公爵の後悔
「ギデオンは不慮の事故に遭ったのだと思ったのです」
デインは若き日々を懐かしみながら語ってくれた。
「それで、お父さまはギデオンさまにお会いになったのですね」
アレシアが訊いた。わずかに弾んだ声だったのは、父親の昔話に興味を引かれたせいだろう。面白がっているといけないから感情を押さえて訊いたらしかった。
「いや、病院まで会いに行ったのだが、面会謝絶だったのだよ。ギデオン本人は私と会いたがっていたのだがな」
「では、ギデオンさんは怪我ではなかったんですね。余命いくばくもない患者の願いを聞き入れないのはよっぽどの事情があるんでしょうな」
俺は先回りして訊いた。
「はい。ギデオンは流行り病にかかったのです。本来なら致死率が低いのですが、ギデオンの場合、運悪く肺が侵されてしまい、病状が悪化する一方でした」
「そうですか」
としか言いようがなかった。等閑の慰めをしたところで意味はない。
「そして、ギデオンはもうろうとする意識の中、私宛に手紙を書いたのです」
「それが、この手紙だと」
「どうぞ、お読みください」
と言われ、俺は封筒を開けて手紙を読んだ。死の縁で書いたせいかごく短い文章で、判読できないほど文字が乱れていた。
「えーっと、ミレアを頼む、と書かれているようですな」
「はい、彼の娘です」
「冒険者をやっていたのにも関わらず、ギデオンさんは結婚なさっていたんですな」
冒険者は凶悪なモンスターと対峙したり、危険地帯の探索に赴く仕事もある。職業柄、命を落とすリスクもあるので、結婚して家庭を持たない人もいる。
「はい。実はギデオンの妻、エリシュカも冒険者でした。パーティーを組んで各地で依頼をこなす日々を送っているうちに、仲が深まったようです」
「結婚しても冒険者を続けたんですか?」
「ええ、二人とも若かったのです。なにしろまだ二十代、しかも冒険者として脂ののった時期で自信に満ちあふれていました。ミレアを生んでも無事にやっていけると思っていたのでしょう」
「ちょっと待ってください。なぜ手紙にはエリシュカさんのことが書かれていないのですか?」
アレシアが訊いた。俺も同じことを思っていた。
「エリシュカはミレアを生んですぐに亡くなったのだ。しかも仲間の手にかかってな」
「…………」
「エリシュカは気立ても良く容姿も悪くなかった。仲間が嫉妬に狂い、エリシュカの胸を刺したのだ」
デインは首を振ってため息を吐いた。
「そんなことって……」
アレシアはショックを受け、両手で口を塞いだ。
「珍しい話じゃない。色恋に狂って理性を無くすってのはよくある。アレシア、憲兵をやっているとそういう事件を担当することだってあるんだぞ」
俺はあえて突き放す言い方をした。変に慰めるよりは現実を聞かせた方がいいと思った。その方がいざというとき、覚悟を決めて捜査にあたることができると思ったのだ。
「は、はい。それでエリシュカさんを殺害した仲間はどうなったのですか?」
気を取り直して憲兵らしく質問するアレシア。
「もちろん捕まった。だが、ギデオンは失意に打ちひしがれ、冒険者を廃業した。これからは危険な仕事をせずに、ミレアが立派な大人になるまで見守ると。そのときのミレアは六、七歳ぐらい、たしかグレヴィルと変わらない歳のはずだ」
「その矢先に、病気に罹ってしまったわけですな」
俺が訊いた。
「はい。ギデオンはその手紙を書いてすぐに亡くなりました。私はギデオンの遺志を受け継ぎミレアを引き取ろうとしたのです。私の妻も賛成してくれたのですが……」
「公爵家の掟のせいで引き取れなかったのですね」
アレシアは、言葉を紡げないデインに代わって言った。
「掟?」
俺はアレシアに目を向けた。
「勇者マヤ・トウリの血を引いていない者は、婚姻者を除いて公爵家の一員になれないのです」
「そう。正確には王室典範で定められた法で、王家筋の者は養子を取れないと定められているのです。マヤの血を引いていれば例外的に養子にすることもできますが、ミレアは平民の子、到底無理な話です」
デインは嘆くように言った。
と、ここで俺は違和感を覚えた。
「公爵、ギデオンさんに親兄弟はいなかったのですか? あなたが引き取る前に、まずミレアさんの親戚筋に預けるのが当たり前だと思うのですが」
「その通りです。ですが、ギデオンとは大変仲が悪かったのです。彼の意思を尊重するなら別のところに預けるべきだと思いました」
デインが言うところによると、ギデオンの父ガレス・イェリツアは王都ジスティーヴァで幅広く商売をしている実業家だ。そう言えば聞こえがいいが、裏で行っている金貸しが本業である。親はひどく強欲で、借金の取り立ては容赦なく、一日でも期限が過ぎると法外な利子を要求した。イェリツアの家は影で泣いた人たちの金で肥え太ったのだという。
ギデオンはそんな家に嫌気がさして、王立アカデミーを卒業後、家業を継がずに冒険者になったのだ。我欲のために生きる父と違い、人のために己の能力を発揮することに生きる道筋をつけたのだ。
彼の遺志を継ぐなら、とてもイェリツアの家にはミレアを預けることはできなかった。デインは方々の伝手を頼ってミレアの引き取り手を探したのだが、どこも断られた。
当時、領地に帰って父親の手伝いをしていたデインは、やむなく平民である屋敷の使用人に頼みこんで育ててもらうことも考えたのだが、それは先代のヘルフゴット公爵、つまりデインの父親に反対された。イェリツアの名前は悪評が高く、領地の先代の耳にも入るぐらいだった。先代は頑迷な貴族主義者で、穢れた血筋の子どもを屋敷の関係者にはしたくなかったのだ。
仕事のかたわら、ミレアの引き取り先を探していた時に来訪者が現れた。何と、ガレスだったのだ。彼は今までの行いを悔い改め、息子の遺志を継いでミレアを引き取りたいと願った。
デインは迷った。はたして悪名高き男に――たとえギデオンの実の父親だとしても――ミレアを託すべきなのか。いっそのこと自分の隠し子として育てるやり方も考えた。
ところが、ガレスはどうしてもミレアを欲しがった。血を分けた孫の成長を見守り、必ず立派に育てて見せると、強く迫ったのだ。
血のつながりをアピールされては、デインも引き離せないと思った。それにこちらも子どもを抱えている身。アレシアが生まれて間もないころだった。いつまでもミレアのことにかまけている暇はなかった。
ガレスが改心したと信じて、デインはミレアを引き渡した。
「しばらくの間、ガレス・イェリツアは私のところに手紙を寄こして、ミレアをちゃんと育てているとの報告をしてきました」
「お父さまが、ミレアさんを気にかけていたからですね」
アレシアが訊いた。
「ああ。だが、ガレスの奴、いきなり屋敷に現れたのです」
デインは深くため息を吐き、わずかに首を回して伏し目がちになった。公爵らしからぬ口調になったのは当時を思い出したせいかもしれない。
「ミレアさんの身に、なにかあったのですな」
俺はデインの気持ちを察しながら訊いた。
「はい。目を離した隙に誘拐されてしまったと」
「そんな……」
信じられない、といった表情になるアレシア。
「ガレスは私に平謝りをしました。私は怒りのやり場を失い、気が狂いそうになりました」
「それで、憲兵に捜索届は出したのですか?」
俺が訊く。
「もちろんです。憲兵はもちろんのこと、冒険者やあなたのような探偵にも捜索を依頼したと、ガレスは言いました。ですが、あれから二十年ほど経ってもミレアの行方はわからずじまいです。あんなことなら王室典範に触れてでもミレアを引き取るべきだったと今でも後悔しているのです」
デインは語気を強めてから言うと、疲れたように背もたれに背中を預け、天を見上げた。喋っているうちにミレアへの懺悔の念が押し寄せてきて、精神が疲弊したのかもしれない。
「わかりました。できる限りのことはしましょう」
俺は依頼を受けることにした。
「ほんとうですか?」
デインはゆっくり姿勢を正して、俺に目を向けてきた。
「ですが、もう二十年くらい前の話です。見つけ出せる保証はないと言っていいでしょう」
「わかっています。一縷の望みをかけてあなたにお願いをするのですから」
「ならば、依頼料はこの金貨五枚に含めましょう。そのつもりで渡したんですよね」
「はい。もし経費がそれ以上かかるようならアレシアを通して報告してください」
「了解しました。では、失礼します」
これ以上話すことはなく、デインの疲れを考慮して話を打ち切った。
だがアレシアがドアを開けてくれたとき、俺はもう一つ訊くことを思いついた。
デインに向き直ると、俺はこう訊いた。
「公爵、ギデオンさんの遺産ってどれぐらいありましたか?」
「なぜそのようなことを?」
「少しでも情報が欲しいんです。ギデオンさんがどれくらいの冒険者だったかわかりませんが、腕利きならそれなりの貯えはあったのではないかと思ったものですから」
「そうですか……たしか、かなり稼いだとだけ聞いた覚えがあります」
「わかりました。では」
俺は執務室を出て行った。部屋に戻って休もうと廊下を歩いていると、後ろから足音が聞こえてきた。
「シズマさん。なぜあのようなことを?」
アレシアが駆け足で俺の横に近寄った。
「トラブルに金はつきものだからな。ギデオンさんに遺産があったとすれば相続はミレアさんだろ」
「そうですが……あっ、まさか」
アレシアも俺の言わんとしていることがわかったらしい。
「まだ可能性の段階だけどな。とりあえずこれを足掛かりにガレスに当たってみるか」
じゃあな、と言って俺は部屋に戻った。
困難な依頼になりそうだな、と思いながら俺は深更まで調査の手順を練った。やがて眠気が襲ってくると、ベッドの上に身体を横たえた。
今日は、マヤからの呼出はなかった。