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精霊とは。星を循環する自然エネルギー、すなわちマナが局所的に集まる事で具象化した存在である。その多くは自我もなく、星を揺蕩い、いずれ解けマナの循環に還るもの。
しかしより多くのマナが集まった精霊は自我を持ち、「叫ぶ」「泣く」「壊す」と言った行動を取る。それらはしばしば、大なり小なり、大地や海で生きる生物に災いを齎すのである。
「多くの生物は間接的にしかマナに干渉出来ず、災いの大体をやり過ごすか距離を置くしかない。ただ、極一部、マナへの親和性が非常に高く精霊達と非言語的なコミュニケーションを取れる生物が存在する。特にヒトのそれをシャーマンと呼ぶ」
商店街の片隅。ユギルがベンチでココナッツジュースを飲む横、透き通るような水色の馬に乗った少年が教科書片手に読み上げていた。ユギルと同じ、青い髪に金の眼、褐色の肌をした少年はユギルより幾許か幼かった。
「シャーマンは精霊と魂の契約を交わすことで精霊の力を借りることが出来る。火を出したり、空を歩いたり、植物を生やしたり……精霊によってその力は様々だが、人知を超えた物である事は珍しくない」
水色の馬がプルル、と鼻面を揺らすと水飛沫が上がり、ユギルの顔面をぺしゃりと濡らした。
「おいちょっと」
ユギルが不満げに言うと馬の精霊は首で指して『その飲み物、私にも少し頂戴』と言葉もなく訴えかける。
仕方ねーなあと分けてやるユギルの頭に精霊が擦り寄って礼を言った。馬上の少年は気にせず続ける。
「一方で、殆ど力のない精霊も珍しくない。自我はあっても、強力な能力を使える程のマナは持たない精霊達、と言う事である」
空になったココナッツをベンチに置くユギルの足元で、花びらを集めて象った虫のような精霊がスルスルと通り過ぎて行った。
「しかし、人間の魂は一つしかなく、その大きさは決まっている。その為人間の魂で契約できる精霊には限りがある。例えば強い精霊なら一体しか契約出来ず、力の弱い精霊なら複数契約が可能となるのである……ねえユギル、これホントに大陸の社会の教科書なの?」
目をぱちくりさせながら少年が馬上からユギルを覗き込んだ。
「マジだぞ。簡単だろ」
「簡単だねえ。びっくりした」
小国のセルトニアは大陸の教科書を輸入し集落毎で使い回していた。しかし精霊関連については教本などなくとも幼児からの常識であり、
「その辺のページは全部飛ばして五十二ページからまともに教えられるぞ。大体皆そうらしい」
「だよねえ」
教える大人達もその辺り調節するのである。
「でも良かった。これならテスト範囲勉強しやすそう」
ホッとしたように言いながら、少年はぱらぱらと教科書を捲ってユギルに返した。
「テスト範囲?」
教育機関が整備されていないセルトニアは集落の暇な大人が教師であり、テストがあるかないかはそれぞれの『教師役』次第である。ユギルの村の村長は口頭でいくつか答えさせるくらいの緩い授業をしていた。
無論年頃の子供が受ける統一された筆記試験など存在しない。
「そりゃあだって、僕は留学目指す事にしたからね! 試験勉強しないと!」
少年は胸を張って言った。
「留学ぅ?」
「僕さ、この国を出たいんだ。大陸でコイツと一緒にどこまでも走って、色んな物を見てみたいんだよ」
少年は馬の鬣を撫でながら続ける。
「でもホラ、セルトニアからの出国手続きって大変じゃん?」
「そうなのか?」
ユギルは国を出ようと調べたことすらなかった。
「知らないの? 中々承認が下りないし、面倒な手続きをそれはもう沢山しないといけないんだって」
「へえ?」
「でも公的な留学なら学校側が手続きしてくれるみたいだからさ。優秀ならなんだっけ、提携? を結んでる連邦の学校に数年間通えるんだよ! お金は向こう持ちで!」
少年は興奮したように続ける。
「入学試験とかきっと難しいんだろうけど……僕絶対連邦に行くから! ユギルも手伝ってね!」
夕暮れを背景に精霊に乗り去っていく少年を眺めながら、ユギルは独り言ちた。
「アイツ偉いな……」
わざわざ国外に出て遠い学校に通う為勉学に励む、その発想はユギルにはまるでない。そもそもそんな制度がある事を知る国民自体少数派なのでは、ともユギルは思った。
年下の友人が生活の為でもなく夢を持ち、自分で方法を見つけ努力している事実はユギルにとって衝撃的であった。
ユギルがどことなく哀愁を漂わせながら道端に突っ立っていると、ココナッツ売りの男が「ユギルー、飲み終わったんならから捨てとくからこっち寄越しな」と声を掛けてくる。有難くココナッツの殻を馴染みの店主に渡した辺りで低い位置から陽気な声がした。
「おう、待たせたなユギル! ついマダム達と話が弾んじまったぜ!」
勉強会には興味がない、と言い商店街の婦人方と茶を飲みに向かったエドウィンである。
「ああ……お帰りエドウィン……」
「? なーにしょぼくれてんだ相棒」
「……将来の目標って大事だよな……」
「何言ってんだ。お前は将来漁師になるって立派な目標があるだろ?」
「いやそういうのじゃなくてさ……」
「何かあったのか? オレ様に聞かせてみな?ん?」
そう話しながら一人と一匹はいつものボートに乗り込む。いつものように海は夕日に照らされ輝き、常夏の潮風は十一月でも温く優しかった。