1-9
港に停まった二隻の船のうち、いつもの交易船からは誰も降りて来なかった。代わりに見慣れぬ船の方からぞろぞろと人間が降りて来る。全員が軍服を身に着け背中に銃を背負っていた。
桟橋に立った先頭の男は、ベンチから立ち上がったユギル達をはっきり視界に収め、他の軍人を引き連れながら歩いて来て、ある程度の距離を置いて立ち止まる。引き連れた軍人の中で一人、小さく悲鳴を上げた後、先頭の軍人に耳打ちする者がいた。
先頭の軍人は目を瞬いて少女をチラリと見、軽く頷く。そして、ユギルを真っすぐ見てこう言った。
「我々はサザンド連邦海軍南方部隊である。今回セルトニア国で異常事態発生の報を受け調査と対応を任された。君がセルトニア現地住人で相違ないか?」
「……まあ一応」
ユギルが答えた。
(耳打ちした奴はシャーマンだな)
耳打ちした男は少女精霊のマナの濃さがはっきり分かるようで、おっかなびっくり少女を見ていた。
先頭の男は平然と話を進める。
「今ここにいるのは君達子供だけか? 他の人々は皆建物内に? 何があった?」
「待ってくれ。異常事態発生の報って? 誰かが連絡したのか? なんでこんな早くセルトニアに来れる?」
ユギルは質問に質問で返した。そうせずにはいられなかった。
大陸の蒸気船でもヨードヴォーからセルトニアまで三日半くらいかかる。また交易船はいつも四~五時間程の滞在でさっさと帰るか、別の国に向かう。
仮に五日前の交易船が異常に巻き込まれた後逃げ延びる、もしくは巻き込まれはせずとも遠目で島の異変に気付いたとする。すると交易船がヨードヴォーに着いてから、湾岸都市ヨードヴォーを擁するサザンド連邦に連絡が行き、それから軍船が出航する筈である。
要は軍船が来るのが早過ぎるのだ。ユギル達は今日予定通り来る交易船に救援を求める気でいた。勿論孤島であるセルトニアに遠く離れた連邦に速やかに連絡を寄越す方法などない。
誰がいつ救援を呼んだのか?何日も先んじて異常に気付いた人間が、海を渡って救援を求めたと言うのか。何故その話が国で広まっていないのか。またそれほど早く異常が分かっていたのなら、何故いつもの交易船もやって来たのか。
ユギルは金の眼で真っすぐ軍人達を捉えながら、いつでも動き出せるように足に力を込めていた。
先頭の軍人は一瞬目線を右にずらした後、こう言った。
「……詳しくは我々も聞かされていない。先に何があったか答えて欲しい」
(嘘くせー)
そう思ったユギルは半目になったが、否定する程の材料もない。
「ユギル、このままじゃ埒が明かねえ。連邦は同盟国だろ?」
ユギルの頭の上のエドウィンが、そう言って真下の青い髪をくしゃくしゃと撫ぜた。いきなり人語を喋った精霊に目の前の軍人は目を剥いたが、一瞬で落ち着きを取り戻す。
「我々は、セルトニア国に危害を加えに来たのではない。そこは保証しよう」
たかだか小国の子供一人に真摯に答える軍人に、ユギルが目を瞬いた。
「……五日前の、夜なんだけど」
口を開いたユギルは、足の力を少し緩めた。
そして一時間後、ユギル達はまとめて牢屋に入れられていた。
「おかしくないか?」
「そうかしら?」
巨大な軍船の下層、壁と天井と床に金属の板が打ち付けられた牢屋である。一面の壁だけ金網が二重になっている。金網の端にはいかにも頑丈そうな扉が付いていた。金網の外はテーブルセットのある小部屋になっており、奥の扉から廊下に続いていた。扉の横の椅子に見張りの兵が座っている。
牢屋の中には簡易ベッドが二つと仕切り付のトイレがあり、床に置かれた盆には堅パンと干し肉、瓶詰の水が数日分。それとコップが二つ乗っている。食料品はユギル達が檻に入れられると共に差し入れられた物だった。また、牢屋内の壁からは拘束用の鎖と枷が垂れ下がっているが、今は使われていなかった。
あの軍人は相槌を打ちながら神妙に話を聞いた後、意味不明な状況に放り込まれたユギル達をねぎらい、島に何か潜んでいるかもしれないから船で休息を取った上でまた詳しい話を聞かせて欲しい、と言ってきた。話し終わる頃にはすっかり足の力を抜いていたユギルが了承し、そして案内されたのがこの牢屋である。
ユギルは簡易ベッドで寝そべりながら不貞腐れていた。エドウィンもその横で引っくり返っている。同じ檻の中、もう一台のベッドに座った少女が軽く笑う。
「私が軍人でも取り敢えず捕まえておくわ。容疑者かはどうでもいいけど」
「現地の民間人なんだが?」
「でもシャーマンでしょ?」
「? だからなんだよ」
「……」
首を傾げるユギルに、少女が何とも言えないような顔をした。その顔のまま少女は口を開く。
「あなた、体内マナを扱えるでしょう?」
「まあ、それなりに」
「じゃあ分かるでしょ?」
「何が?」
「何がって……」
立ち上がり上から覗き込んできた少女の意図を、ユギルは汲み取れなかった。少女がかっくりと溜息をつくと、長い髪が前に流れてユギルの顔を擽った。
「シャーマンは体内のマナを凝縮して操る事で身体能力を引き上げるでしょう?」
「うん」
「一般人と比較して遥かに高い戦闘性能があるでしょう?」
「それはまあ、そうだな」
「……あなたさっき脚にマナを流していたでしょう? 急に攻撃されても避けられるように」
「うん。良く分かったな」
ユギルは先程、足に力を込めて立っていた。マナを脚部に多めに流して圧縮し、脚力を極端に引き上げていた。少女の言う通り戦闘時に備えるためである。
軍人達が銃口を向けて来た場合はその脚で離脱し、地の利を使って森に隠れる算段だった。結局は至極穏便かつ滑らかに閉じ込められたが。
「エドウィンを頭に乗せたユギルは見るからにシャーマンでしょ?」
「そうだな?」
ユギルもそのくらいは理解していた。逆に言えばそのくらいしか理解していなかった。
全くピンと来ていないユギルに少女が顔を近づけ語気を強める。
「何でここまで言って分からないの! 子供でも丸腰でも訓練されたシャーマンってだけで重武装した人間が歩いてるように見えるのよ。しかも契約精霊を使って何をするかも分からないでしょ? 重要参考人かつ危険因子なのだから捕まえておくしかないでしょう」
「えっ」
「何だって!?」
ユギルとエドウィンは目を見開き驚く。いかにも『そんな事思ってもみませんでした』という顔が二つ並んでいるのを見て、上から見つめる少女が顔を歪めた。
「……もしかして私がおかしいの? 千年経って色々変わったのかしら?」
「大陸の常識を俺達に聞かれてもな……」
ユギルやエドウィンとの感覚の差異に少女精霊は自分を疑ったが、その正否はユギルには分からなかった。
ここで指摘する者はいないが、今回連邦軍の拘束意図は少女精霊の考察通りである。ユギル、ひいてはセルトニア人の感覚は世の大多数の国とずれている。この差異はシャーマンの割合が極端に高い事と、戦争や内紛とは無縁な島国である事に起因する。
入れられた当人達は知識に欠ける為気にしてもいないが、使われている牢屋は正真正銘シャーマン専用の特製品である。
牢屋内部は特殊な合金で床から天井まで覆った上で、前面には同じ素材の金網を二重に配しているため破壊による脱出は困難である。
金網ではなく隙間の大きな鉄格子であれば、シャーマンが指先一本外に出すだけでその身から精霊を牢屋の外に放てるが、目の細かい金網では無理な話だった。不定形の精霊であればすり抜けてしまうが、それなりの割合の精霊には有効な造りである。
そもそも逃走の危険が濃い場合は枷を嵌められた上で薬を使われるため、一応ユギル達は先のやり取りである程度の信用を得ていると言えた。
なお、連邦海軍にとって誤算だったのは、強大なマナを持った精霊の少女が何故か契約相手でもないユギルにくっついて堂々と船に乗り込んで来た事である。
下手に刺激するべきではないとそのままスルーされたが、少女がいる分警戒レベルは上がり、船内にそれなりの数の軍人が残される原因となっていた。
「……これから俺達どうなるんだろうな」
鈍く光る天井をぼんやり見上げ、何にも知らないユギルが言った。
「さあね。そのサザンド連邦? に連れて行かれるのかしらね」
そう言いながら少女精霊はユギルのベッドに背を預け床に座った。その様子を見てエドウィンがはっとしたように身を起こした。
「そうだ嬢ちゃん、うっかりしてたぜ。なんか流れで一緒に捕まっちまってるけど、嬢ちゃんは元々関係ねえだろ? 俺達と一緒で良かったのか?」
問われた少女は振り返り、微笑んでエドウィンをつつく。
「良いわよ。あなた達が私を起こしたんだもの。また海を流れて行く先よりはあなた達の行き先の方が興味あるわ」
「……アンタの考え方、良く分かんねーな」
「そう?」
「そうだよ。嫌いじゃないけど」
不思議だ、とユギルは思った。
この少女精霊は精神を病んで海を流れて眠りに就いたのではなかったのか。起きてからはちょっと島を覗くだけかと思いきや、積極的にユギルと行動している。
島から人が消えるなんて不可思議な事が起こったとは言え、明らかな面倒事に関わる義理は少女にはない筈だった。
(元々人が好きなのかな。だから千年前、逆に疲れてしまった?)
そうユギルは考えて、少女を見やる。触れれば壊れそうな繊細な顔立ちが、考えの読めない不思議な笑みを湛えていた。
少女は右手でユギルを指さしながら言う。
「まあ、なんであれ。乗りかかった船だもの。あなたが死ぬまでは付き合ってあげる」
そのままおもむろに右手を伸ばし、ベッドに転がるユギルの胸部、心臓の上辺りに人差し指を置いた。
「ん?」
そしてそのまま、ずぶ、と指を沈めた。指先がユギルの体内に埋まり見えなくなる。
「は!?」
ユギルが慌てて身を起こそうとした瞬間、接触部が白く強い光を放った。可視化した高濃度のマナは帯状の光となって渦を巻き、膨大な量のマナがユギルの身に流れ込んできた。
ユギルの魂が目の前の精霊に侵食されている。小さなエドウィンの分しか契約されていなかった魂に、少女の巨大な精霊としての情報量が圧し掛かった。胸から全身に広がる強烈な圧迫感で心臓が嫌な音を立てる。
「お、重っ……!?」
「レディに向かって重いとか言わないでもらえる?」
「いや、重いな。滅茶苦茶重い」
「ふーーーん? 結構余裕じゃない?」
少女精霊が更に指をずぶり、と沈めた。
「あああああああああああ!?」
「おい、何をしている!?」
呆気に取られていた見張りの男が我に返り、立ち上がって叫んだ。男はそのままベルを勢いよく鳴らしたが、ユギルはそれに反応するどころではない。体が尋常でなく熱いのに冷や汗が吹き出ていた。あふれ出た光が金属の壁や天井で反射して眩しかった。
(精霊との魂の契約!!)
ユギルはそう察しても、抵抗出来る力はなかった。命そのものを目の前の精霊に握られている。白く細い指先一つに支配されていた。
エドウィンが感心したように声を上げる。
「おいおいこんな無茶な契約見た事ないぜ!? 同意なしで一方的に魂に干渉するなんて嬢ちゃんやるじゃねえか!」
「そう? ありがとう」
「何のんきに話してんだよ! 助けろよ!」
「俺様が嬢ちゃんを妨害出来ると思うのか?」
「思わないが!?」
エドウィンは非力、そんな事はユギルも分かっているがそれでも言わずにはいられないのだった。
「嬢ちゃんが契約してくれるんなら良い事じゃねえか。でもそうだな、このままじゃ嬢ちゃんのマナが大分溢れちまうぜ?」
エドウィンが渦を巻いて伸びるマナの光を見上げて言った。少女精霊の情報量、結晶化したマナの量は人間一人の魂で契約出来る範囲を遥かに超えている。
「それは大気に還すわ。本来そうすべきものだもの」
そう言いながら少女は自身の膨大なマナによって魂の支配権を奪ったままだ。本来ユギルがマナを緩めて調整して、初めて精霊に明け渡されるべき魂はマナの物量によりごり押しでこじ開けられ、尋常でない圧により同期が進んでいた。
ほんの少し、エドウィンが居座っているだけだったユギルの魂。その残り全てを少女がじりじりと埋めて行く。
「なんでごり押しで契約すんだよ! 同意を得ろ同意を!」
遺憾の意を表すユギルに少女は目を伏せた。
「断られたら嫌だもの……」
「断らねえよ!」
「でもユギル一度も『契約して欲しい』とか言ってこなかったでしょ? ずっと切羽詰まった状況なのに」
「言う訳ないだろ!」
人間がその魂の器を超えて、無理に精霊と契約しようとすれば魂が破裂し死ぬ。回避するには概ね二つ方法がある。一つは複数体の精霊と契約している場合、先に契約している精霊と合意の上契約を解消し新たに契約出来る分の容量を空ける方法。もう一つは精霊側が余剰のマナを削る、つまり自身を矮小化する方法であった。
無論わざわざ弱体化してまで人間と契約するケースは珍しい。しかも今回の場合、そもそもの少女のスケールが大き過ぎるのだ。上手く人間のフリをしてはいるが、ちゃんと鍛えたシャーマンが見れば直ぐに判る。契約しようと交渉する気すら起こらない。少女精霊はそんな存在だった。
「アンタ重すぎるんだよ!」
「レディに向かって重いとか言わないでもらえる?」
「あああああああああああ」
「程々にな、嬢ちゃん!」
警報が鳴り響く中、ドヤドヤと集まって来た船内の軍人達は、しかし牢屋内の異様な光景に手出し出来ずに成り行きを見ていた。
「これが、精霊との契約……?」
見ていた一人が呟いた。
光が収まる頃には、気絶したユギルの胸部に花の蕾のような痣が浮かんでいた。契約精霊の印である。