第十八代ヘルフゴット公爵デイン・フリゼット
グレヴィルとの試合を終えたあと、俺はアレシアの案内で剣術道場に行き、門下生たちに稽古をつけた。さっきの試合を見ていた人もいたらしく、あのグレヴィルに勝った剣士として俺は歓迎された。
領民に慕われる貴族に勝ったからといって、俺を敵視する者はいない。むしろ正々堂々と戦った者への称賛の方が大きかった。
門下生の多くは十代で、まだまだ成長途上だった。ただ、この道場の師範はかなり門下生を鍛え上げたらしく、未熟ながらも筋は悪くなかった。俺は良かったところは素直に褒め、修正すべきところを指摘して、無難に稽古をつけた。
その間、アレシアは道場の壁際に佇んで見学をしていた。なぜか笑みを絶やさずに稽古を見守っている。たしか彼女も剣術の稽古をつけてほしいと言っていたはずだが、門下生の数が多いので、遠慮しているのかもしれない。
稽古が終わり、アレシアを伴ってヘルフゴット公爵の屋敷に帰った。
「シズマさん。お疲れのところ申し訳ないのですが、父のところへ挨拶に行きませんか?」
玄関ホールに入ったとき、アレシアが声をかけてきた。
「ああ、そういや一度も会っていなかったな。公爵さまは何してたんだ? 今朝、おまえさんがやらかした時もいなかったみたいだし」
「まぜっかえさないでくださいよ、もう」
アレシアは頬を膨らませてそっぽを向いた。
「お帰りなさいませ。お嬢さま」
と、メイドのカティナが奥の廊下から出てきた。箒と塵取りを持っているので、掃除している最中に出くわした感じだった。
「ただいま。カティナ、お父さまは部屋にいらっしゃるかしら?」
「ええ。お嬢さまたちが道場に出かけている間に、お帰りになられました」
「ではシズマさん。ごあいさつに参りましょうか」
「ああ」
俺たちは玄関ホールの階段を上り、奥の廊下に入った。
公爵邸なだけあって豪奢な造りだな、と改めて感じた。今朝、アレシアが魔法の爆風で割った窓はともかくとして、そこから射し込む日の光を受けてカーペットがきれいに移る。柱の脇には観葉植物が配置され、違和感なく周りの風景と溶け込んでいた。通り過ぎる部屋のドアもニスが塗られているおかげか、光沢を帯びていた。
廊下の中ごろにあるドアの前で、アレシアが足を止めた。どうやらここが公爵の部屋らしい。
アレシアは、ドアをノックして訪いを入れた。
「失礼します。お父さま、アレシアでございます。シズマ・ロランド様をお連れしました」
「おお、いま行く」
ドア越しに公爵の声がした。
中からドアが開くと、ごま塩頭を後ろに撫でつけた男が出迎えてくれた。目じりが下がり、柔和な顔つきをしている。
ただし、文武両道を標榜するヘルフゴット公爵家らしく、肉付きに無駄がない体躯だった。部屋で休んでいたらしく、平民でも着そうな普段着を着用していた。
「これはこれは。こんな遠いところまでようこそお越しくださいました」
公爵は恭しく挨拶をした。王家に繋がる家柄だが、高ぶった印象はなく、むしろ腰が低いのが意外だった。
「シズマ・ロランドと申します。王都ジスティーヴァで探偵を営んでいます」
俺は胸に手を当てて軽く頭を下げた。
「デイン・フリゼット、第十八代ヘルフゴット公爵を務めております。さ、中へどうぞ」
デインはドアを広く開け放った。
「失礼します」
俺はお言葉に甘えて部屋に入った。
この部屋は執務室らしく、奥の窓際には重厚な執務用の机が置かれ、左の壁には本棚が設えてあり、隙間なく本が並べられている。部屋の中央にはテーブルを挟んで長いソファが二脚配置されてあった。仕事の最中だったらしく、机にはペンと書類が置かれたままになっていた。
「では、ごゆっくり」
と、アレシアはこの場を去ろうとした。
「待ちなさい、アレシア」
デインが強めの口調で呼び止めた。
「な、なにか」
アレシアの顔に気まずそうな笑みが浮かぶ。
理由はわかる。執務室の窓も割れているのだ。おそらくデインは使用人からアレシアが過激な魔法を遣って屋敷の窓を割ったのを聞いているに違いない。
「アレシア、おとなしく言うこと聞いた方がいいぞ」
念のため、俺は忠告した。
なにしろデインの顔にうっすら影が滲んでいるからだ。客がいる手前、柔和に振舞っているが、もし俺がいなかったらしかりつける気だったろう。
「シズマさん、どうぞお座りください。アレシア、おまえはそこに立っていなさい」
デインは入口の壁を指さした。
「は、はい」
アレシアの声がひっくり返った。普段のアレシアとかけ離れた一面が見られて、笑いがこみ上げそうになった。この父親は怒らせると怖いらしい。
俺はソファに腰を下ろした。
「挨拶が遅れて申し訳ない。なにしろ今日まで領内北部の方を見回っていたのもですから」
「領主自らですか?」
「はい。葡萄の収穫時期が迫っておりましたので、その視察です」
「たしか、この領地では葡萄酒の醸造が盛んでしたな」
「ええ。天候にも恵まれ、満足のいく出来でした」
「それはけっこうですな。ぜひ飲んでみたいものです」
俺はお世辞を言ってデインの様子を探った。世間話をするために部屋に入れたわけではないのは確かだ。
「おお、そうだ。忘れないうちに渡しておかないと」
するとデインが立ち上がり、執務用の机から小袋を手に取って戻ってきた。
「これが、今回の報酬です」
と、デインは俺の前に小袋を差し出した。
「では、失礼して」
俺は小袋を開けて中身を確認した。たしかに金貨五枚入っている。
「高いとお思いでしょう?」
デインが訊いた。
「ええ、道場の門下生に稽古をつけるだけでこれは高すぎます。グレヴィルさんと試合した分を含めてもおつりが出ますな。少しお返ししないといけません」
「いえ、実はそれには理由がありまして」
デインは腰を浮かせて座り直した。
「理由、ですか?」
「シズマ・ロランドさん、アレシアから聞きましたが、大変優秀な方だと伺いました」
「それはどうかわかりませんが、仕事は懸命に励んでいるつもりです」
「謙遜なさらなくても結構です。最近起きた事件もあなたが解決に導いたそうではありませんか。なんでも素手でモンスターを退け、巧みな剣術で悪漢どもを叩き伏せたと聞きましたよ」
デインが微笑を浮かべる。どうやらイドリス商会の事件のことを、アレシアはデインに告げたらしかった。
「たまたまですよ。相手が考えなしの三流だったから通用しただけです」
「いえいえ、息子のグレヴィルが相手にならなかったのですから、大した腕前ですよ」
「シズマさんは憲兵の中でも随一の腕前だったそうです」
立たされたアレシアが補足する。
「ぜひ、私ともお手合わせお願いしたいところですな」
はっはっは、と明朗な笑い声をあげた。上品な外見に似合わない磊落さを持ち合わせているようだ。
それにしても、少し回りくどいなと感じた。
さっさと要件を切り出せばいいものを、無駄話をして時間を稼いでいる感がある。
話を打ち切って要件を聞こうとしたが、それは失礼にあたる気がした。ここは彼のペースに合わせるしかない。
「お父さま、シズマさんもお疲れのようですから本題に入った方がよろしいかと」
アレシアが助け舟を出してくれた。
「あ、ああ、そうだったな。さて、どこから話そうか」
と、デインはちらとアレシアを一瞥した。彼の心情を察したのか、アレシアは一礼して部屋を出ようとした。
「いや、待てアレシア。おまえも話を聞いていきなさい」
考えを改めたのか、デインは右手を突き出してアレシアを止めた。
「は、はい」
アレシアは不可解な面持ちで元の場所に戻った。
「なにか、話しづらいことがおありのようですな」
「はい……。シズマさん、王都に帰ってからもお忙しいのでしょうか?」
「いえ、差し迫った依頼はありませんが」
「そうですか」
デインの態度が煮え切らなかった。話すと腹を括ったはいいもののまた躊躇し始めた。先ほどまでの明るさはどこかに消えてしまったようだ。
すると、デインはゆるりと腰を浮かして本棚の隅に足を運んだ。そこにはスペースを埋めるためなのか、小さなレターボックスが置かれている。
デインは膝を折り、レターボックスの引き出しを開けた。
「お父さま?」
アレシアはデインの行動を不審に思ったらしく、声をかけた。
「今度、王都に行くことになってな」
デインが戻ってくると、俺の前に封筒を置いた。
「これは?」
俺は封筒を手に取って訊いた。
「シズマさん、仕事の依頼をしたいのですが」
デインは低い声音で言った。
「どういった依頼でしょうか?」
俺は何気なく訊いた。
デインは両肘を膝につき目を瞑った。しばらく待っていると、彼は意を決したように背筋を伸ばし力のない目つきで俺を見据えた。
「私の、娘になるはずだった人を、探してほしいのです」