1-3
ボートを漕ぐユギルから話を聞いたエドウィンはふむ、と鋏脚を組んだ。
「ハッハー、なるほどねえ。でも別にユギルは留学したいってワケじゃないんだろ?」
「まあそうだけど」
ユギルは勉強するよりエドウィンと遊んだり海に潜ったり、武術の稽古をしたりする方が好きだった。
「つまりあれだ、今のお前に足りないのは人生のスパイス! いつもの日々に刺激とやりがいと生きがいを加える自己実現欲求の充足ってワケだ!」
エドウィンは大仰な仕草でビシリとユギルと指した。それと同時にカン、と乾いた音がエドウィンから立った。
「どうだ! 当たってるだろ?」
「いや違うと思う」
「そうかあ? でもそれってぇ、やっぱり思春期ならではの悩みのアレなんじゃないかしら?」
「アレってなんだよ」
「それはホラ……ねぇ~~~?」
声のトーンを上げてニヤつきながらエドウィンはくねくねと体を動かす。
「ウッザなんだその声キモ」
「おっなんだなんだ! 今度は反抗期か?」
冷めた目で見降ろすユギルに対しエドウィンは面白そうにぴょんぴょんと寄って来る。やはり大きく動く度にカンカンとエドウィンから乾いた音が立った所を、むんずとユギルが鷲掴んだ。持ち上げて巻貝の隙間から音の原因を確認する。
「キャー! エッチ!」
「うるせえ」
探ると隙間から丸い木片が出て来た。親指と人差し指で輪を作ったくらいの大きさの木片は上部に穴を開けて麻紐が通してあった。
「どうしたんだこれ」
「へっへ、マダムの一人がこの前の子守のお礼ってお守りをくれたんだよ。引っくり返してみな」
返すと見慣れたヤドカリの彫刻が彫ってあった。ユギルが最初に見ていた方が何も彫られていない裏面だったのである。
「へえ、すげーな。良かったじゃねえか」
ユギルが今までのやり取りを忘れて褒めるくらい出来が良い。セルトニア伝統の木彫りのお守りは、持ち主に似せた彫刻を掘る事で不幸の身代わりになってくれる物だ。本人にちゃんと似ている物ほど効果があると言われている。
商店街の婦人が贈ったそれは生き生きと愛嬌たっぷりにエドウィンが彫られていた。
「久々の細工だけど案外上手くできたって言われたぜ」
エドウィンはニコニコしながら巻貝の中にお守りを仕舞った。きっとユギルの部屋に置いてあるエドウィン用の宝箱に大事に仕舞われるのだろう、とユギルは思った。
エドウィンは小さい頃のユギルが作ってあげた名札だとか、迷子を助けた時貰った人形だとかを宝箱に仕舞っておいて、ちょくちょく取り出しては眺めるのが趣味だった。
「子守のお礼とは言われたけど、こんな良い物貰っちゃお返しがしたくなるんだよな! 何か持って行ける物はないか、相棒!」
小躍りするエドウィンを見てユギルは笑った。
「そんならまた子守を手伝ってやるのが良いんじゃないか? でもそうだな、一緒に揚げ菓子でも作って持って行くか」
「そいつは良いアイディアだ! ……お?」
エドウィンが跳んで喜んだ辺りで、海の下に影が出来た。
「うお、おおっと」
水面下で何かがボートを大きく揺らす。精霊の気配だ、とユギルもエドウィンも察したが、少し嫌な予感がした。
「おっおっ、おわあああ?」
「よっ……と」
更に大きく揺れるボートはユギルが櫂を捌いて引っくり返らずにすんだが、
「あっ」
大きな揺れと共にぼちゃ、と間抜けな水音を立ててエドウィンが海に落ちた。
海中でエドウィンは転落の原因を目にする。
「ん? お前ケガしてるじゃねえか」
ボートを揺らした精霊は甲羅に棘が生えたウミガメのような姿をしていたが、頭部に大きく傷が入り、血が流れるようにマナが漏れ出していた。消滅する程の傷でもないが、漏れ出たマナは海中を蛇行するように遠くまで伸びている。痛みに暴れながら海をのたうって来たようだった。
痛い、痛いと声なくすすり泣く精霊をエドウィンは宥めようとしたが、それより向こうの行動が早かった。
呻くように精霊は大きく体を揺らす。棘の生えた甲羅にエドウィンが引っかかる。
「あれっ」
そして精霊はマナの滴る頭をぶんぶんと振った後、しっちゃかめっちゃかな軌道で泳ぎ抜けて行った。
エドウィンを引っ掛けたままで。
「あれえええええええええ」
ユギルが完全にボートを制御して顔を向けると、エドウィンは叫び声を上げながら遥か彼方に遠ざかっていたのである。
「いや何でだよ! ……。……まあ、大丈夫か」
エドウィンは人間の幼児程度の速さで走り、幼児程度の力で物を持ち上げ、幼児程度の速さで泳ぐ事が出来る精霊である。つまり非力である(ヤドカリ型なのに泳げる時点で褒めて欲しい、とエドウィンは主張している)。
唯一発声器官がないのに何故か人語を話す事が出来、シャーマンでない人間とも問題なく会話が行えるという稀な特技がある。のだが、人口の過半数がシャーマンで精霊の通訳に困らないセルトニアでは然程役に立たない能力である。
「たぶんあのカメはパニックになってるだけっぽかったなー……」
ユギルはのんびりと呟いた。チラリと姿を見ただけだが、ユギルはマナの規模から大分力が強い精霊だろうと判断していた。海辺で生まれた精霊で溺れると言う概念がないエドウィンではあるが、巻貝以外は脆い。暴走に巻き込まれて体が儚く消滅する可能性は大いにあったが、それでもユギルはエドウィンを然程案じてはいなかった。
エドウィンがユギルの契約精霊だからである。
シャーマンと契約した精霊は、相手と魂で繋がる。シャーマンのマナと紐づき自身をシャーマンの魂に同期させるのだ。シャーマンの体には証として契約精霊の痣が浮かび、精霊はシャーマンの魂に自身を格納出来るようになる。精霊はシャーマンの体、厳密には魂を出入りし、シャーマンの命令ないしお願いに従ったりする。
仮にその結果精霊としての体が消滅しても、契約したシャーマンが生きている限りは完全な消滅には至らない。シャーマンの魂に所謂バックアップがある為である。よって時間をかける事で魂の中でマナを集め再生する事が出来るのだ。
ただし契約者であるシャーマンが死ぬと精霊は契約から放たれ普通の精霊に戻る。新たに別のシャーマンと契約しない限りは再生が不可能になり、体の消滅は自己の消滅、つまり世界のマナの流れへの還元を意味するものとなる。
精霊とシャーマンの契約において、精霊側には自己存在の保険と言うメリットが存在するのだ。なのでエドウィンはバラバラになったところでユギルの中で再生出来るし、なんならあまりに遠くの海に流されたら自己崩壊する事でユギルの元に戻って来れる。実際鳥に攫われた時に自己崩壊で戻って来た事があった。
「あ、いや、でもダメか」
ユギルはエドウィンが嬉しそうに巻貝にお守りを仕舞っていたことを思い出した。エドウィン本体は問題ないが、物理的な所持品はユギルの魂まで戻って来れない。あの精巧な木彫りは彼方の海を漂って行くことだろう。
ユギルは宝物が増えて大喜びしていたエドウィンを思い返して、少し考えて。
一旦岸にボートを停めて、ぴょいと海に飛び込んだ。