私は学園を卒業し、ルンブレンス王国に一度帰ってきていた。
婚約が調ったことで、寂しいが応援していると両親にうるうると見つめられ、私もついポロポロと泣いてしまった。
少し寂しいのは私もなのだ。
そんな両親から、着飾ったエリシアが見たいと言われ、断れるわけが無い。
たまたま本日王宮で夜会があり、それに参加するために、首元まで隠れるドレスを着ている。
これは私のためにと、ユリウスが用意したものだった。両親の為に着ると説明した時、一番に見たかったと拗ねたように言われ、機嫌をとるのが大変だった。
「綺麗よ。ね、あなた。」
「ああ。そうだな。」
そんな両親の会話に恥ずかしくて、小さく「ありがとう」と呟いて会場に足を踏み入れた。
知り合いに挨拶に行くと言う両親を見送り、壁際にそっと立つ。
キラキラと輝くシャンデリア。
淡い黄色の光でユリウスの髪を思い出して、会いたくなった。
まだ始まったばかりだ。気合いを入れなくては。
そう思い直して会場を見回した時だった。
後ろから腕を掴まれ、何事だと振り向いた。
咄嗟に振り払った手は、かつて私を見捨てたカイトだった。
なぜ?
今回、私は彼とほとんど関わりがない。
それなのに、なぜ彼は後ろ姿しか見ていない私の腕を掴んだのだ。
──彼も、記憶があるのか?
そう思った私は、胸の内側を這い回る嫌悪感を払って、掴まれた腕を擦りながらじっと見上げた。
「……どなたでしょうか?」
貴方なんて知らない。
そんな思いを込めてぼんやりと見上げる。
カイトは息を呑んで目を見開いた。
「……エリシア。」
彼の声に不快に思い、眉を顰める。
すると私の後ろから、引き寄せるように腕が伸びてきた。いつもの温かな匂いに頬が緩む。
「……僕の婚約者になにか?」
ユリウスは、今回アルメリア王国の外交官の代理として、この夜会に参加していた。
私の両親へ挨拶に来るついでに、彼は彼の両親から「参加してこい」と招待状を受け取っていた。だからこそ、私が本日参加するのを許してくれたのだが。
ユリウスの鋭い声にカイトは呆然としている。その横から弾んだように、彼の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「カイト?」
オレンジ色の瞳をカイトへ向けた人物は、何があったのかと言うようにキョロキョロとする。
カイトの幼なじみで、前世友人だった──レナ。
前世、レナ・グレーシルは、元々カイトの婚約者候補だった。しかし、そこに私が現れた。
申し訳なくて、私が彼女に謝ると「2人が幸せなら嬉しい」と言ってくれていた。
私はそれを信じていた。
あの日、牢の中で彼女の嘲るような笑みを見るまでは。
じっと彼女を見つめる。
困惑している様子から、彼女は何も知らないのだと理解した。
どうせ今世で罪に問うことは出来ない。確かに恨んでいたが、今の幸せを奪われたくない。その気持ちの方が強かった。
もう、彼らが私へ関わらなければ、なんでも良かった。
そう。
今世はちゃんと婚約者になったのね。
そう皮肉を込めてカイトにふっ、と鼻で笑った。
私の様子をじっと見ていたユリウスは、何となく理解したのか、ちら、とカイトを見ると首を傾げた。
「エリシア、お知り合い?」
心配した様子がないことから、彼は私がカイトを嫌悪していることを悟った、と理解した。
「いいえ、微塵も。」
ユリウスに縋るように彼の腕に手を添える。ゆるゆると首を振った私を、守るようにユリウスは抱き寄せる。
「え?なに?カイト?」
レナは困惑しながらもカイトへ手を伸ばす。しかし、彼はそんなレナの手を振り払い、私をじっと見ていた。
その縋るような緑の瞳が気持ち悪い。
貴方が先に捨てたくせに。
「エリシア、行こうか。」
カイトの視線を遮るように、ユリウスは体を滑り込ませて私に微笑んだ。
「エリシア!」
「僕の婚約者の名前を呼ばないで貰えるかな?エリシアは君を知らないと言った。誰だか知らないが、他人である君が僕の大切な人を呼ぶな。」
顔だけ振り返ったユリウスは、冷たく言い放つ。ユリウスの大きな体で抱きしめられ、私からカイトは見えないが、何も言えずに立ち竦んでいるだろうことは分かる。
「……でも、エリシアは……。」
これだけユリウスに注意されたにも関わらず、彼はまだ口を開く。とてもしつこい。
「……おい。何度言えば分かる?」
「ユリウス。大丈夫よ。」
とうとう堪えきれなくなったのだろう。
声を荒らげそうな雰囲気に、ユリウスへ声をかけた。そして一歩前に出るとカイトを見上げる。
「……どなたか存じませんが、貴方の愛した彼女は死んだのです。人違いです。」
ユリウスに支えられながら話す、私の言いたいことが分かったのか、カイトは膝から崩れ落ちた。
「カイト!?」
「……うるさい!お前のせいだ!」
駆け寄ったレナを睨みつけながら、怒声を上げるカイト。そんな彼に好奇の目が集まり、それらから隠すようにユリウスが私を引き寄せる。
「お前のせいで……俺は、俺はっ!」
気が狂ったように叫び出す彼を置いて、ユリウスとその場を離れた。
騒がしい会場から離れ、バルコニーへと足を踏み入れる。ユリウスに添えていた手が引かれ、ぽす、と頭を彼の胸に埋めるように撫でられる。
見上げると、心配そうに眉を下げるユリウスが映り、くすくすと笑う。
「大丈夫よ。……少しスッキリした、って言ったら酷いと思う?」
「思わない。僕が大事なのはエリシアだ。」
真剣に答えてくれるユリウスに安心する。
「ふふ、それならいいわ。」
彼の背中にそっと腕を回すと、優しい声で「愛してる」と言われる。
私はほんの少しだけ迷って口にする。
「私も。…………愛してる。」
いつもは言わない愛の言葉に、ユリウスは満足したように綺麗に微笑んだ。月明かりに照らされた彼の髪がキラキラとしていて、目が離せなかった。




