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公爵の昔話

 部屋の中がしんと静まり返った。


 デインが言った言葉の意味がわからなかった。

 娘になるはずだったとはどういうことなのだろうか。


 俺はアレシアに視線を投げかける。

 彼女も父親の意外な真実を知り、どう口にしていいかわからないようだ。


 重苦しい空気の中、誰も口を開こうとしなかった。いつもなら依頼人に質問をするのだが、俺がデインに視線を戻すと、彼は顔を背けた。胸の内に隠してあった罪をさらけ出してしまった後悔が押し寄せているのかもしれない。


 かなりデリケートな事情が孕んでいると感じ、俺は

「ふぅむ」

 と唸り声を上げるにとどめた。こういう時は何も言わずに見守る姿勢を見せるのがいい。


「お父さま。詳しくお聞かせくださいませ」


 アレシアは俺の意図を無視したかのように口を開いた。

 俺はアレシアをもう一度見遣った。勝気な目に困惑気な色が浮かんでいた。


「ああ、わかっている。だが、どう話せばいいものかわからないのでな」

「不躾で申し訳ありませんが、一つお聞かせください」


 と、俺は弛緩した空気を察して切り込んだ。


「なんでも聞いてください」

「では、遠慮なく。その娘さんは何者でしょうか?」 


 俺は言葉を選んで訊いた。娘の素性を知らない以上、デリカシーのないことを言う場面ではない。 


「私の友人の娘です。本来なら私が引き取り、彼の想いに応えたかったのですが……」


 話し始めて緊張感がほぐれたらしく、デインは友人と交わした約束について語ってくれた。


   ◇◇◇


 デイン・フリゼットは十代のころ王都の王立アカデミーに進学した。身分の貴賤を問わず、ウィスティア王国から優れた人材が集まる学校だ。文学、法律などの一般的な学問はもちろんのこと、魔法研究でも最先端を行くアカデミーである。


 だが、身分の貴賤は問わないといっても、学内では隠然たる格差が生じる。貴族は平民を見下し、講師たちも貴族を優遇するのは日常茶飯事だ。真偽は定かではないが、入試では貴族の子女に加点するという噂さえあった。


 デインは公爵家の人間でありながら、そのような贔屓が蔓延っているのが気に入らず、アカデミーに馴染めなかった。優れた平民が冷遇され、凡庸な貴族たちは血筋が能力に直結すると勘違いをしている様を見て、これが将来のウィスティア王国を背負って立つエリートの姿なのかと失望した。


 そういったアカデミーの空気に嫌気がさしたのを言い訳にし、デインは無気力な学生生活を送っていた。学業はおろそかになり、王都の繁華街に繰り出して遊ぶ毎日だったという。


 くさっていたデインはひょんなことから一人の学友と知り合う。


「勇者マヤ・トウリの子孫か」


 アカデミーの教室で娯楽本を読んでいたとき、声をかけられた。勇者の子孫という肩書も鬱陶しく感じていた時期で、そう呼ばれるのが不快だった。


 デインは本から目を離し、彼に目を向けた。大柄な学生が笑みを浮かべて立っていた。


「なんだ?」


 剣のある声をあげるデイン。若かりし日の彼には心のゆとりがなかった。


「そうカリカリするなって。俺はギデオン・イェリツア。平民の子息だよ」


 わざわざ身分を名乗って自己紹介するギデオン。その声音は明るかった。


「で、その平民の子どもが何の用だ?」

「だから、怒るなって。おまえをスカウトしに来たんだから」

「スカウト? なんの?」

「今度、他の学校と闘技大会やるだろ。おまえにも参加してもらおうと思ってな」


 ギデオンは明るい表情になり、指を剣に見立てて振った。


「なんで俺なんだ?」


 スカウトを受ける気はなかった。このときのデインは何もかもやる気をなくしていた。


「ヘルフゴット公爵家ってのは文武両道、しかもデインは剣術ができるっていうじゃないか。なら誘わない手はないだろ」


 この話は学内の人間にはそれなりに知られている。ギデオンが知っていても不思議ではなかった。


「断る」


 デインはすげなく拒否するも、


「いいから来いって」


 ギデオンはデインの腕を掴み、強引に教室の外へ連れ出した。


「おい、やめろ」

「いいや、やめねえ。おまえ目が死んでるじゃねえか」

「おまえに何の関係がある」

「ほっておけねえんだよ。いいから、稽古に顔出して思いっきり剣を振ってみろ、スカッとするぜ」


 ギデオンは聞く耳を持たず、デインを引っ張っていく。


 仕方ないと思いながら、デインは校舎から離れた練習場に連れて行ってもらった。


 そこでは闘技大会に向けて稽古を積んでいる学生たちがいた。剣、槍、素手、魔法など各々がトレーニングを積んでいる。


 デインは練習着を借りて着替えると、木剣を渡された。


「じゃあ、まずは俺と手合わせだな」


 ギデオンは槍を持っていた。もちろん稽古用のものである。


「ずいぶん自信があるんだな」

「まあな」


 ギデオンは言葉少なに肯定する。そして穂先をデインに向けてきた。

 すると、周りで稽古に励んでいた学生たちの視線が二人に集まり始めた。


「お、ギデオンが試合するぞ」

「けど、誰だあいつ」

「バカ、ヘルフゴット公爵の息子よ」

「マジか、こいつは見ものだな」


 いきなり野次馬たちが周囲を囲んだ。


 彼らは意図せずにデインの逃げ道を塞いだ格好となった。

 もっとも木剣を手に取った時点で逃げる気はなかった。


「さっさと始めるか」


 デインは剣を八双に構えた。


「了解」


 ギデオンも左足を引いて、槍を構えた。顎を引いて上目遣いになると、彼の眼光が鋭くなった。さっきまでの明朗な表情は一切なく、目の前にいる敵を打ち倒す気配に満ち満ちていた。


 払う気も打つ気もない、一撃必殺の刺突で勝負を決めに来るとデインは読んだ。迂闊には近づけない。


 だが、その思考が読まれた。


 ギデオンから仕掛けてきたのだ。身体を回転させながら急襲してきた。遠心力を存分に利かせて払う気だ。


 デインは考えたぶん動きが遅れた。やむなく飛びずさって距離を開けた。


「あまい!」


 ギデオンが仕掛ける。回転を利かせた払いが伸びてきて、デインの脚を捕えようとした。


 デインは着地するとすぐさま、地面に木剣を突き立て払いを防いだ。完全に自分の間合いだと悟り、すぐさま木剣を回して振りかぶった。


「しっ!」


 ギデオンの頭を狙って鋭い打ち下ろしを放つ。ところがギデオンは槍を横にして防いだ。かっと乾いた音を立てた。


 そしてデインは手首を返し、今度はギデオンの胴を薙ごうとした。これもまた防がれた。


「やるじゃないか」

「そっちこそ」


 お互いに言葉を交わす。いつしかデインの胸のうちが熱くなった。


 小さいころ、夢中で剣を振った日々を思い出した。仲間たちと切磋琢磨し目一杯身体を動かして鍛錬に励んだ。稽古や試合のあと、勝ち負けは抜きにして全力で勝負に挑んだときの爽快感は忘れがたいものだったはずだ。


 ギデオンがスカッとすると言った意味を、ようやく理解できた。

 いや、胸の奥底で朽ちかけた熱い想いに再び火が点いたのだ。


 それから何度も熾烈な攻防を繰り広げ、ようやく決着がついた。


 デインが斬り上げを仕掛けようとしたとき、脚の踏ん張りがきかなくなった。遊び呆けた日々のツケが今になって襲って来たのだ。


 その隙を見たギデオンが鋭い突きを入れてきた。身体を捻って躱そうとしたが思うように身体が動かず、鳩尾に入れられてしまった。


「ま、まい、った」


 デインは必死に息を切らせながら言った。鳩尾に攻撃を食らったせいもあり、吐き気がこみ上げてきそうだった。


「な、なかなか、だったじゃないか」


 緊張の糸が切れたギデオンに再び明るい表情が浮かんだ。

 額に汗が滲み、彼もまた息を切らせている。


「すげえな」

「ギデオンはともかく、公爵もやるじゃないか」


 観戦していた他の学生から称賛の声が飛んだ。

 全力を尽くした試合を観て、健闘した両者を労いたい気持ちが溢れたようだ。


「なあ、デイン。闘技大会に出ろよ」

「ああ、わかった。その代わり一つ約束だ」


 デインは息を整えると、すっくと立ちがある。


「なんだ?」

「もう一度俺と勝負してくれ」

「了解」


 ギデオンの顔に満面の笑みがこぼれた。


 それからデインの生活は充実したものになった。闘技大会で良績を収めたのをきっかけに、勉学にも力を入れるようになった。ギデオンとの勝負を通して懸命にやらないといけないと思い直すようになったのだ。


 勉学と剣の稽古に夢中になった日々を送っているうちに、卒業が間近となった。


「デイン、卒業後は領地に戻るんだろ」


 アカデミーからの帰り道、ギデオンが声をかけてきた。


「さあな。まずは社会の仕組みを知っておきたいし、跡を継ぐ前にどこかで働くのもいいんじゃないかって思ってるんだ」

「そうか。立派なもんだな」

「ギデオンはどうするんだ?」

「俺は冒険者になるよ」

「え?」


 意外な答えを聞いて、デインは絶句した。

 冒険者が隆盛を極めたのはかつての話だが、今でもモンスター退治や探索など冒険者の需要がある。ウィスティア王国のみならず、外国も飛び回る仕事だ。


 しかし王立アカデミーを卒業するエリートのやる仕事ではない。

 騎士団や憲兵などギデオンの腕を活かす職場はこの時代にはたくさんある。わざわざ冒険者にならなくてもと思う。


「意外そうな顔だな」

「ああ」

「俺の槍を活かすには官吏じゃ無理だ。冒険者になって自由にあちこち飛び回って人助けをする方が性に合っているよ」

「そうか」


 デインは引き留めなかった。その方がギデオンにふさわしいと妙に納得したのを覚えている。


 それからアカデミーを卒業して、数年の月日が流れた。


 ギデオンが危篤状態に陥っているのを知らされたのは、長男のグレヴィルが生まれて七年ほど経ったころである。


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