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尾行

 依頼を受けた翌日、俺はアパートの部屋から直接リックの尾行へ向かった。


 リックが浮気をしているなら夜の酒場以外でも逢瀬の機会を窺うと感じ、朝からリックを()けてみようと思い立った。


 リックの住まいは集合住宅だ。ウィスティア王国の官吏のほとんどが各省庁が所有する集合住宅に住んでいる。一応家族が住むのを前提に設計されているので、一部屋当たりの面積は広く、しかも職場や繁華街からも近いので立地も良い。貰っている給金のわりには贅沢な環境だ。


 彼が何時に出勤するかドリアから聞いている。その時間を見計らってアパートの入口につけばよかった。


 集合住宅に着いたとき、折よく入口から男が出てきた。中肉中背の身体つきに短く切った茶髪、やや垂れ下がった目尻に太めの眉毛、間違いなくリックだった。俺はいったんすれ違ってからゆっくりと踵を返し、足音に気をつけながらリックの後を跟けた。


 慎重に距離を取りながら尾行を続けていると、やがて人通りの多い道に行き当たった。俺は人ごみに紛れ、行き交う人にぶつからないように気を配りながらリックに注意を向ける。いまのところリックは勤め先の税務庁へ向けての最短ルートを通っている。


 途中、リックは角を曲がり、川沿いの道に続く通りに入った。この近くにはマロー街という繁華街があり、飲み屋や隠微な店が軒を連ねる。


 まさか仕事をサボって酒を飲む気じゃないよな?


 俺は心持ち足を速めて角を曲がった。すぐにリックの背中が目に入る。マロー街に行く素振りは見えなかった。俺は何気ないふりを装って尾行を続けた。


 酒こそ飲まないが、どうやらリックは出勤前に寄り道するらしい。川沿いの道を道なりにまっすぐ歩いていた。落下防止の柵が設置され、等間隔でしだれた樹木が植えられている。


 気になったふうを装って、俺は歩きながら首を回して川に目を向けた。幅の広い川がさざ波を立てて日の光弾きながら流れている。行き交う小舟の船頭たちが事故を起こさないよう声をかけ合っていた。


 王都ジスティーヴァはいたるところに川が巡る街だ。魔力を利用した船が川を滑り人や物を運んでいる。定期的に魔法遣いたちが川の浄化を行っているため、常に清澄に保たれていた。なので、生活用水としても使われていて、住宅街近くの川には洗い場があり、衣服や食器を洗うのにも使われる。

 俺は魔法を遣えないので、どういう仕組みの魔法なのかわからないが、とにかくそういうものだと受け入れている。


 再びリックの方へ目を向けると、彼は急に立ち止まって船屋を眺めていた。近くに船着き場があるので、すぐに船屋だと気づいた。ここで小舟でもチャーターしようというのだろうか?


 俺は脚を緩めずに歩を進めてから、疲れたふりをして柵に両肘をつき、もう一度川を眺めた。


 ちらと後ろを振り返ると、リックは佇んだままだった。なにか決心がつかないようだ、と感じたとき、リックは首を横に振って職場へと歩き始めた。


 この男、なにを考えていたんだ?


 まさか小舟に乗って出勤しようとしたわけではだろう。遠回りしたとはいえ、船屋から職場は近いはずだ。金の扱いにうるさいリックが小舟に乗って贅沢に出勤するとは思えなかった。

 多少の疑念を残しながら、リックの尾行を続けた。その後はなんの違和感もなく彼の職場についた。


「やっぱ、夜が勝負か」


 俺は愚痴を吐いた。とはいえ、わざわざ船屋の前に寄ったのだから、このことが後につながるかもしれないと淡い期待を持ちながら俺はいったん事務所に帰ることにした。


   ◇◇◇


 夕暮れ前、事務所の鍵を閉めてからリックの尾行に向かった。

 税務庁の前につくと、すでに仕事を終えて帰宅している税吏たちがちらちらと入口から吐き出されていた。


 俺は向かい側の建物に目を向けた。そこには何人か暇を持て余しながら立っていた。どうやら誰かと待ち合わせをしているようだった。俺も待ち合わせを装って建物の前でリックが出てくるのを待った。


 一人、また一人と待ち合わせの人数が減ってきたと思ったとき、入口からリックが出てきた。俺は慌てずにリックが帰路についたのを確認した。ちっと舌打ちをして待ち人来ずのふりをしてから、リックの後を()けた。


 リックはやはりまっすぐ家に帰る気はないようだ。なにしろ仕事を終えたその足で、マロー街に向かっている。確実にどこかの飲み屋、もしくは肉を(ひさ)ぐようないかがわしい店に立ち寄ると俺は見た。


 マロー街の表通りに入ると、早くも賑わいを見せていた。通りの両側に立ち並ぶ建物の窓から光が洩れて、道を照らしている。日が沈み切っていないのに早くも街灯がつき、建物や道、人々に灯を投げかけていた。道端にはいろいろな店の客引きが道行く人に声をかける。世間知らずの男が娼婦の色気に惑わされて店に引き込まれようとしていた。


 そんな雑多な雰囲気の中、リックは歩調を変えずに道の真中を歩いていた。その様子から行く店は決まっているようだ。


 見失わないようにしていると、リックは路地の入口あたりで周りをきょろきょろ見回した。マロー街には路地のいたるところにも店がある。しかもよりディープな夜の街を堪能できる店が点在する。


 リックは覚悟を決めたかのように速い歩調で路地に入って行った。俺も何食わぬ顔で路地に入って行く。表通りとは違い、建物から漏れる灯がさみしげに道に投げかけているだけの隠微な通りだった。


 人通りがないと尾行に気づかれるかもしれないな、と思ったが心配なさそうだ。狭いながらもそれなりに人がいた。昼間から飲んでいたらしい酔っ払いが道端でへたりこんだり、ちょいと悪ぶった連中がある店の前で屯し、大声をあげて笑っていた。


 リックは路地の奥に進んで行く。やや足取りは重いが、すれ違う店の看板には目もくれない。


 俺はもう少し距離を開けてリックを尾行していた。

 するとそのとき、陽炎が揺れる光景を目の端で捉えた。鈍感な奴ならまず気づかないほどわずかな揺れだ。


 姿を消す魔法だな、と感じた。


 誰かを待ち伏せしているのか思いきや、俺たちと同じ方向に動き出した。こいつもリックを尾行しているのだろうか。


 下手にとっ捕まえると、リックに勘付かれてしまう恐れがあるし、魔法遣いの正体がわからない以上、迂闊に手を出すわけにはいかない。俺はあえて気づかないふりをして無視した。


 やがてリックがある店の前で立ち止まった。俺は尾行だと思われないように少し歩調を緩めてリックの後ろを通り過ぎた。そのときついでに店の名前を確認しておく。『ベレヌス』という酒場だ。隠微な通りでひっそり営業している観があり、うらぶれた雰囲気から察するにあまり質の良い店ではないらしい。


 リックの後ろを通り過ぎたとき、ドアの開く音がした。彼が『ベレヌス』に入ったらしい。


「あ、そうだ」


 と、俺はわざと何かを思い出した感じを装った。振り返ると、『ベレネス』の向かい側に陽炎が立ち止まっているのが目に入った。確実にリックに狙いを定めているに違いない。


 さて、どうするか。


 このまま『ベレネス』に入店すると、俺がリックを尾行していると陽炎に勘付かれてしまう。かといって、店に入らないとリックの素行を調査できない。単なる浮気調査かと高を括っていたが、どうやら依頼人のドリアでさえ知らない事情が見え隠れしているようだ。


 少しの間考えてから、仕事を最後までやり続けると決めて俺は『ベレヌス』のドアを開けた。


「いらっしゃいませ」


 カウンターから声がした。


 個室の店かと思いきや、ごく普通の飲み屋と変わらない。カウンターが五席、ボックス席が四席のこじんまりとしたバーで、女と密会するには不向きな場所だ。すでに手前のボックス席が塞がり、カウンターには暇を持て余している男がちびちび飲んでいるだけだ。


 そして、奥のボックス席にリックが腰かけていた。仲間はまだ来ていないらしい。


「空いているかい?」


 と、俺はカウンターにいるマスターらしきスキンヘッドの男に訊いた。


「ええ、大丈夫ですよ。さ、こちらへ」


 思いのほか慇懃な仕草で端のカウンター席へ座るよう促された。


 椅子に腰かけたとき、俺はちらとリックの方を振り返った。彼はくたびれたようにソファの背もたれに身を委ねていた。あまり慣れていない仕草なので、緊張を紛らわせるためにわざとそうしているのだろう。


「なにか、ご注文は?」


 とマスターが声をかけてきた。


「そうだな……」


 俺は度数の少ない酒をいくつか思い浮かべようとした。


 と、マスターが俺に顔を寄せつぶやいた。


「シズマ・ロランドさんですね」

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