第48話 野良犬にでも食われてしまえ
「殺気です」
ヘレンの警告に俺は足を止めた。
「知ってる」
俺の目には俺だけに見える透明な『地図』が映っている。
中心にある白い丸が俺。すぐ近くにある青い丸がヘレンだ。青は俺に好意的な存在を意味している。
店を出て以来、ずっと『地図』には俺たちにつかず離れず赤い丸が表示されていた。
赤い丸は俺に敵対的な人間だ。
俺はヘレンを背中から降ろした。
「やっぱり起きてたか。どうせケイトリンから何か変なことを言われたんだろ?」
「その」と、ヘレンは少しもじもじとした。「男は隙がある女を好むから酔い潰れて寝てしまうぐらいの真似をしろと」
「うん」と俺は頷いた。「演戯下手すぎ」
ヘレンは、ひどい衝撃を受けた様な顔をした。
「あの婆さんには後でよく言って聞かせないといけないな」
実際のところケイトリンの年齢は知らないがギルドマスターを務めるほどのエルフなのだから俺より若いってことはないだろう。婆さん呼ばわりで充分だ。
俺とヘレンがそんな馬鹿なやり取りをしていると立ち止まったきり近づいて来ない俺たちに焦れたのか相手のほうから姿を現した。
前方の道の真ん中に男が立っていた。
杖を持ちローブを着ていることから如何にも何らかの魔法職であるように見受けられた。
もちろん偽装の可能性もあるので見かけだけで思い込むような真似はしない。
「『骨折り』とかいう【支援魔法士】はお前か?」
男は俺に訊いて来た。角がある訊き方だ。
ということは俺に用事なのだろう。あいにく、こちらに用はなかった。突然、殺気を向けてくるような相手と御近づきになるつもりはさらさらない。
ヘレンが俺を庇うように俺の前に立った。
どっしりとしたヘレンのデカイ背中には安心感がある。
俺がヘレンに退くように言う前に「前衛ですから」と、ヘレンは言い切った。
敵を前にした【馬鹿力士】の立ち位置はそこが正解なのだろう。
俺たちと男の距離は二十メートルほどだ。
「ギルドの受付の大女だな。『骨折り』の専属だと聞いた。やはり貴様が『骨折り』か」
俺は答えない。
ヘレンの顔を知っているということは探索者か?
とはいえ、俺の二つ名を知っていて顔まで知らないのは最近顔を出していない人間だ。
「知ってる顔?」
「元Bランク探索者で領主に雇われたスニードルさんです。凄腕の【攻撃魔法士】です」
ヘレンは囁いた。
「ハンドリーの先輩が俺に何の用だ?」
俺はスニードルに問いかけた。
「領主からの誘いを断ったそうだな。大方、値段を吊り上げようというつもりだろうがCランク如きが誘われただけでも光栄と思え」
なるほど。
「領主に俺を痛めつけろと言われたか? それとも誘いにすぐ飛びついた自分が悔しくなったか? 上も下も馬鹿しかいない組織なら断った俺が正解だな」
スニードルはさらに怒りを俺に向けた。
遮るようにヘレンが俺を背に庇った。
スニードルは蔑んだ視線をヘレンに向けた。
「行き遅れが股を開いて引き留めたか。貴重な担当探索者を逃がしたくないものな」
こいつっ!
ヘレンは体の横にパーにした右手を出して俺を制止した。
「恥辱は自分で晴らします」
ヘレンが俺に背を向けたまま四股を踏んだ。まず右足をあげて落し、次いで左足を上げて落した。
スカートの脇がミチミチと音を立てて裂けて開いた。
中に短いペチパンツが履かれていたのでパンツは見えない。
俺にもヘレンにも武器はない。
さらには酔っ払いだとスニードルは思っているはずである。
スニードルが後衛職にもかかわらず人前に体を晒してきたのは自分の詠唱の速さに自信があるだけではないだろう。
ずっと俺たちをつけてきていたのだから、これまでどこに何時間いたかもわかっているはずだ。素手の酔っ払いなど元Bランク探索者の敵ではない。
本来は。
「これからしっぽりするところを邪魔して悪かったな」
つくづく品のない奴だ。
「黙れ」
俺はスニードルに言い放った。
スニードルが、もごもご、うーうーと口を動かした。魔法を詠唱する気だろう。
その瞬間には摺り足からの縮地でヘレンがスニードルの目の前に立っていた。
振り下ろし気味に右手を突っ張る。
スニードルはヘレンの素早さに目を見開いたまま顎を砕かれて吹き飛んだ。
二転三転して地面に横たわった。
後衛職の身で前衛職の渾身の張り手に耐えられるわけもない。
とはいえ、仮にも元Bランク探索者なのだから死んではないだろう。意識を刈り取られただけだ。
俺が『沈黙』で魔法を封じなくてもヘレンの速さだけで問題なかった。
そもそもの話、どんな状況であれ後衛職が一人で前面に立つのが間違っている。(ただし自分のことは棚に上げるものとする)
「どんなもんです?」
ヘレンが俺を振り向いてドヤと笑った。
ふふん、と鼻の穴が広がっていた。
眼鏡がきらりと光を放つ。
「まだ現役で行けるんじゃないの? 足は?」
ヘレンに近づきながら俺は問いかけた。
「そういえば問題ありませんでした」
ヘレンは何度か右足を曲げたり伸ばしたり両足で屈伸したりして、
「あれ?」
すとんとその場にへたり込んだ。
「立てません」
見上げてそう言う顔が真っ赤だ。一気に酔いが回ったらしい。
俺はヘレンに背中を向けると腰を落とした。
「おんぶで送ろうか?」
「お願いします」
よいしょ、と、ヘレンは俺におぶさった。
俺は立ちあがる。
ギルドの女子寮に向けて歩きだした。
スニードルはその場に打ち捨てたままである。野良犬にでも食われてしまえ。
ところでヘレン、今度は演戯じゃないだろうな?




