第1話
私が、何をしたというのだろう。
ただ、人々の役に立つ薬を開発していただけだ。
冷たい牢の中で、既に動きの鈍くなった体は横たわったまま、無気力に硬いベッドに沈んでいく。
既に酷い飢餓感は感じなくなり、自分はこれで終わりなのだと悟った。
『稀代の天才』と言われた私の最後がこんなだなんて、誰が想像していたのだろう。
かつて愛していた、冷たく見下ろす婚約者の緑色の瞳を思い出して、最後の力を振り絞り古いベッドボードへ手を伸ばした。
いつも当たり前のように使えていた魔法ですら、この弱った体ではろくに構築することが出来ない。
けれども、無様に殺されるくらいならと、私は一番得意だった植物魔法を展開させた。
古びた木材に「ありがとう」と呟き、体を分けてくれたことを感謝する。たったこれだけで息が上がってしまうが、私が無理をしたところで止める者などいない。
手元の木片を握りしめて、そっと胸元にあてた。
整った呼吸で最後の陣を展開させる。
胸に刺さる鋭い痛みに手が震え、温かい液体がじんわりと広がっていくのを感じた。生臭い鉄の匂いが充満し、手足の感覚すらもなくなり寒気がした。
遠くなる意識の中、昔は優しかった幼なじみであり、婚約者だった男へ呪詛を呟く。
どうか、彼が後悔する日が来ますように。
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エリシア・ウッドバーンは『稀代の天才』だ。
そう言われ始めたのはいつ頃だったのか、もう今となっては思い出せない。
私に与えられた頭脳という武器は、1を聞いたら10を理解した。
物心が着く頃には、大人の会話を理解していたし、屋敷の書庫にある本を読み尽くしていた。
そんな異常性を持った私を、両親は驚きながらも褒めたたえた。
本来なら、その時から国に報告すべきだっただろうが、親バカ気味であった両親にそんな助言をする者はいなかった。
私は元々明るく、天真爛漫な少女だった。
さらさらの銀髪を高い位置で括り、紫色の瞳はくるくると感情を写した。好奇心旺盛だった私は、どんどんと知識を吸収し、誰もが驚く発想を提案した。
10歳となる頃、私の異常性が明るみになり、戸惑う両親と共に国から出ることを禁じられた。
その代わりに、富んだ土地や財産が与えられ、子爵だった爵位が伯爵まで上げられた。
両親は悲しげな顔をしていた。
「ごめんね。」
そう言って私を抱きしめてくる父親は、いつもの男らしさなど感じられなかった。苦しげな両親の方が、幼い私よりも何故だか小さく見えた。
私は、眉を下げ少し震える両親を、そっと抱き締め返した。
私が12歳となる頃、幼なじみであるカイト・ベルマンとの婚約が決まった。
彼は紺色の髪に深緑の瞳と、落ち着いた色合いで大人っぽく、私としても満更ではなかった。政略ではあったが、昔から知っていたために嬉しく思っていた。
本来の身分では結ばれることのなかった縁。
大切にしようと思っていた。
なかなか人気者の彼は、元気に駆け回る私を眺め、眩しそうに微笑んでいたことは覚えている。
「エリシアは可愛らしいね。」
無表情ながらも、彼の精一杯の気持ちが嬉しかった。穏やかな声で告げられる彼の愛情は、妹に向けるようなものだったが、それで十分だった。
憧れのような感情ではあったが、私は確かに彼を愛していた。
侯爵家嫡男である彼と、元子爵家の私では釣り合わないと思った事も何度もあった。しかし、無口で不器用な彼を支えてあげたいと、幼心に思っていた。
13歳から入った学園生活は、ほとんどを研究に費やした。
貴族が多く通うこの学園では、様々な授業があり、より深く知りたい者の為に研究室があった。既に学園入学前に魔法の勉強が済んでいた私は、魔法薬というものに興味があった。
入学後、友人数人と見学に行った魔法薬研究室。
そこでは日々魔法薬の研究と改良が行われていた。人の手から生み出される、多くの民を救う薬たち。
「月に何度か、実際の研究者たちの話を聞きながら、魔法薬の研究をしているんだ。ここで作られた薬は国民の手に渡る。……安全を確認されてからだけどね。君たちもどう?してみない?」
ここで作られるものは、学生が作ったものだからと、安価な価格が設定されるらしい。
それで多くの人を救っている。
感銘を受けた私は、一も二もなく飛びついた。
勉学はもちろん、魔法も得意だった私は学園で首席をとり続け、次々と新しい魔法薬を開発していた。ここでも天才だと言われたが、そんなこと関係なく、友人たちと笑い合う時間が何より嬉しかった。
そんな順調な日々が崩れたのは、学園生活5年目に入った17歳の時だ。
初めはほんの少しの違和感だった。
研究室で薬の改良をしながら、片手間に食事を済ませていた。それを見ていた友人から、カイトに言い付けると言われ、渋々カフェテリアに移動をした。
面倒だからと自身のことを後回しにする私を、カイトは何かと気遣ってくれていた。だからこそ、冷たい物言いに口を尖らせはするものの、文句はなかった。
食事を終え、研究室の机に座ると違和感を覚えた。はっきりとしたものではなく、何となく首を傾げてしまうような些細なもの。
「……ねぇ、私の机、誰か座った?」
そこにいた友人や研究室の仲間に尋ねるが、顔を見合せて不思議そうな顔をするばかり。
「なにかあった?」
確証もない違和感に、問いかけてくる友人を見て「いや、なんでもないよ」と、返すことしか出来なかった。
それからもそんなことが続いた。
ある日は、席を外す前とノートの位置が変わっていた。
またある日、愛用していたペン先が潰れていた。
悲しく思うが、怒る程じゃない。
犯人探しはしないが、名乗り出てくれないか。甘い考えかもしれないが、されたこともほんのイタズラ程度。
だからこそ、不思議に思っていた。
犯人は何がしたいのだろう。
こんなことをして何になるのだろう。
──私は、この時にカイトに相談しなかったことを心底後悔した。